ヘリ搭載護衛艦「いずも」と装甲巡洋艦「出雲」
「いずも」だけでは気づかなかったんですが、「かが」と並べて見て判った、日本国海軍(ただいま海上自衛隊と仮称中)の気高きネーミング・センスのお話です。
「かが」と「加賀」も併せてごらんいただくと幸いです。
「加賀」のデビュー戦
出雲の前に、「加賀」の戦跡を確認しておきましょう。
私の屁理屈を別にすると、加賀は世界で始めて実戦に参加した「航空母艦」なのです。
「屁理屈」では水上機母艦「若宮」が世界初の「航空母艦」ですが、その事情はまたの機会に…
「加賀」の初の実戦参加は1932年の第一次上海事変です。
軽空母「鳳翔」とともに、軽巡洋艦「那珂」「阿武隈」「由良」、駆逐艦「沖風」「峯風」「沢風」「矢風」を従えて出撃。
2月5日、加賀の三式艦上戦闘機6機と一三式艦上攻撃機 4機が支那軍のコルセア(I)4機と日支間初の空中戦。
2月22日になると、加賀の三式艦戦3機、一三式艦攻3機の編隊が、アメリカの退役軍人ロバート・ショート氏操縦のボーイング218と遭遇し、陸海軍を通じて初の「撃墜」を記録しています。
楽勝続きと思われがちな支那国民党との戦いですが、空中戦ではけっこうな苦戦をしています。
カーチス・ホークIIIなどと言うガサツな複葉機に翻弄されてしまったんですが、これも加賀航空隊にとっては良い経験となり、連合艦隊最高の錬度をもって大東亜戦争に臨むになりました。
大東亜戦争での活躍と最後は、皆さんもご存知でしょう。
日支戦争の出雲
「いずも」の先代、装甲巡洋艦「出雲」は日露の戦役では司令長官・上村彦之丞、参謀長・佐藤鉄太郎の第二艦隊旗艦として活躍いたしました。
じつは「出雲」は実に長く活躍したフネで、大東亜戦争も”ほぼ”生き延びているんです。
日支戦争のころには海防艦に類別(大東亜戦後期の急造海防艦とは別)、つまり格下げされていたんですが、第三艦隊の旗艦として支那方面に派遣されました。
第二次上海事変では、停泊していた出雲が支那軍爆撃機の攻撃を受けましたが無傷で撃退。
続いて支那魚雷艇の攻撃を受けますが、反撃して撃沈。
真珠湾攻撃の日には米国の砲艦「ウェーク」に降伏を迫って拿捕。
戦わずして降伏した米海軍のフネは他に聞いたことがありませんが、これも「出雲」の迫力と言うものでしょう。
もっとも一緒にいた英国の砲艦「ペテレル」には投降を拒否され、撃沈していますけど。
さすがに太平洋の激闘には高齢に過ぎ、内海で練習艦となって帝国海軍の錬度維持に貢献しました。
敗戦の約1ヶ月前、呉軍港にて撃沈されました。
装甲巡洋艦「出雲」の要目
排水量:9,750t、全長:121.92m、全幅:20.94m、吃水:7.37m
機関:ベルヴィール式石炭専焼水管缶24基+直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大速力:20ノット、兵員 672名
兵装:20.3cm連装砲塔2基、15.2cm単装速射砲14門、45.7cm水中魚雷発射管単装4門
命名基準
長々とすみません、ここまでが予備知識。
日本海軍(海上自衛隊と仮称中)は護衛艦を名付けるときの基準(内規)をちゃんと持っています。
「海上自衛隊の使用する船舶の区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令」(昭和35年海上自衛隊訓令第30号)
というもので、必要のつど改正されてきました。
ざっと見ておきましょう。
潜水艦(SS):海象・水中動物・瑞祥動物
そうりゅう、こくりゅう、おやしお等
ヘリコプター搭載護衛艦 (DDH):地域名(=旧国名)・山岳名
ひゅうが、いせ、いずも、かが、はるな、ひえい、しらね、くらま等
ミサイル護衛艦 (DDG):山岳名・天象気象
はたかぜ、しまかぜ、こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい、あたご、あしがら等
汎用護衛艦 (DD):天象気象
むらさめ、たかなみ、あきづき等
地方隊用護衛艦 (DE):河川の名前
あぶくま、じんつう等
艦名の表記はひらがなのみで、人名、都市名は旧海軍同様に不使用です。
(砕氷船「しらせ」も白瀬中尉からではなく、南極の白瀬雪原から)
大日本帝国海軍と比べると
DDHとDDGが少し混乱するかもしれませんが、「旧海軍で言えば」式に考えると理解しやすくなります。
全通飛行甲板甲板(いわゆる空母型)を持つ「ヘリ護衛艦」が旧海軍で言えば「戦艦」で旧国名。
「いずも」「かが」ですね。
「イージス艦」は旧海軍で言えば「重巡洋艦」で山のなまえ。
「こんごう」「きりしま」「ちょうかい」「みょうこう」
*旧海軍の高速戦艦「金剛」級はもともと「巡洋戦艦」として建造されたので山の名前でした
汎用護衛艦が「駆逐艦」で天象・気象、DEが「軽巡洋艦」で川のなまえ、となります。
艦の規模としてはDDとDEがひっくり返ってますけど。
そして、同じ艦種でも、同型艦には関連のある名前を選択する傾向が見られます。
支那への戦闘宣言
やっと本題です。
以上を元にして、「いずも」が進水して艦名が発表されたとき、私は姉妹艦を「しなの」と予想しました。
「ひゅうが」「いせ」から続く神話つながり(国譲りの際、オオクニヌシの息子が徹底抗戦を主張して出雲国から信濃国へ脱出)だけではありません。
「出雲」とならぶ日本海海戦での隠れた武勲(空母の方じゃなく、仮装巡洋艦「信濃丸」がバルチック艦隊を発見)から、支那をいたずらに刺激せずに「日本海で大活躍させるぜ!」って意思が明確になると思ったからです。
ところが海上自衛隊の人たちは神話の世界でボーっとしている私などより、はるかに現実的でしたたかでしたね。
「しなの」では舞台は日本海ですが、相手が支那ではありません。
ところが上で見ましたように、「加賀」は「出雲」と並んで対支那戦争で活躍、苦戦のシーンはあったものの奴らを見事に蹴散らしています。
歴史を直視しない支那人にはわかりにくいでしょうが、「かが」は「いずも」命名のときからの既定路線だったんでしょう。
「いずも」「かが」のネーミングは現海軍から、支那に対する「開戦宣言」なのだと思います。
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