軍艦妙高案内
「軍艦妙髙案内」という建造当時の謄写印刷文書をネット上で発見しました。
元は謄写版の艦内見学者に配るPR文書だったようです。
ここから、水兵さんの日常生活が少しは判るんじゃないか?と思います。
電脳大本営的「重巡妙高」案内
そもそも巡洋艦とは
巡洋艦という艦種は、もともと名前のとおり「大洋を巡って海外植民地を警備する」ための軍艦です。
ですから速度や航続距離、航洋性に重点がおかれ、乗組員の居住性にも意が払われる艦種でした。その代償として、艦形のわりに防禦は薄くなってしまいました(これが巡洋艦の発展型「巡洋戦艦」の不幸の元となります)。
巡洋艦は航続距離や航洋性のためにかなりの大艦になりますから、防護巡洋艦(原始的なバイタルパート防禦)や装甲巡洋艦などの「改良」が試されて主力艦の補助勢力の地位を獲得していきます。
軍縮条約でカテゴリー確立へ
1922年のワシントン海軍軍縮条約で、主力艦(戦艦と巡洋戦艦)に加えて空母も「総保有トン数」「一艦あたりのトン数」「備砲の大きさ」の3点セットで制限を受ける事になりました。
巡洋艦については「備砲の口径5インチ(127mm)超8インチ(203mm)以下で基準排水量10,000トン以下の艦」と定義され(条約型巡洋艦)ましたが、「総保有トン数」については制限がありませんでした。
列国、とりわけ日英米の三大海軍国がココに眼をつけるのは当然でした。
わが国の俊英・平賀譲設計による巡洋艦「古鷹」と改良型の妙高型や高雄型の性能に衝撃を受けた英米は、ロンドン海軍軍縮会議を開いて補助艦(巡洋艦以下)の保有トン数も制限を加えることにしたのです。
ロンドン海軍軍縮条約では備砲の口径155mm超203mm以下の巡洋艦を「重巡洋艦」、口径155mm以下の巡洋艦を「軽巡洋艦」と分類して保有制限枠を設けたのです。(基準排水量はどちらも1万トン以下)
大日本帝国海軍では、一等巡洋艦、後者が二等巡洋艦と類別され、甲巡・乙巡とも呼ばれる事になりました。
妙高型の特徴は
なんといってもその重武装が注目の的でした。条約で砲の口径は大きくできませんから、その門数を「古鷹」の6門から10門に。
対空砲、魚雷発射管に加えて偵察機も2機(カタパルトも)搭載。
装甲が薄い、なんて評価もあるんですが同クラスの英米艦と比べて見劣りはしてないと思いますね。
軍艦妙髙案内
さて、それでは紹介申し上げましょう。
「軍艦妙高案内」です
『往年ノ「ワシントン」軍縮會議ニ於キマシテ帝國海軍ハ英米ノ六割(主力艦)ニ制限サレマシタ結果,此ノ数量ノ不足ハ実質ヲ以テ補ハネバナラヌ様ニナリマシタ。
其處デ我海軍ハ爾来益〃教育訓練ヲ重ネ鋭意精神ノ修養術力ノ向上ヲ計
ルト共ニ極力優秀ナル軍艦ノ建造ニ努メ,且,欧洲大戦ノ実験ト教訓ニ鑑ミ,華府條約ニ準據シテ苦心研究ヲ重ネタ計画ト血ト涙ノ卓絶セル造舩技術トニ依ッテ建造サレタノガ本艦型一万噸ノ巡洋艦デアリマシテ,実ニ列強海軍ノ注目ノ焦点トナリ脅威ノ的トナッテヰル最新最鋭ヲ誇ルモノデアリマス。
主力艦ヲ除イテハ恰モ海上ノ勇者タルノ観アル一万噸級巡洋艦!
「ロンドン」會議ニ於ケル重点問題ノ第一ガ此ノ種ノ巡洋艦デアッタ事ハ以テ如何ニ此ノ種艦型ガ将来海戦戰ニ於テ重大ナル役目ヲナスカヲ裏書スルモノデアリマス。
艦型ハ我海軍独特ノモノデアリ,又,艦ノ各部分トモ殆ンド国産品バカリデ有ルノモ,帝國ノ誇トスル處デ同型艦ニハ足柄,羽黒,那智,建造中ノモノニ髙雄,愛宕,鳥海,麻耶ノ四艦ガアリマス。
(一)要目
一,艦種 一等巡洋艦
二,建造所 横須賀海軍工廠 起工 大正十三年 十月二十五日進水 昭和二年 四月十五日竣工 昭和四年 七月三十一日
三,全 長 一九二米(約一町五十間)
四,最大幅 十八・七米(約十間半)
五,排水量 一〇〇〇〇屯
六,速 力 三三節
七,兵 装 二十糎砲(八吋砲) 十門(射程約五里)
十二糎髙角砲(四・七吋砲) 六門
魚形水雷發射管 十二門
探照灯 百十糎(直径約三尺七寸) 五大[台か?]
五万燭光デ暗夜ニ二里ノ遠方ヲ見ルコトガ出來ル
飛行機 一機
八,防禦 敵ノ彈丸魚雷爆弾ニ對シ各々防御ガシテアリ,尚,艦内ニハ夛数ノ防水区劃ガアッテ一部,浸水スルモ之ヲ局部ニ喰ヒ止メル様ニナッテ居マス
九,機関 主機械ハ「タルビン」機械八基を装備シ,四本ノ推進器ヲ廻シテ三十三節(一時間約十五里)ノ速力ヲ出シマス。
罐ハ十二個デ燃料ハ重油ヲ使用シ,普通ノ速力デ航海シテ一晝夜ノ消費額約四千円,全速力デハ約五万円ヲ要シマス。
發電機ハ四台アッテ,七三五「キロワット」ノ電力ヲ発生シマス。
此ノ電力ハ人口四万ノ都市ノ電灯ヲ点ズルコトガ出来マス。
其他,冷却機械,製氷機,鍛冶工場等ガアリマシテ,舩体兵器ノ部分品ハ工廠の手ヲ借リズ自分ノ艦デ修理製作ガ出来マス。
一〇,錨 主錨二,各々五・五屯(約千五百貫)。此ノ外,小サナ錨ガ二ツアリマス。
一一,乗員 准士官以上約五十人,下士官兵,約七百人。
一日ノ食糧 牛肉 三十三貫 魚肉 三十二貫 野菜 九十一貫 漬物 三十二
貫,白米 九十四貫(四斗俵六俵)割麦 三十二貫(三俵)生麺麭七十七貫,醤油二斗一升 味噌 十三貫。
何分,大世帯デアル丈ニ主計科員ハ骨ガ折レマス。
総員一食分ヲ煮ルノニ一時間半カカリ,朝ハ三時半頃カラ仕事ニ掛カリマス。
烹炊設備ニハ電氣割烹台三台ト鈴木式炊飯釜四個(四斗炊三個三斗炊一個),粥食釜二個(五斗炊)電氣フライ鍋一個アリ総員一食分烹炊スルニ一時間半ヲ要シマス
(二)日常乗務員ハ一体何ヲシテ居ルノデセウ?
何分ニモ軍艦ハ鐡ノ舩デス。艦内ニハ夛数ノ金具ガ使ッテアッテ,放ッテオクト直グニ銹ビ付イテ,ヤガテ動ク所モ動カナクナリ,兵器ハ其ノ全能ヲ発揮スルヲ得ズ,舩体ハ腐ッテ大切ナ艦ノ壽命ハ短クナッテ失ヒマス。
数ニ限リアル軍艦ニ於テ少シデモ永ク其ノ戰斗力ヲ維持スル爲ニハ訓練ハ固ヨリ,舩体兵器ノ手入レハ缺ク可ラザル日常ノ作業ニナッテ居マス。
又,各人ニハ夫々戰斗配置ガアリマシテ連綿不断ノ訓練ニ依ッテ所謂「砲後ノ人」ヲ作ルニ懸命デアリマス。
其ノ他,直接戰斗ニ関スル訓練デハアリマセンガ,艦ノ保安上又,缺クベカラザル防水教練ヤ防火教練等ガ行ハレマス。
「訓練ニ明ケテ訓練ニ暮レル」
忙シイ艦内生活!
然シ其ノ反面ニハ武技体技,時ニハ陸上デ行軍等ヲヤッテ健康ヲ維持スルコトモ図リマス。
港ニ停泊中ハ夕方カラ上陸シマス。毎週一二回宛ハ講話モアッテ精神ノ修養統一等ニモ當テラレマス。
機関科デモ又,機械ノ整理手入ニ余念ガアリマセン。ソレデ精神教育ヤ
配置教育,舩体兵器手入等ヲ適当ニ按配シテ毎日ノ作業ガ定メラレル訳デス。
然シ日曜祭日ニハ皆様ト同様ニ仕事ヲ休ンデユックリ休養シ英気ヲ養ッテ又翌日カラノ作業ニ當ル訳デス。
艦内娯楽機関トシテハ碁将棋,蓄音機「ラジヲ」「活動冩眞機」等ガアッテ毎公休日,時限ヲ定メテ許サレテヰマス。
「最モ完備セル文化住宅」,夫ガ又,最新艦ノ一面デモアリマス。
尚,艦内ニハ酒保ノ設備ガアッテ日用品食料品(菓子,
煙草,酒)等,時間ヲ限ッテ販売シ,其ノ賣上髙一ケ月三千円ニモ達シマス。
海上デ一番苦心スル清水,飲料水モ港デ搭載スル外,艦内デ造リ,一斗ニ付キ約十六銭デ出来マス。
五合ノ水デ毎朝顔ヲ洗ヒ,五升ノ水デ洗濯モシマス。実ニ軍艦生活ハ陸上ノ人ニトリ未知ノ世界デモアリ愉快ナ生活デモアリマス。
艦内ニハ各所ニ送風機ガアッテ艦内全部ニ亙【ワタ】リ夏ハ冷風冬ハ温暖ナル空氣ヲ送リマス
ソシテ我々海軍々人ニ取ッテハ存亡ヲ同ウスル干城タルト同時ニ,喜樂ヲ倶ニスル家庭デモアッテ,上下融合,全艦ヲ挙ゲテ一心同体トナリ護国ノ大任ヲ負ッテ而モ喜々其ノ職務ニ勉勵シテ居ルノデアリマス。
(終)』
水兵さんの健康が心配です
電脳大本営の重大関心事は、水兵さんが機嫌よく体調良好な状態で国防に邁進出来るか?であります。
腹が減っては戦が出来ぬ、ではありませんが私はもっとも食い物に心を奪われました。
食糧をメートル法に換算して、一人一日当たり(士官と下士官・兵では質も量も違っていましたが、ココでは合算しちゃいます)の食糧事情を考えてみましょう。
一貫は3.75kgですから、一人一日あたりの食事は牛肉165g、魚肉160g、野菜480g、漬物160g、白米504g、割麦160g、生麺麭412g、醤油53g(1cc=1gで計算)、味噌69gとなります。
沢渡基準では牛肉165gは少ないとおもうのですが、ステーキランチなんかを喰えばお肉は120グラムもあれば多い方だそうです(弊愚妻の言)。
魚もほぼ同量(これは骨の重量が気になりますが)あるし、白米+割麦で650gを越え、パン(生麺麭)も412gも喰えば栄養的には「肉体労働」とは言え十分でありましょう。
野菜を加えれば一日1.8キロは喰いモンがあるんですからね。
気になるのは味噌、醤油の量が多い事です。
味噌の塩分量は重量比で11%程度、醤油は(薄口)16%、(濃口)14%だそうです(弊愚妻による)。味噌・醤油は何らかの形ですべて消費されているでしょうから、計算すると一人一日あたり15gを越える塩分を摂取していることになります。
厚生労働省が推奨する【1日の塩分摂取の目標値】(2010年度)は、男性9g未満、女性7.5g未満であります。
(これも愚妻によれば)この数値はQOLを考慮したためか高過ぎなんだそうで、私の一日の塩分摂取量は6gにコントロールされているらしいのであります。
妙高の水兵さんたちの場合、激しい訓練もありますから、カラダがなまる一方の沢渡よりも塩分が必要である、としても少し多過ぎでありましょう。
しかも、一日160gもの漬物を喰ってしまうのでありますから。
以上が支給される食事(士官は好きなものを注文し、給料天引き)で、さらに夜食やお菓子は「艦内ニハ酒保ノ設備ガアッテ日用品食料品(菓子,
煙草,酒)等,時間ヲ限ッテ販売シ,其ノ賣上髙一ケ月三千円ニモ達シマス。」と別腹かつ飲酒も出来たのです。
余談ながら、海自も艦上・艦内での飲酒を認めるべきだと、私は思うのであります。アメリカもイギリスも認めてない?毛唐の海軍など知ったことではありません。
竣工した当時(昭和4年)の海軍、少なくとも海上勤務の水兵さんたちは腹いっぱい喰って訓練に励んでいただろうと思われるので、電脳大本営としては一安心なのであります。
心配はもっとあるぞ
しかし、心配が全く無いわけではありません。
「然シ日曜祭日ニハ皆様ト同様ニ仕事ヲ休ンデユックリ休養シ英気ヲ養ッテ又翌日カラノ作業ニ當ル訳デス。」
と、わざわざ断っている点です。
海軍のブラック企業ぶりは「月月火水木金金」と言われて揶揄されるほど有名ですが、「妙高」は全海軍の期待を背負った新鋭艦です。
条約下では戦艦・巡洋戦艦の新造は出来ませんから、「妙高」への期待は高まるばかりだったはず。
私が艦長だったら、思いっきり猛訓練を課します。土日祝日など、返上させるに決まっています。そして艦の紹介では「ちゃんと休んでますよ~」っていうに決まってます。
実は水兵さんは猛訓練に耐えるのです。
耐えられないのは士官の方で、実際に「月月火水木金金」と猛訓練に嫌味を言ったのもある大尉なんです。
東郷平八郎のあとで聨合艦隊司令長官になったのは伊集院五郎(この人は日露戦争の勝利に大きく貢献してますので、そのうち記事にします)。
伊集院は日露戦争の勝利に酔いしれて、たるみきった海軍に危機感をつのらせ、聨合艦隊に猛訓練を課しました。
しかし、司令部も幕僚も猛反発。ついに「月月火水木金金」との言葉が生まれることとなりました。
訓練に反発した言葉を、逆の意味の軍歌にして流行らせるとは、海軍の広報、恐るべし。
休むべき時はちゃんと休まなければなりません。そのために曜日が判るようにカレーを喰うんですから。
おおっと、これは現海軍の話でした
生き延びたのに
さてさて、大東亜戦争では妙高は緒戦でB-17に爆撃されて軽傷を負った後、スラバヤ沖・珊瑚海・ブーゲンビル島沖・マリアナ沖・レイテ沖の各海戦で活躍、ついに太平洋の激戦を生き抜くのであります。
敗戦後はイギリスに接収されてしまったのですが、大英帝国海軍は「居住性が悪すぎ」との理由で海没処分としてしまったのでした。
先帝・昭和天皇が初めて進水式に行啓された名誉を持つ「妙高」の寂しい最後でありました。