十字架上の日本~世論に負けない正義~
前の記事、『杉原千畝と老朽船「天草丸」』を書いた時点では、松岡洋右の船出のお話は「オマケ」のつもりでした。
「アムール」改め「天草丸」をアピールする、ちょっとしたエピソードを入れただけだったのです。私はフネに関するこういった小さなエピソードが好きなんで…。
精神を守らなければ、国を守ったことにはなりません
ところが、昨日(2015.12.28)になって「追軍売春婦」に関する日本・下超汚染の合意なるものが報道されてきました。
電脳大本営はこの「合意」に全く納得できません。
理由はさまざまにあります。現行の世界情勢に根ざすもの、下超汚染の民族性・嘘つき体質を心配するもの等は皆さんにお任せいたしたいと思います。
私が最も心配し、腹がたったのは
「ご先祖たちは『追軍売春婦』などを狩り出してはいない。」
とはっきり言い切っていないことです。
電脳大本営の基本的な主張は「国や軍隊は国民の生命財産を守ることが使命」と言うものです。
ただ、単純に当座の生命を救うだけならブサヨの主張のように降伏してしまえば良いのかも知れません。しかし、それでは我が国民は物理的な迫害を受けると同時に、精神的にも誇りを奪われることになってしまいます。
大東亜戦争も、負け方を誤ったために70年掛けても、未だに誇り高き日本を取り戻せていないではありませんか。
格調の高い精神
松岡洋右にはいろいろな批判がまとわり付いています。私もはっきり言ってあまり好きではないんです。理由は先帝陛下が松岡を嫌っておられたように見えるから。
でも政治上行われた行為は、個人が好きか嫌いかとは別に評価されねばなりません。松岡ならユダヤ人救出とこの「十字架上の日本」演説でしょう。
この演説は1932年12月8日、満州事変に関する日本批判を審議していたジュネーブの国際連盟総会で、1時間20分にわたって英語で行われた長大なものです。
長くなりますが、肝心な所の和訳を紹介させていただきます。
段落分けと改行、カッコ書きの注釈は沢渡によるものです。
以下、「十字架上の日本演説」 抜粋
演説
『次に、支那代表は日本の軍閥に関して言って居られた。それを言われたのは顔博士(顔恵慶)だったか、顧博士(顧維鈞)だったか、又総会であったか、理事会以外であったか忘れたが、それは何れでも、ともかく、日本には幾つかの軍閥があって、現在の日本はその軍閥の拇指(支配)下に在ると申された。
だが一言にして申せば、日本には今日、軍閥だとか軍権階級だとかいうものは絶対に存在しないのである。
成程日本にはカーキ色の制服を着けサーベルを吊した日本人が居る。
だが日本ばかりでなく、何処の国だって大体似たり寄ったりの服装をした人間が居るではないか。之等軍人は決して特別な階級、特別な閥族から出ているわけではない。
例えば支那代表が度々引例した田中大将の如きでも、日本の非常に貧困な家庭から生れた人である。彼の父親は息子達と一しょに傘を張って漸く細い煙を立てゝいたのだった。日本の偉大な政治家の一人として我々の敬愛する田中大将は、実に父親の作ったその傘を村々に売りに持ち歩いていたものであった。
日本で有名な将軍や提督が、かゝる貧家から輩出した実例は無数に挙げることが出来る。今日日本に陸海軍の将校を特に世襲とする閥族は無いのである。
支那代表は日本の支配者として荒木中将を引合いに出したが、恐らく支那代表は、日本には、畏くも名実共に我々の支配者として仰ぎ奉る天皇陛下が在しまし、而してその下に総理大臣と、その他の各国務大臣が在って、荒木中将は、単にその内の陸軍大臣であるに過ぎないということを忘れているのではないかと思う。
次のお話しを申上げれば、たぶん余の考えを一層はっきりさせることが出来ようと思う。
先ずこの方面から議論を進めて行こう──即ち茲に特に一九ニ七年に於ける英国の行動(南京事件;蔣介石軍が南京を占領し、外国領事館や居留民を襲撃した事件についてだと思われる)に就て言えば、英国は元来支那に於て條約上の権益を有して居たが、その権益が侵されんとする危険を感じたので、英国政府は、場合に依って はこの極東の悪童を打擲するつもりで軍隊を送り出したのだった。
ところが余が曩に指摘したように、蒋介石は逸速く降参したので、英国は火蓋を切る破目に陥らずに済んだのである。
之に反し日本の場合は、滿洲では我々の軍隊は既に前から駐屯して居た。恰度隣の家で我々を招待して置きながら、何だ彼だと我々を罵り始め、剰え、ありと凡ゆる手段で打擲らんとし始めた。
我々は耐え忍んだ。おしなべて日本人は、普通西洋人よりはずっと忍耐強く出来ている。だがとうとう終いには、我々は我々自身を忘れる程になって、隣の人を打った。
ところでその隣のお方は早速ジュネーヴに駈けつけて、日本人が彼の家に侵入して来て、何の理由もなく彼を擲ったと訴えている。
実は日本には今、聯盟が日本の立場を充分理解していないことを憤慨し、愛想を尽かしている多数の真剣な人々が居って、聯盟脱退論を唱えて居る。──最初から加盟したのが誤って居るというのだ。
このジュネーブに於て現に進行しつゝある事態のお蔭で、諸君が日本国内に斯かる論者を生ぜしめたのだ。
とはいえ余が度々申上げているように、我が日本国民の大多数は今日尚聯盟の味方である。是迄忠実に留まって来た如く、尚忠実に聯盟に留まろうとしているのだ。
この點を別な角度から説明しよう。今日、日本は重大な危機に遭遇して居る。支那代表が如何に保証しようと、その反対に支那の現状は益々悪化しつゝある。 一言にして言えば日本は今日、東亜全体に通ずる脅威に直面している。而も極東を救う為に腕一本で闘って居るのだ。
──極東に戦端を醸さんとしてでは断じてない。否反対に平和の為にである。而も我々は、ソヴィエット・ロシアを聯盟外に放置したまゝ、此の状勢に直面して居るわけである。
今、この冷静な事実を前にして、紳士諸君、ソヴィエット・ロシアも、米国も聯盟に属せず、又聯盟は今日完全したものでないという現実に立って、日本が聯盟規約に何等伸縮性を帯ばしめずして、之に裁かれることは絶対に不可であると諸君の前に言明することは、極めて常識的な判り切った話ではないだろうか?
──余は敢て言うのだ。今日尚我が国民には制裁何時にても御座んなれの覚悟が出来ているのですぞ!
それは何故か? 日本はそれが『今か、然らずんば永久』の問題であると信じて居るからだ。日本は断じて威嚇の前に屈服するものではない。日本は断じて制裁の下に屈従するものではない。日本は平気で制裁を迎えるつもりだ。何故なら、正しくとも、正しくなかろうともそれは、
『今か、然らずんば永久』
と信ずるからだ。而も日本は正しいと飽く迄信ずるのだ!
たとえ世界の輿論が、或人々の断言するように、日本に絶対反対であったとしても、其世界の輿論たるや、永久に固執されて変化しないものであると諸君は確信出来ようか?
人類は嘗て二千年前、ナザレのイエスを十字架に懸けた。
而も今日如何であるか?
諸君は所謂世の輿論とせらるゝものが誤っていないとは、果たして保証出来ようか?
我々日本人は現に試練に遭遇しつゝあるのを覚悟している。ヨーロッパやアメリカのある人々は今、二十世紀に於ける日本を十字架に懸けんと欲して居るではないか。
諸君! 日本は将に十字架に懸けられんとして居るのだ。
然し我々は信ずる。確く確く信ずる。
僅に数年ならずして、世界の輿論は変わるであろう。而してナザレのイエスが遂に理解された如く、我々も亦世界に依って理解されるであろうと。』
「十字架上の日本演説」 抜粋は以上
残念ながら、ネット上で全文を見ることは出来ません。
どうしても、と仰る方は外務省記録「満州事変(支那兵ノ満鉄柳条溝爆破ニ因ル日、支軍衝突関係)善後措置関係 国際連盟ニ於ケル折衝関係 日支事件ニ関スル交渉経過(連盟及対米関係)」か『日本外交文書』満州事変第三巻を直接ご覧になる必要があります。
このときは国際連盟の臨時総会で、リットン調査団の報告書が審議されていたのですが、その審議内容は日本に不利なものでした。
こうしたなか、壇上で演説した松岡洋右は、かつて「狂ヘル輿論」がキリストを十字架にかけたように、現在の世論も日本を十字架にかけようとしている、誤った世論は数年のうちに必ず変化するであろうと述べたのです。
松岡が「サンキュー」と演壇から下りると、会議場を揺るがす拍手がいっせいに湧き起ったそうです。
自席に戻って行く松岡に対し、フランス代表のボンクール陸相やイギリスのサイモン外相がつぎつぎと立って松岡に握手を求めました。
イギリスの陸相のヘールシャムなどは、松岡の肩に抱きついて言いました。
「すばらしい。私は三十年も外交官生活をしているが、こんな演説を聞いたのは初めてだ」
しかし、松岡の熱弁もむなしく、翌1933年(昭和8年)2月24日の国際連盟総会において、日本軍の満鉄附属地への早期撤退や満州に対する中国の主権承認を内容とする勧告案が42対1(棄権1)の大差で可決されました。
松岡はその場で遺憾と失望の意を表明し(サヨナラ演説)、他の日本政府全権とともに会場を退出したのでありました。
我らの総理大臣は、たかが松岡洋右程度の認識さえお持ちでは無かったのでしょうか?