「大東亜戦争は日本の大勝利」論を嗤う

摂津丸イラスト

今年もやって参りますね、8月15日「敗戦の日」。「終戦」などと誤魔化してはいけません。「コッチから戦争を止めてやったから、終戦で良いんだ」などと言ってキチンと戦訓を汲まないと、日本は次もまた負けてしまいます。

兵隊さんや下士官・下級士官の奮闘とは別問題

このテの話をいたしますと、必ず「ご英霊の身を捨てたお気持ちを…」みたいな反論を頂戴いたします。申し訳ないのですが、これは全くの的外れです。

敗戦の日宮城前

敗戦の日 宮城前

 

大日本帝国の敗戦は、戦略目標の認識不足からの不徹底・国際情勢への研究不足(英米可分・不可分論の議論不足など)・日露・第一次大戦等でのシーレーン攻防の研究不足・用兵者の独りよがりの戦術理解などなどが主原因です。

特攻をして下さったご英霊を含めて、一線の兵隊さんや下士官・下級士官たちの超人的な奮闘とは全く関係のない、彼らには取り戻しようのないレベルで負けてしまっているのです。ラグビーで言えば、17対145くらいで負けてます《この点差が判った方、FBのコメでご連絡を(笑)いや、やっぱり記事でちゃんと書くことにします。コメは引き続き大募集》。

戦略も戦術も練習の質も良くないと、選手の素質がいくら良くても勝てませんし、点差は簡単に開いてしまうのです。

電脳大本営をお読みくださっている方がたなら、おそらく「そんな事は百も承知だよ」であろうと存じます。しかしながら、世の中は広い(笑)モノですね。
私の知らないうちに「大東亜戦争は日本の大勝利で終わった」というトンデモ論が沸いていたのでございます。

この「ト」の主張をなさっているお方は「安濃豊」さんと仰るかたで、農学博士の肩書をお持ちなんだそうです。安納芋の研究をされているかどうかは存じません。

2018年の敗戦の日を前に、このト論を検証してみましょう。儂が安納芋が大好きな事はちょっと横に置いといて。

安濃豊

安濃豊先生

 

安濃博士のご主張を簡単に紹介いたしますと、次のようになります。

「大東亜戦争は東亜植民地の(白人からの)解放のための戦争であった。大東亜戦争後に、東亜の植民地はすべて独立することが出来た。すなわち、大日本帝国は戦争目的を達成したので、大東亜戦争に勝利したのである」

如何でしょう。私もほぼ信奉しているクラウゼヴィッツ先生は
「戦争の勝利とは戦争(戦略)目標を達成することである」
と喝破されています。

安濃博士さんはこれを上手く?利用したおつもりなんでしょうか。安濃氏はいたって真面目にご自分の主張を展開しておられますから、あんまりチャかしては失礼になります。私も以下、いたって真面目に反論して差し上げようと思います。

帝国政府声明文

安濃博士が「専門違い」の大東亜戦争の勝敗に感心をお持ちになったキッカケは、大東亜戦争の開戦を告げる新聞の紙面の片隅に「帝国政府声明文」を発見した事、なんだそうであります。
ご本人がそう書いておられるので、間違いないでしょう。

これをお読みになった安濃博士は「大東亜戦争の戦争目的は東亜植民地の解放にあり」という事を「発見」なさるのであります。

その「帝国政府声明文」というのはこのようなモノであります。
アジ歴に原本があります。

安濃博士の支持者に比べて過小な電脳大本営の読者諸氏に、わざわざ跳んで頂くのもナンですから下に引用しておきます。

【帝國政府聲明】原文
昭和16年12月8日午後零時20分
大日本帝國政府発表

『恭しく宣戦の大勅を奉載し、茲に中外に宣明す。
抑々東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するは、帝国不動の国是にして、列国との友誼を敦くし此の国是の完遂を図るは、帝国が以て国交の要義と為す所なり。
然るに殊に中華民国は、我が真意を解せず、徒に外力を恃んで、帝国に挑戦し来たり、支那事変の発生をみるに至りたるが、御稜威の下、皇軍の向ふ所敵なく、既に支那は、重要地点悉く我が手に帰し、同憂具眼の十国民政府を更新して帝国はこれと善隣の諠を結び、友好列国の国民政府を承認するもの已に十一カ国の多きに及び、今や重慶政権は、奥地に残存して無益の交戦を続くるにすぎず。
然れども米英両国は東亜を永久に隷属的地位に置かんとする頑迷なる態度を改むるを欲せず、百方支那事変の終結を妨害し、更に蘭印を使嗾し、佛印を脅威し、帝国と泰国との親交を裂かむがため、策動いたらざるなし。乃ち帝国と之等南方諸邦との間に共栄の関係を増進せむとする自然的要求を阻害するに寧日なし。その状恰も帝国を敵視し帝国に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり。
凡そ交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為にして、それ自体黙過し得ざる所とす。然も両国は更に余国誘因して帝国の四辺に武力を増強し、帝国の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり。
帝国政府は、太平洋の平和を維持し、以て全人類に戦禍の波及するを防止せんことを顧念し、叙上の如く帝国の存立と東亜の安定とに対する脅威の激甚なるものあるに拘らず、堪忍自重八ヶ月の久しきに亘り、米国との間に外交交渉を重ね、米国とその背後に在る英国並びに此等両国に附和する諸邦の反省を求め、帝国の生存と権威の許す限り、互譲の精神を以て事態の平和的解決に努め、盡す可きを盡し、為す可きを為したり。然るに米国は、徒に架空の原則を弄して東亜の明々白々たる現実を認めず、その物的勢力を恃みて帝国の真の国力を悟らず、余国とともに露はに武力の脅威を増大し、もって帝国を屈従し得べしとなす。
かくて平和的手段により、米国ならびにその余国に対する関係を調整し、相携へて太平洋の平和を維持せむとする希望と方途とは全く失はれ、東亜の安定と帝国の存立とは、方に危殆に瀕せり、事茲に至る、遂に米国及び英国に対し宣戦の大詔は渙発せられたり。聖旨を奉体して洵に恐懼感激に堪へず、我等臣民一億鉄石の団結を以て蹶起勇躍し、国家の総力を挙げて征戦の事に従ひ、以て東亜の禍根を永久に排除し、聖旨に応へ奉るべきの秋なり。
惟ふに世界万邦をして各々その處を得しむるの大詔は、炳として日星の如し。帝国が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亜興隆の基礎を築かむとするの方針は、固より渝(かわ)る所なく、又帝国と志向を同じうする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を糾し、新秩序の建設に邁進するの決意は、愈々牢固たるものあり。
而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり
今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり。全国民は今次征戦の淵源と使命とに深く思を致し、苟も驕ることなく、又怠る事なく、克く竭(つく)し、克く耐へ、以て我等祖先の遺風を顕彰し、難儀に逢ふや必ず国家興隆の基を啓きし我等祖先の赫々たる史積を仰ぎ、雄渾深遠なる皇謨(こうぼ)の翼賛に萬遺憾なきを誓ひ、進んで征戦の目的を完遂し、以て聖慮を永遠に安んじ奉らむことを期せざるべからず。

以上の文章のどこのどのような文言をもって、安濃博士は「大東亜戦争の戦争目的は亜細亜(植民地)の解放にあった」との結論に至られたのか?

これを知らなければ、博士のご論の正否は判断出来ません。博士ご自身のブログを覗いて見ましょう。

日本は大東亜戦争開戦において、帝国政府声明文(昭和16年12月9日)を発表し、下記に示すとおり、その戦争目的は亜細亜解放であることを明言しました。

読みにくい政府公式声明を既に読んでいただいた方に質問させていただきますけどけど、何処かに

「これから、アメリカ・イギリスその他西欧の植民地を持ってる国相手に戦争おっぱじめるぜ!目的はアジア植民地の解放やで。」

ダイアモンドヘッドを背景にレキシントンとサラトガ

ダイアモンドヘッドを背景にレキシントンとサラトガ

 

って(標準語可)書いてありましたか?
「イタリアは我が同盟国なのに植民地持ってたやん」とか言うのはちょっと待っててください。黒いのは別枠なんですよ、たぶん。酷い「人種差別」ですけどね。(笑)

上に引用いたしました「帝国政府声明」の中段以降を、博士が解説下さっていますので、傾聴しましょうか。カッコ内が博士のおん解説であります。

「而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こす(開戦)のやむを得ざるに至る、なんらその住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して(白人を追放し)、東亜を明朗本然の姿に復し(植民地に成る前の東亜へ戻す、即ち独立国家に戻す)、相携えて共栄の楽を分かたんと祈念するに外ならず(大東亜共栄圏を確立、)。帝国は之ら住民が我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足(八紘一宇の実現)を期すべきを信じて疑わざる物なり」

だから、大東亜戦争は植民地解放戦争だった、って仰るワケであります。

しかしですね、何処の国が対立関係にあるワケでもない国に軍隊を進駐させる理由として、「お前ら弱そうだから侵略しちゃうもんね!」とか言うんでしょうか?
侵略(大日本帝国の場合、単純に侵略とは言えないけど)するに当たっての「美辞麗句」に決まってるじゃないですか。

サイゴン港で示威行動する近衛師団

サイゴン港で示威行動する近衛師団

 

しかも、「暴政を排除=白人を追放」??「東亜を明朗本然の姿に復し=植民地に成る前の東亜へ戻す、即ち独立国家に戻す」???

先にこの記事のネタばらしをしちゃいますと、大日本帝国軍が占領した東亜の何処の「植民地」でも、「暴政を排除」してますけど、「白人を追放」なんかしてませんから(笑)。「敵国人を排除」はしてますよ、もちろん。

素直に読めば、資源獲得戦争

さて、安濃先生に任せず電脳大本営流に読んでみましょう。
「帝国政府声明」は我が国が世界の平和に貢献することを国是とした国である、とした上で、英米の軍事援助を受けて前途の無い抵抗を続ける中華民国(蒋介石政権)を非難しています。

続いて(米英は)「東亜を永久に隷属的地位に置かんとする頑迷なる態度を改むるを欲せず」としています。

この辺りが、安納芋安濃博士が「植民地解放戦争」を思い付かれた所以かと思うのですが、その後をちゃんと読まないといけません。

この後には
「百方支那事変の終結を妨害し、更に蘭印を使嗾し、佛印を脅威し、帝国と泰国との親交を裂かむがため、策動いたらざるなし」
と書かれています。

サイゴン入城式

サイゴン入城式

 

つまり、「東亜を永久に隷属的地位に置かんとする」云々は支那事変への米英の介入や、我が帝国と泰国(タイ=当時の東南アジアで唯一の独立国)の友好を蘭印(インドネシア)仏印(ベトナム)を使って妨害する(史実としてはコレはどうですかね)ことの理由として、あげつらっているに過ぎません。

欧米諸国の植民地支配を非難しているわけではないのです。

ココまでは、「沢渡はそういう風に取るかも知れないけれど」とか言われそうです。そういうお声には取りあえず耳を塞いで「声明」を読み込み続けていきましょう。

安濃博士のご主張のキモの少し前には、このような記述があります。

乃ち帝国と之等南方諸邦との間に共栄の関係を増進せむとする自然的要求を阻害するに寧日なし。その状恰も帝国を敵視し帝国に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり。
凡そ交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為にして、それ自体黙過し得ざる所とす。然も両国は更に余国誘因して帝国の四辺に武力を増強し、帝国の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり。

実は、ココこそが「声明」のキモなんですよ。素直に状況を考えつつ読めばどなたにも判ると思うんですけれど。

この時期の直前まで、大日本帝国の「鉄と石油」という産業の両輪かつ継戦能力のキモは、両方ともアメリカ合衆国からの輸入に頼っていました。
ところが、「ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり」です。

大日本帝国は根が〇〇が付くほど正直でありますから、美辞麗句だけ連ねておけば良い「声明」に、ついつい本音を書いちゃう訳でありますね。

「交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為」なんて、どこの国の定義でしょうね(笑)

貿易を絶たれると大いに困る方、しかも、軍事的に大弱りな方が口にするコトバとしか思えません。

ですから「黙過し得ざる所」と言う言葉が「継戦資源の獲得」を意味していることはご理解いただけると存じます。

この部分を現代文に判りやすく訳せば

「戦争したくないって交渉してるのに、一方的に鉄も石油も止めやがって。ウチの軍隊が動けなくなるじゃねえか!コレは戦争おっぱじめたのと同じだぜ。ウチは勝手に資源を取りに行くからな。」

って事になりましょう。

仏印の姿

安濃博士はブログで次のように語っておられます。

「そして、開戦に当たっての帝国政府声明文の通り、白人植民地からの亜細亜解放を成し遂げました。 日本は戦争目的達成国です。」
「 戦争目的を達成した日本は戦勝国なのです。」
「GHQがでっち上げた敗戦史観を信じ込んでいるから特亜・沖縄に嘗められるのです。」

「植民地からの亜細亜解放」なんぞ、大日本帝国の政府声明には書いてないことは以上に書いた通りです。
確かに大東亜戦争が始まってから、東亜植民地の指導者を招いて会議を開催したりしてますが、開戦時の「戦争目的」が「東亜植民地の解放」であったワケでは絶対にありません。

そもそも、この地域(細かな範囲はまだまだ研究しなきゃいけませんけれど)は「白人」の植民地になる前は完全なる「独立国」だったか?という考察を、博士はやっていらっしゃるのでしょうか?

1941.7.29第25軍の上陸を見物するベトナムの人々

昭和16年7月29日、第25軍の上陸を見物するベトナムの人々

 

安濃博士は「東亜を明朗本然の姿に復し(植民地に成る前の東亜へ戻す、即ち独立国家に戻す)」と言っておられますが。

たとえばWikiの「ベトナム」の項の「フランス植民地支配」を検索して読んでみて下さい。

「1884年5月、天津停戦協定(李・フルニエ協定)を締結。6月、甲申条約(第2次フエ条約、パトノートル条約)でベトナムは清への服従関係を絶つ」

と書いてあります。更には
「1885年6月、天津条約(清仏戦争の休戦条約)で、清はベトナムに対する宗主権を放棄すると共に、癸未条約と甲申条約で定めたフランスのアンナンとトンキンへの保護権限を承認した。」
Wikiの記述に跳びます

フランス(=白人)の植民地になる前のベトナムを「明朗本然の姿に復し=植民地に成る前の東亜へ戻」したら、あれ?支那(清帝国)の植民地になっちゃった!「即ち独立国家に戻す」事にはなりそうもありませんよ、博士?

Wikiの記述に限らなくても、天津停戦協定・甲申条約・天津条約を調べてみれば、この地域が「清帝国の宗主権下」にあった事は誰にでもわかる事です。
たしかに、フランスの植民地支配に比べたら緩やかな支配だったでしょう。でも独自外交は出来なかったでしょうね。日清戦争前の朝鮮半島の状況と同じだと申し上げればお判りでしょう。

安濃博士のおっしゃる「植民地になる前の姿」って言うのはそういう事なんです。
「植民地になる前に戻」しても「独立国」にはならないんです。

個人的には清国(当時は女真族が活力を失って、漢族軍閥が幅を利かせてます)の支配に服するより、フランス人に植民地支配された方がマシだったと思いますよ。

このフランス支配よりもっとマシだったのが「大日本帝国の支配」なんであります。

大日本帝国の戦争目的

ココまで、「仏印」ばっかりやってますけど、一番わかりやすいんです。取りあえずこの記事では、最後まで「仏印」で押します。

昭和15(1940)年6月17日、独仏休戦協定が締結されました。フランス本国はドイツに蹂躙されてしまったのです。
大日本帝国はこれを知って6月19日、フランス領インドシナ政府に対して各種援蒋ルートのうちの仏印ルートを閉鎖するよう要求しました。

当時のフランス領インドシナ総督(ジョルジュ・カトルー将軍)は、本国政府に相談することなく独断で仏印ルートの閉鎖を認め、日本から軍事顧問団を受け入れる事も承認してしまいました。

左から2人目、近歩4連隊長正木宣儀大佐。向かい合う仏軍キリシュ要塞司令官

近歩4連隊長正木宣儀大佐(左から2人目)と向かい合う仏軍のキリシュ要塞司令官

 

ドイツ占領下のフランスに「ヴィシー政権」が成立(6月22日)すると、政権はカトルー総督を解任してジャン・ドクー提督を後任の総督とします。勝手に日本に妥協したのが気に喰わなかったみたいです。

ただカトルーの行った日本との交渉は撤回されることはありませんでした。

松岡洋右外務大臣とアルセーヌ・アンリ駐日フランス大使との間で極東の両国権益に関する交渉が進められ、8月末には話がまとまって「松岡・アンリ協定」が締結されます。

この協定では大日本帝国とフランスの利益をお互に尊重する事がうたわれました。
その実現のためにフランス領インドシナへの日本軍の進駐が認められただけではなく、フランス側が可能な限りの援助を行うことと、日本と仏印との経済関係強化が合意されています。

1941.7.29メコン河口サンジャックに上陸した近衛歩兵第4連隊。騎手は高品武彦中尉

昭和16年7月29日、メコン河口サンジャックに上陸した近衛歩兵第4連隊。
旗手は高品武彦中尉です。

 

第二次大戦の勃発に伴って、本国との通商ラインが途絶した仏領インドシナは経済的に困窮していました。
フランス本国がドイツに降伏すると、大英帝国はアジアに持つ植民地に対して仏領インドシナとの交易を禁止してしまいます。仏領インドシナの困窮はさらに深化していたのです。

そこへ「進駐」してきた大日本帝国は仏領インドシナ政府の救いの神となりました。
大日本帝国は仏領インドシナの資源を必要としていましたし、仏領インドシナは資源を売る相手を必要としていたのです。

大東亜戦争中の帝国の輸入額のおよそ半分は仏領インドシナからのモノであり、仏領インドシナの対日貿易は圧倒的な黒字です。この黒字をもとにして「可能な限りの援助」が進駐大日本帝国軍に対して行われたのです。

一方で進駐した大日本帝国陸軍の軍律はとても厳しいものでした。

陸軍刑法では強姦罪は「無期または7年以上」の懲役ですし、住民の財物を略奪したら1年以上の懲役。戦死者や戦傷者から物を奪っても1年以上の懲役。
これらが「進駐日本軍」によって厳格に施行されていたのです。

強姦・略奪などはほとんど起こることはなく、ベトナムの民衆と日本の兵隊さんの関係はとても良好だったようです。

大日本帝国は盟邦が本国を叩いてくれたオカゲもあって、圧倒的な武力を持って仏印に進駐しました。もし、大東亜戦争の戦争目的が「東亜植民地の解放」であれば、この時点でフランス人(安濃博士のおっしゃる「白人」)を追い出すことは十分に可能でした。

ところが、大日本帝国はその道は取っていません。

メコン川を遡航する輸送船団

メコン川を遡航する輸送船団

 

白人ーベトナム人の支配構造をそのままに、極言しちゃえば「仏印進駐」前の『フランス植民地政府がベトナム人を支配する』って言う構造の上に、大日本帝国が乗っかった二重支配になった、って事です。

繰り返しますが、フランスの植民地支配の仕組みには、大日本帝国は手を付けていません。
ただ、治安維持には日仏共同で当たっていますから、ベトナム人への横暴は相当程度抑えられていました。

この記事は安濃博士の「大日本帝国は大東亜戦争に勝利していた論」を検証するために書いています。でも、もうこれだけで十分でありましょう。

大日本帝国が大東亜戦争を始めた目的は植民地解放などではありません。「植民地解放」をうたっているように見えても、それは「美辞麗句」というモノです。

大日本帝国の戦争目的は「帝国の生存」だけです。帝国がその本来の国体のまま存続してこそ、その先に「東亜の解放」やら「共栄圏」やら「八紘一宇」が実現できる、という事は当時の人たちにとっては自明の理であった事でしょう。

「資源の確保」は「帝国の生存」のための下位目的、いわば手段ですね。

その傍証として、仏領インドシナがあります。

大日本帝国の戦争目的は博士が言われるような「東亜植民地の解放」ではありませんから、効率良く資源を買い付けるために「白人」の支配構造を利用しちゃったりしてるんですね。

これは「当たり前」の事でありましょう。
先に申しましたように、大日本帝国がこの難局を乗り切って生存していてこそ、将来の「東亜植民地の解放」があるのですから。

 

メコン川を遡航する輸送船団

メコン川を遡航する輸送船団

太平洋を我がご先祖が血に染めたことによって、東南アジア諸国が植民地の抑圧から解放されたことは疑いありません。当の東南アジア諸国でもそういった認識が主流である、と聞きます。

しかしながら、それはあくまでも「結果」であって、大日本帝国が国運を賭して「世界帝国」たる米英に挑んだ「目的」ではありません。

東南アジア諸国の人々は我が国の健闘を見て、勇気を得てくださったのかも知れませんが、独立には自らの努力が、流す血が必要だったことを忘れてはいけません。

東南アジアの人々は自らの力で「白人支配」を打ち破ったのです。

我が誇るべきご先祖は、英霊は、自らの国を存続させるためにあの熾烈な戦いを繰り広げて下さったのです。自分たちの愛する家族を守るために命を捧げてくださったのです。

安濃博士と芋を信奉する人々は、それではご不満なのでしょうか?

大日本帝国は他所の国の統治構造を心配するほどの余裕を持っていたけど、軍隊に致命的な損害を受け、多数の国民も殺害され、降伏条件を受け入れました!って事の方がお好みなのでしょうか?

論理的に全く成立しないばかりか、私には理解不能な考え方です。

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