2021-04-29 / 最終更新日時 : 2021-04-30 daihonnei 人物 花の旅団1~落ちこぼれ旅団長登場 時は明治37(1904)年の10月であります。 大日本帝国陸軍は前月末からの「遼陽会戦」でロシア軍を打ち破り、要衝都市の遼陽を占拠したのですが… やはり国力が もともと大国ロシアと大陸で覇を争うには、少々国力に余裕がなか […]
2020-09-24 / 最終更新日時 : 2020-09-24 daihonnei 人物 佐久間艇長の真実1~事故~ 1905年5月15日、旅順港を閉鎖中の我が戦艦「富士」と「八島」があいついで触雷・沈没。 連合艦隊は主力戦艦6隻のうち2隻を一日にして失う惨事にみまわれる事となりました。 新兵器・潜水艦 聨合艦隊司令長官・東郷平八郎はこ […]
2020-05-14 / 最終更新日時 : 2020-05-15 daihonnei ロシア ロシアの英雄艦2~戦争は外交の延長~ ロシア皇帝の方針で38度線より北じゃないと軍事行動できないのに、南の仁川に配置され、極東総督の無理解によって大日本帝国陸軍の上陸を攻撃できず、ロシア公使の見栄で港内から脱出できなかった巡洋艦「ヴァリヤーグ」と乗組員の運命 […]
2020-05-07 / 最終更新日時 : 2020-05-14 daihonnei ロシア ロシアの英雄艦1 日露戦争の口火を切った仁川沖海戦。結果を見れば大日本帝国海軍の完勝だったのですが、ロシア側にも一隻の「ヒロイン」が産まれました。 宣戦布告前の攻撃 仁川沖の海戦は、Wikiによれば 『(1904年)2月8日午後、仁川港に […]
2020-03-12 / 最終更新日時 : 2020-02-24 daihonnei 未分類 ホワイト・フリート撃滅?海軍大演習 アメリカの海軍力をこぞった「ホワイト・フリート」は、ついに太平洋に入り、大日本帝国に迫ってまいりました。 この砲艦外交を、帝国は「歓迎」で迎え撃つ算段ですが…裏ではちゃんと(笑) 歓迎態勢 外交ルートを通じてホワイト・フ […]
2020-02-27 / 最終更新日時 : 2020-02-26 daihonnei アメリカ 白船来寇in1908(明治41年) 明治41(1908)年、日露の大戦争に見事な勝利を収めて3年後のことであります。 大日本帝国は再び国家存亡の秋(とき)を迎えていたのでございます。 太平洋にアメリカ艦隊無し? 日露戦争後、日米関係は悪化し始めておりました […]
2020-01-02 / 最終更新日時 : 2020-01-02 daihonnei 帝國海軍 信濃丸 1901年7月初旬、大英帝国カンブリア州のバーロー・イン・ファーネス市の港外に一隻の豪華客船が姿を現しました。 客船はゆっくりと、折からビッカース社の造船所桟橋で艤装中の大戦艦に横づけしました。 「三笠」とともに この貨 […]
2019-05-09 / 最終更新日時 : 2019-05-06 daihonnei イスラエル 杉原千畝と老朽船「天草丸」 新たな御代、令和が幕を開けたばかりの2019年5月2日。遠く中東イスラエルの地で、一人の日本人が顕彰されることになりました。「再」顕彰であったためか、国内ではほとんど報道されていませんが、私は深く心を揺さぶられて […]
2019-04-04 / 最終更新日時 : 2019-04-04 daihonnei 人物 もう一人の東郷 日露戦争では多くのロシア将兵がわが国の捕虜になりました。 わが国は国際法に定められた以上の待遇でロシア将兵を扱い、ついには敗北したロシア兵は「マツヤマ」(松山収容所が最も有名だったので)と叫びながら投降した、と言われるほ […]
2016-07-01 / 最終更新日時 : 2018-10-13 daihonnei 人物 日本海海戦で戦ったピアノ 20世紀になってすぐの、古いお話であります。 アルゼンチンは隣国チリと対立してしまったため、海軍力を強化する必要に迫られていました。そこで思いついたのが自国艦隊の主力「ヘネラル・ガリバルディ級装甲巡洋艦」でした。 イタリ […]
2015-11-20 / 最終更新日時 : 2019-06-16 daihonnei 同盟諸邦の軍備紹介 美貌の皇后の名を冠した巡洋艦「カイゼリン・エリザベート」と日本 カイゼリン・エリザベート(1837~1898年)は、19世紀末のオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の皇后です。 国民に慕われ 私たちのイメージでは、オーストリアは武力ではなく婚姻でヨーロッパを席 […]