大和の酒保は開いたのか?

アイキャッチ用鉢巻旭日旗

私は根が卑しいせいか、大東亜戦争で国を守って散った英霊がたがナニを召し上がっていたのか?気になって仕方ありません。

出撃前は景気付け

たとえば、戦艦「大和」の「沖縄特攻」まえに「酒保開け」の命令は出たのか?とかね。

「大和」が激闘の末に坊ノ岬沖の波間に消えたのは、ご存知の通り昭和20(1945)年の4月7日。15時過ぎの事であります。

徳山を出撃したのはその前日、4月6日15時20分とされています。

徳山にいたのは、燃料を出来るだけ多く積むためだったと思われます。
徳山燃料廠には南方からの石油が届いていて、よく言われる「片道燃料」ではなく、大和は好物を腹いっぱい喰った筈なのですが、その辺は別記事に譲ります。

今回は乗組員たちが、出撃前に酒やスイーツを、せめて一口だけでも味わったんだろうか?という話であります。
結論から申しますと、酒保はちゃんと開かれております。
提供されたメニューは判然としませんが…

順を追って、出撃準備を見ていきましょう。

公試中の大和

公試中の大和

 

「大和」を海上特攻に使おう、との発案は海軍省教育局第一課長(のち連合艦隊参謀)だった神重徳大佐だったと思われます。

発案の時期は、サイパン失陥と重なっていると想像できます。
この時期に神大佐は高木惣吉少将とツルンで、東條内閣打倒(暗殺も)を計画していまして、「大和特攻」と「東條打倒」の相関関係が大佐のアタマの中でどうなっていたのか?非常に興味があります。

しかし戦争の流れは速かった。高木や神が策謀をめぐらすまでも無く、東條内閣はサイパン失陥の責任を問われて退陣。
昭和大帝の思し召しもあって、サイパンへの逆上陸・奪還も検討され、神大佐は「サイパンに水上大型艦艇(戦艦・巡洋艦)を突入させる」との意見具申を行っています。

その時は「長門」や「山城」を考えていたようですけどね。

この熱意に対して連合艦隊は全く「不同意」で、サイパン奪回作戦が実行されることはありませんでした。
このあたり、戦史叢書45(『大本営海軍部・聯合艦隊』6・第三段作戦後期)に詳しく載ってます。

大和には新婚の妻を、産まれたばかりの子を、将来を誓った娘を、郷里に残して彼らを護ろうと乗り組んだ若者が多くいた筈です。
彼らにせめて最後の夜、とことん呑ませてやりたかった。甘党なら好きなだけ甘いものを喰わせてやりたかった、と思うのです。

大和の出撃については、私は大きな疑問を持っています。
沖縄へ殴りこみ、何処かへ乗り上げて陸上砲台となって米軍に巨弾を浴びせる・・・と言うのが作戦目的のようですが、そもそも辿り着く成算がありません。
その上主砲弾数にも、主砲の砲身の命数(砲身の寿命)にも限界があって、沖縄に行きつけても大して役に立たないことは素人でも判ることなんです。

それでも、強いて出撃した、それも敵の制海空権下を沖縄へ行くための最善策を一切取っていません。

私には海軍には大和をココで沈めておくべき何かがあったように思えてなりません。

この件については、ゆっくり書いてみたいとは思っていますが、皆さんのコメントで結論が出てしまうかも知れません。

明日4月7日、大和の70回忌であります。

 

戦艦大和、というと、世界最大最強の戦艦、航空戦時代に乗り遅れた無駄もの、等々、様々なハードウェア面、また、
建艦計画、国防ドクトリン、軍政を語るソフトウェア面からのアプローチが多い中、これは、謂わば、ヒューマン
ウェアというべき、【食】の側面からのアプローチです。
いくら戦闘がはげしかろうが、大和ホテルと呼ばれて泊地に鎮座していようが、大和乗り組みの三千人を超える人間
は、まず食わねばなりません。その意味では、高橋孟氏の『海軍めしたき』シリーズも非常に優れた記録ですが、
戦艦大和の建造時から厨房設計、その装備品(これは高橋氏の著作にも用具類や作業が活写されています)に始って
建造中の作業員の寝食まで部分的にでも描いた作品は他にありませんでした。

大和の進水から就役、初戦闘参加のミッドウェー海戦、といった大戦の時間軸を大和という帝國海軍のひとつの
頂点にスポットあてて追いつつ、その中で『生きて』『戦う』人々に、黙々と食を提供し続ける炊事兵たち、時には
主計課下士官までが駆り出されて握り飯を握り続ける。しかも、陸軍将兵を輸送するとなると士官用厨房の設備
まで動員して、便乗している陸軍兵士分まで【増産】しなければならない。炊事兵は、戦闘時は本来、応急班に
充てられるのですが、とんでもない。メシタキ、戦闘配食(戦闘配置で摂る食事)を、全長260m、全高60m
通路総延長二万mとも言われる艦内くまなく配り歩く。これが、【食の戦争】そのものでしょう。

勝っても負けても、フネが浮かんで人が居る限りメシは食わねば、そして作らねばならない。その非常にプリミ
ティブな側面から、開戦よりレイテ海戦、菊水特攻作戦までを、ある意味、最も原始的な
人間ドラマとして
描き切った秀作です。一例を挙げるなら、所謂、レイテ沖海戦の『栗田艦隊謎の反転』は、旗艦愛宕を撃沈されて
重油の海を漂って以降、サマール沖海戦でハイテンションの極にあった反動で、疲労しきっていた提督の
ミスでは、というのも、40時間近く不眠不休だった艦内乗員に、『とにかく熱い味噌汁を作れ!』と檄が飛んだ
(鯖の水煮の合わせ味噌のものだったようで、個人的に再現したら実に美味かったです)
というエピソード(乗員の方の証言)が、大きな説得力を持ちます。

筆者には、海軍レシピの現代アレンジ本もあるためか、この1冊には、所謂『ミリメシ』的な紹介は殆どあり
ません。その代わり、どのような位置で、何を(料理なのか弁当なのか携行食なのか)が詳しく記述されて
いるので、炊事兵の負荷が如何に変わるか(向こうから取りに来るのか配るのか、夜食や士官の間食対応は、
等が判るのが人間臭く描かれています。お勧めです。

 

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