「昭和遊撃隊」と戦前の日本社会
「諸君、僕はわが海軍の軍機を洩すようで非常に心苦しいのだが、諸君にだけある重大な秘密をお告げしたい。」
という大げさな言葉で始まる平田晋作の少年小説「昭和遊撃隊」を取り上げて、戦前の社会を考えてみたいと思います。
ラノベ?(笑)
この小説「昭和遊撃隊」は「少年倶楽部」昭和9(1934)年の1月号~12月号に連載された、作者平田晋作の「処女長編」かつ「新戦艦高千穂」と並ぶ代表作である、とされています。
主人公は「世界造船学界の権威、海軍技術研究所の第一部長」である武田敏夫(たけだ・としお)博士の弟「清」クン16歳。東京府立○中の三年生ですが、その脳力はすでに帝大工学部の学生に劣らないくらいの天才です。中学3年で16歳でも落第じゃないからな、戦前の学制なら中学(5年制)卒業は18歳じゃから。
この天才少年、作中でその頭脳のキレを発揮することは全くない、どうでも良い主人公であります。
武田敏夫博士の階級は大佐(造船)ですから、40代半ばと思われる(普通なら)んですが、「愛弟(原文の表現です)」が16歳。30歳差の兄弟を産むって、どんな親やねん(笑)
近未来戦記小説なのに、ヒロインとして勝気で勇敢で必要な時におしとやかな美少女「燁代(あきよ)さん」を配して、話がスピーディに展開していきます。私は全く読みませんが、今で言うと「ライト・ノベル」ってヤツではないでしょうか?
ただし、作者の平田晋作の軍事知識は結構基礎がしっかりしているようです。
平田さんは兵庫県赤穂郡は加里屋という所で、明治37年3月6日に裕福な薬種商の平田夫平・しずのの次男としてお生まれになりました。
次男と言っても6人兄弟の第五子で上に姉三人と兄一人、下に妹一人がいました。
この兄ちゃんの内蔵吉(明治34年~昭和20年)さんが「出来ブツ」でありまして、京都帝大の医学部に学び、それなのに医者にも研究者にもならずに「民間療法や吉凶判断の著作」を何冊も出版して結構な有名人におなりになるんであります。
加里屋という土地は四十七士で有名な赤穂藩の城下町です。東に千種川が流れ、南には播磨灘が広がっている所。
平田晋作の脳裡には、ガキの頃から播磨灘の穏やかな海が焼き付いていたのではないかと思います。のちに「船」や「海」を創作の中心に据えるのも、この「原風景」があればこそ、かも知れません。
「太平洋戦争」の開戦
電脳大本営が「太平洋戦争」とか言うとる!とか怒らないの(笑)
平田晋作が代表作「昭和遊撃隊」の中で日米戦争をその名で呼んでるんです。電脳大本営は「あの戦争」は「大東亜戦争」としか呼びませんから。
ただですね、平田晋作が少年雑誌に連載したときは、確かに日米(アメリカはA国ってなってますけどね)戦争なんですよ。
ところが、昭和10年2月に「大日本雄辯会講談社」から出版された単行本になると、「日本人と同祖の海洋民族国家 “八島王国”」 と、「南米の白人国 “アキタニア国” 」の戦争になっちまうんです。
理由はハッキリ判りませんけど、皆さまがご推察なさってる通り「検閲」だと思って101%間違いないでしょう。これね、一つの注目ポイントだと思うんです。
少年小説・仮想戦記・ラノベではありますが、この小説は帝国ヨイショ、帝国海軍万歳・アメリカdisなんでありまして、当局はアメリカ合衆国との余計な摩擦を恐れて「発禁か書き換えか」と迫ったのでありましょう。
実際、この前後に「発禁」になった仮想戦記は沢山あるんです。
「アメリカ総攻撃 」(F・ギボンズ著昭和7年)「打開か破滅か興亡の此一戦」(水野広徳著昭和7年)「日米開戦・米機遂に帝都襲撃?」(綿貫六助著昭和8年 )「少年肉弾戦」(村田義光著 昭和10年 )「危し!祖国日本太平洋の激戦」(津乃田菊雄著昭和11年 )「太平洋行進曲」(長野邦雄著昭和12年 )「太平洋非常艦隊」(宮島惣造著昭和12年 )「日米大海戦」(島次郎著昭和12年 )「予言日米戦争実記」(佐久間日出男著昭和12年)
枚挙に暇がないほどであります。平田晋作は筆を曲げやがった、ワケではありますが、帝国政府は昭和10年代に入ってもアメリカを無用に刺激することを慎重に避けていた、と見るべきでありましょう。
さて、物語は大日本帝国とアメリカ合衆国が戦争をおっぱじめない事には動きださぬ道理でありまして。
開戦のキッカケは揚子江上での我が駆逐艦「旗風」でありました。
昭和○年一月の終、凍るように寒い朝だった。
張学良は五人の米人将校をひきつれて南京の飛行場を飛びだした。赤い戦闘機六機は、揚子江の上へ来ると、ぐっと機首を下へ向けた。
下には泥色の水に『旗風』が浮かんでいる。軍艦旗が花のように見える。
アッ、張学良がサッと右手を上げて合図をした! 爆弾投下だッ。
小さい二十瓩爆弾がバラバラッと落ちて行く。『旗風』は見る見る水煙でつつまれた。火災が起って煙突からどす黒い煙がもうもうとわいて出た。真赤な焔が、めらめらとマストのあたりに渦まいた。
卑怯千万な不意討だ!
張学良、実名で出とるやん!
言わずと知れた張作霖のドラ息子、蒋介石を監禁して「国共合作」を強要し、China全体を反日に導いた阿呆であります。
わたくしめ、このあたりに平田晋作の非凡を感じちゃうんですね。
勿論、平田は大東亜戦争の帰結を知っていたワケがありません。それどころか、実際の開戦の前に…。
で、駆逐艦「旗風」は飛行機だけではなく、アメリカ砲艦を含む15隻もの大艦隊を相手に孤軍奮闘!
7隻を撃沈・8隻を撃破、カーチス戦闘機も4機を撃墜して、ついに刀折れ、矢尽きます。
砲弾がなくなった時、「もはやこれまで!」と自ら火薬庫に火をつけて爆沈した。
揚子江上にサッと火の柱が立ちのぼったと思うと、『旗風』は泥水のなかに姿を消してしまったのだ。――いかにも日本の駆逐艦らしい、いさぎよい最期ではないか。
因みにこの時張学良が搭乗していたのは「カーチス戦闘機」って事になっております。
この後、日本近海(東シナ海、南シナ海周辺)での日米小競り合いがあり、ついに宣戦布告に至ります。
――『旗風』が沈んでから二日目には、もう宣戦が布告された。
宮城の中に大本営が置かれ、戒厳令が下った。
聯合艦隊司令長官末山大将は旗艦『長門』に乗って、横須賀から伊勢湾に向って急行した。伊勢神宮に戦勝を祈るためである。
末山大将は吉田松陰や山県有朋を生んだ長門の国の人である。痩せた小さい提督だが、その眼には鷲よりも強い光がある。『戦術の神様』として、大将の名は世界に鳴りひびいているのだ。
大将は森厳な伊勢の神域にうずくまって、沈黙の祈をささげた。
「海行かば水づく屍、もとよりわが聯合艦隊は全滅を覚悟して戦います。天つ神、国つ神よ、ねがわくはこの皇国を守らせたまえ。」
――これが大将の祈だった。伊勢湾は日本人にとって、『神の海』である。しかも戦略的に見ると、太平洋作戦の根拠地として、東京湾に次いで重大なところなのだ。横須賀、呉、佐世保三軍港のどれからもそんなに遠くなく、しかも艦隊の行動をかくすのには持って来いだ。秘密根拠地として、これ以上の湾はちょっとないだろう。
末山大将がこの『神の海』を第一期の根拠地にしたのは、さすがに『戦術の神様』だけのことはある。
『長門』につづいて百五十数隻の軍艦、駆逐艦、潜水艦、特務艦が、三つの軍港から、伊勢湾をめがけて急行した。
伊勢湾がホントに「戦略的に見ると重大」かどうか、電脳大本営が言うまでも無いでしょうが(笑)。
伊勢湾では域外の人には意外かも知れませんが、牡蠣の養殖も盛んでしてね。儂は毎年家族で喰い放題に行っておりますぞ。牡蠣小屋あたりで喰うのとはじぇんじぇん違う。
そして物語は伊勢湾から離れて太平洋上の絶海の孤島「碧海島」へと展開いたします。ココには大日本帝国か八島国か、どっちでも宜しいが艦隊秘密基地があるんです。
絶壁に空いた狭い水道を通って内部の湾に入ると、意外に広い。絶壁にある巨大な洞穴には軽巡洋艦が4隻、巡潜改造の潜水艦が3隻も隠れてる!
これが「昭和遊撃隊」なんですね。4隻の軽巡洋艦と申しますのは現実の「最上型」なんですが、艦名は「最上」「三隈」「吉野」「千種」となっています(リアルでは後ろ2艦が「鈴谷」「熊野」)。
リアル最上型と違って「東京帝大の青木博士が造った世界一の光学兵器があり、又、長岡半太郎博士のこしらえた恐しい新兵器も備えてある」ばかりか、清君の歳の離れた兄ちゃんの武田敏夫博士が工夫した「武田ディーゼル」で超長大な航続距離を誇り、本田博士考案の「本田鋼鉄」で戦艦以上に頑丈な装甲を身に纏っているんであります。
潜水艦の方は「八島」「千代田」「秋津洲」と名付けられた20糎砲装備・神風(じんぷう)式戦闘偵察機搭載(ただし、後甲板)の3隻。
平田晋作の学力
まあ、この作品は一種のSFとも言えますので、目を瞑ってあげたい所ですが。それでも少しはリアリティってモンが欲しいですわ、かつてバロウズの火星シリーズを愛読して、デジャー・ソリスが初恋の人だった者としてはね(笑)。
そこで作者平田晋作の学力に注目してみますと、意外というかやっぱりというべきか。
平田クンは赤穂小学校を卒業後、龍野中学に進学したものの、理数系が大の苦手だったようで、成績不良のままで自主退学しちゃうのであります(大正8年)。
以降の平田クンの学歴は不明であります(龍野中学を卒業して早稲田大学の聴講生となった、という説もあるんですが…お金持ちの家に生まれてるのに、中学卒→聴講生は無いと思うんです)。
この大正8年に平田晋作は「文章世界」という文芸誌上で知りあった寄稿家の藤原啓(のち陶芸家として人間国宝になります)からの誘いで、神戸に賀川豊彦(普通のキリスト教系社会活動家だったがだんだん左傾)を訪ねています。
この訪問で(かどうか自信はありませんが)平田クンは社会問題に開眼します。大阪砲兵廠に入廠して職工にして貰ったのに、重労働に耐えられず?たった三ヶ月で辞めてしまったのもこの頃。
大正9年には平田クン、有名作家の随筆に登場いたします。これが彼の文壇デビュー(笑)。その随筆とは菊池寛の「ある青年」であります。
菊池寛と平田クンはその1、2年前から手紙のやりとりをしていたそうで、愛読者が作家を訪問したワケですね。これが初めてではなく、前の年にも一度面会しているのですが…
会って見ると、去年見たやうな少年らしい面影は、スッカリ無くなって居た。もう大人に近い青年になり切ってしまつて居た。それよりももつと駭いたことは、此少年の思想や話し振が、半年の間に激変して居る事だつた。去年会つた時、少年は、たわいもない世間並な文学愛好者だつた。自分に寄越した手紙なども、甘つたるいセンチメンタルな子供々々した手紙だつた。それだのに、僅か半年の間に、もうスツカリ一個の立派な青年社会主義者と云つたやうな者に、なり切つて居るのだつた。
平田青年、赤く染まってしまっていたのであります。
ミッドウェイ攻略
作者の赤化を他所に(笑/あらすじの紹介と平田晋作の思想の話は同時進行じゃないからね、お判りでしょうけど)「昭和遊撃隊」の巡洋艦4隻はミッドウェイ島へと向かいます。
ハワイの真珠軍港から千浬ほど西に、ミッドウェー島がある。太平洋のまん中にぽっかりと浮かんだ離れ小島だ。黒い岩山の上をまっ白な鴎がとび、海岸には椰子の葉風がそよそよと吹いている。
あたたかい、平和な南の島だ。
しかし、その椰子の葉がくれに見える水色の大巡洋艦三隻、――ひらひらとひるがえる星の軍艦旗。これぞ米国偵察艦隊の前衛、第三巡洋艦戦隊の『シカゴ』と『ヒューストン』と『オーガスタ』である。
みな一万噸の大艦で、三十糎砲を九門持っている。
――平和な、絵のように美しいこの島は、じつは恐しい米国海軍の、前進根拠地なのだ。
そして昭和遊撃隊は、この根拠地を占領しようとして、やってくるのだ。
二月七日の朝。『最上』を先頭に、わが遊撃隊はミッドウェーの沖合とおくあらわれた。
神風式偵察機が一機、二機カタパルトから発射されると、戦闘旗がするすると檣の上たかくかかげられ、六十門の十五糎砲が、みな、右舷はるかに見える島かげに向けられた。
三万五千米! 『陸奥』『長門』の四十糎砲でも、まだ射撃できないほど遠い距離だ。それだのに『最上』は、はやくも「射撃ハジメ」の信号旗を上げているではないか。
四人の砲術長の手が、ボタンを押すと、たちまち「キラッキラッ」と白い火がきらめいて、黄いろい煙がむくむくとわき立ち、
「ドドドド……ごォーッ」と雷のような砲声がとどろきわたった。「ヒューンヒューン」――弾は悲鳴をあげて飛んで行く。
軽巡洋艦の遠距離射撃は陸上の火薬庫を破壊し、突出してきた重巡「シカゴ」を一撃のもとに撃沈。カーチス戦闘機には神風偵察機も手こずったものの、飛び立った全18機を撃墜。
ミッドウェイ島占領も時間の問題、と思われたのですが…
いかがでしょうか?昭和9年ですよ、連載されたのは。平田晋作恐るべし、と思われないでしょうか。
えっ、これだけでは驚かぬ、と申されるか。さすが電脳大本営の読者諸兄でおられますな。
「昭和遊撃隊」の巡洋艦隊の方には、我らのヒロイン「燁代(あきよ)さん」が何故か乗り組み、波しぶきを頭から浴びて水浸しの役回りを演じている事を付言しておきます。
平田の奴、この小説が映像化されたときの事を計算してやがったに違いありませんな(笑)
ではでは、「昭和遊撃隊」のもう一方に目を移しましょう。
「八島」「千代田」「秋津洲」の砲力強化型巡洋潜水艦で構成されたコチラの戦隊には「清クン16歳」が乗り組んでドジを晒すんですが、なんと攻撃目標は「ハワイ真珠軍港」なんでありますよ。
いや、青空文庫版にはハワイとは書いてなくて「紅玉島」となっていまして。でも
「今から三十五年前まで、この紅玉群島は小さいながら、独立の国だった。それがA国にだまされて取られてしまい、哀れな紅玉国の女王様は、「口惜しい口惜しい。」となげきながらおかくれになった。」
「音に聞えた金剛石砲台には、四十糎の大砲が三門、森のかげにすえつけられ、紅玉湾の奥の方には五万噸の大船渠が浮いている。」
となればこれはハワイでしょう。ちなみに「金剛石」はダイヤモンドね。ハワイ攻撃まで「予言」してる平田晋作、どうです!恐るべしでしょう?
しかし、我が潜水艦隊がその巨砲で攻撃する前に、アメリカ太平洋艦隊は出撃してしまうのであります。
ああ、向うの岬のはしから、はるか眼に見えぬ沖へかけて、A国太平洋艦隊の陣ぞろいだ。
今や、司令長官ヤーネル大将は、旗艦『ケンタッキー』の檣高く大将旗をなびかせ、日本大遠征の出陣をしようとしているのだ。彼のひきいる艦隊は、
戦艦十五隻
航空母艦七隻
大巡洋艦十五隻
軽巡洋艦十五隻
航空巡洋艦三隻
駆逐艦百六十四隻
潜水艦五十七隻
特務艦四十八隻
ああ三百二十四隻の恐しい大艦隊、これこそ太平洋の『無敵艦隊』である。
旗艦『ケンタッキー』の司令塔には、ヤーネル大将が鷲のような大きな青い眼を光らせ、やせたマハン参謀長は、じっと名残惜しそうに海岸の椰子の林をながめている。
いよいよ出動だ。
金剛石砲台の向うから、陸軍の飛行機が梯陣をつくってあらわれた。お別れの飛行である。
どどど――どん
砲台も礼砲を射ち出した。
旗艦の後甲板からは、勇ましい中に悲しいひびきがこもる『別れの曲』が聞えて来た。
先頭の水雷戦隊がまず動き出し、つづいて潜水戦隊が波をけやぶって進んだ。
『海豚』『鯨』『竜巻』『黒潮』『海賊』『コロンブス』――この六隻はA国海軍が自慢する大潜水艦で、『八島』や『千代田』に負けぬほど強いやつだ。
もしもし?「大潜水艦」のネーミングに規則性が感じられないのは、いかなるワケなんでしょうね。
迎え撃つは、末山提督率いる大日本帝国海軍連合艦隊。想定戦場を小笠原諸島沖として、「島影に隠れて」アメリカ艦隊来寇を待っております。
「暁民共産党」事件
作者平田晋作の話に転じます。
中学校を中途退学して、早稲田大学で聴講生になった、そのころ思想的に「赤く」なっていた、という所までは既にお話させていただきました。
大学という所が、放っておくと反国家思想に染まりやすいのが我が日本国の弱点でありますが、この時もそうでした。早稲田大学卒を誇りに思う方には申し訳ないと思いますが、キャンパスは真っ赤っかだったようです。
当時は治安警察法(明治33年制定)によって集会・結社の自由が制限されていましたが、高津正道や高瀬清などと言った学生が「民人同盟会」と言った赤い組織を作ります。
もちろん組織そのものが違法なんですが、この違法状態をものともせず、阿呆学生どもは細かな思想的路線対立で分裂・合体を繰り返しています。
そんな中に「暁民会」という組織がありました。平田がイッチョ噛みしてたのはこの「暁民会」で、ついに国際コミンテルンと連絡を取り(金も貰って)「暁民共産党」に発展していくのです。
ヒミツ違法組織でありますから、ハッキリとは判りませんが、大正10年8月20日ごろに四谷南伊賀町の仲宗根源和宅で、「暁民共産党」の第1回会合が催されたようであります。
当日参加した会員は9名だったそうで、役員を定めています。
執行委員長・近藤栄蔵、宣伝部長・高津正道、出版部長・高瀬清、調査部長・平田晋策、会計部長・仲宗根源和、庶務部長・山上正義。
出たでしょ?平田晋作。なんと、後の海軍ヨイショ作家、軍事評論家は日本初の共産党組織で調査部長をやらかし、反軍ビラを播いていたのであります。
たぶん、ですけどこの「暁民共産党」こそ、我が国で初めて「共産」を名乗った組織だと思います。
初の共産党だとは言っても彼らがやらかしたのは宣伝ビラをつくって東京・大阪など都市部で配布する程度の事でした。
これが少しエスカレートし、大演習のために民家に分宿中の陸軍将兵向けに「上官に背け」などといった印刷物を送付するに至り、中心メンバー15名が逮捕される事態となります。
近藤栄蔵・高津正道(連合赤軍・浅間山荘事件を「称賛」したパヨ)ら中心メンバーはこれに懲りることなく、逮捕後の裁判中から新たな活動を計画しています。片山潜・佐野学・堺利彦などの大立者と接近し「暁民会」よりさらに緻密な計画を立案し、大規模な「日本共産党」を結成することになります。
しかし平田晋作はこの新組織には参加しませんでした。参加するどころか、逮捕後の取り調べに、ベラベラベラベラと組織の内情を喋ってしまったようです。
この後、平田は仏教に傾倒したりするんであります。
艦隊決戦
昭和遊撃隊の話に戻ります。
ハワイ攻撃に向かった3隻の潜水艦のうち、「千代田」は緊急潜水に取り残された「清クン」を捜索するために離脱。「八島」はハワイ・ダイアモンドヘッド砲撃には成功したものの、反撃で撃沈されてしまいます。
残された「秋津洲」は清君を拾った(清君は日本に協力する「ラノン海賊」の子孫に助けられていました。手漕ぎ&帆掛けで移動した「ラノン海賊」はその後弓矢でハワイ要塞を攻略してしまいましたw)「千代田」と合流してアメリカの大艦隊を追います。
アメリカ艦隊はついに連合艦隊の待ち受ける小笠原に至ります。
そのうちに、東の空は、だんだん明るくなった。
ああ、東西の二大艦隊は、じりじりと近づいて来た。刀は抜かれた。
午前六時、わが第二艦隊と敵の偵察艦隊が、とうとうぶっつかった。小笠原の東五百浬、鳥島の北二百浬のところだ。
わが司令長官は山口中将、A国はメーソン中将、どちらも元気な勇将だ。
水上機がカタパルトから射ちだされた。日本機は銀色、A国機は水色である。
味方は八機、敵は十二機、じっとにらみあった。二秒、三秒、かッと一しょに火を吹いた。機銃のうちあいだ。鷹と隼のうちあいだ。
二、三合、はげしくわたりあうと、水色機が三機、ひゅーんとかなしげな悲鳴をあげて、きりきりまいながら、もえ落ちて来た。
すごいぞッ。日本空軍!
山口中将は、空中戦にかまわず、『愛宕』『高雄』『妙高』『那智』の四大巡洋艦をひきいて、ぐんぐん敵陣におしよせて行く。
三万米。二万五千米。二万米。――よしッ。
四十門の二十糎砲が、右を向いて、むっくりとかま首を持ち上げた。
戦闘旗が四つ。花のようにひるがえっている。
「射方はじめ」の命令がいつかかるか。ねらいをつけた砲口は、敵のかげを追って、動いている。いまは、弓をぎゅーっとひきしぼったところだ。
敵の砲口も、こちらへむいている。息のつまるようなにらみあいである。二つの戦隊は走りながら、にらめっこしているのだ。
わが艦隊は、なかなか射たない。やがて、A国艦隊はじれったくなって来たらしい。
ええめんどうだッ。敵の砲術長が、かんしゃくをおこしたのだろう。
先頭戦隊の四艦が電のような砲火をひらめかした。
はっと思うと、波をひきさくひびきがして、三十六の大砲弾が、おそいかかった。
近いぞ。弾は、わが戦隊の右二百米のところへ落ちた。
ごォーッと、おそろしい音をたてて、水柱の林がわきあがる。
美しい彩色弾だ。弾の中のインクがとけて、水ばしらをそめるのだ。
赤、青、紫、――甲艦、乙艦、丙艦の弾が、みんな、ちがった色インクをつかっている。
敵の砲術長は、この水ばしらの色を見て、自分の射った弾の、遠い近いを見わけるのである。
わが艦隊は、美しい五色の虹につつまれた。色とりどりの水煙が、さッと吹きちると、敵艦はまた、電をひらめかした。
二どめの砲撃だ。
○
諸君。いよいよ太平洋海戦ははじまった。末山艦隊は二百隻をもって、ヤーネル艦隊の三百隻にぶっつかるのだ。むつかしい、苦しいこの一戦!
リアルの大日本帝国海軍が切望して、ついに果たせなかった「日米艦隊決戦」は既に昭和9年、「元共産主義者」の平田晋作によって(紙の上で)実現していたのです。
さあ、この決戦の帰趨や如何に。本作品の目玉超兵器の「飛行潜水艦・富士」も未登場だしなあ。
青空文庫で「昭和遊撃隊」をお読み頂けば、帰趨など今すぐでもお判りになるんですけど(読まないでも、だいたいの想像は付きます)、電脳大本営では平田晋作が共産主義から帝国軍ヨイショ派へ「転向」した経緯も考えつつ書いていきたいと思います。
ここまで、違法な結社を作り、反軍ビラを配って回った阿呆でも、マトモに裁判を受けて社会に復帰できる戦前日本社会の姿が、少しでも描けていれば良いなあ。
パヨが宣伝するような「暗い社会」ではないことは判って頂けると思うのですが。