南鮮軍機、横田基地侵入!から考える
南朝鮮のF16戦闘機が6機、米軍横田基地へ緊急着陸したニュースが報じられました。「なんで敵国機を領空へいれるねん!」って言うお怒りの声が大きいようですが、そちらは皆様の卓見にお任せするとして…
空中給油失敗か?
南チョソ軍の発表だと、半島の基地からアラスカへ訓練に行く途中、米軍機からの給油に失敗したようです。地図をご覧になると判る通り、我が列島を通り抜けてから空中給油を実施したのではないかと想像できます。
燃料が足らなくなったんで慌てて引き返してきたんでしょう。敵ながら不細工です。
真正の敵国機に本土上空を飛行させ、米軍が使用しているとは言え我が領土のそれも首都の直近、陛下のお膝元と言えるような土地に着陸させたことは誠に腹立たしいことではあります。でもまあ、そこはグッと我慢いたしましょう。
空中給油はかなり歴史の長い技術です。
片方の当事者アメリカ軍ですと、陸軍航空隊のDH-4爆撃機同士が早くも1923年に成功させています。日本軍も昭和6(1931)年に空中給油実験をしています。しかし各国は空中給油は利点が少ないと判断してしまい、滞空時間の世界記録樹立などに使用されただけで終りました。
本格的な空中給油技術の確立は戦後になってからですが、それでも半世紀以上の歴史を刻んでいます。まあ米軍側のミスって事は考えにくいですね、当然ですが。
空中給油の効用として考えられるのは、まずは滞空時間って言うか航続距離の延伸ですわね。
例えば戦闘機がCAP(戦闘空中哨戒)任務に就いたとしますと、通常なら武器(ミサイルなど)を搭載した状態で滞空時間は3~4時間程度でしょう。基地から哨戒空域まで行って戻らなければいけませんから、実際の哨戒時間はもっと短くなります。
その上、給油中でも哨戒活動を中断する訳にはいきませんので、何機もの戦闘機を準備して途切れなく発進させなければいけません。効率が悪いんです。
空中給油を行ってやれば、1機で長時間に渡る哨戒をすることができるのです。訓練だって基地からの往復時間が短くなって効率が上ります。
空中給油は飛行時間の延伸だけでなく、搭載能力を向上させることもできます。特に軍用機では、「最大離陸重量」が「最大飛行重量」を下回ることが良くあります。離陸するのはそれだけエンジンにも揚力にも負担なのですが、ランディング・ギアの強度も関係しています。
そこで燃料はごく少量だけ積み、離陸重量の出来るだけ多くをミサイルや爆弾などの兵装に振り分けるのです。離陸した後で空中給油してやれば、最大飛行重量いっぱい一杯まで武器を積めますね。
旧海軍だとRATOかな?
この空中給油の効用は、大日本帝国海軍で言うと「天山」や「流星」に用意されていたRATO(ロケット発艦促進装置)に相当するんではないでしょうか?
大東亜戦争も後半に入ってから登場してきた新型の艦上攻撃機や艦上爆撃機は(我が軍機に限らず)大型化し重量も嵩んで、航空母艦の飛行甲板から発艦させる為にはカタパルトが必須となりつつありました。
でも帝国海軍は空母用のカタパルトが開発出来なかったので、「天山」や「流星」を発艦させるには「ロケット補助推進」が必要になってしまったのです。
日本のRATOは昭和19年前半には開発が完了していました。しかしマリアナ沖海戦で大敗した大日本帝国海軍に、攻撃的に運用可能な機動部隊も航空母艦も搭乗員も残されてはいませんでした。
ですから実戦で「天山」「流星」がRATO(ロケット補助推進離陸)を用いたことはないようです。
まあ「流星」は戦争終結までに量産出来たとは言い難いですけどね、どちらも性能的にはアメリカ艦載機に勝るとも劣らぬ機体だっただけに残念です。
飛び立ちさえすれば、重い武器を積んでアメリカ艦隊に迫れたはずなのに。
航空魚雷
さあ、やっとおぞましい「超汚染人の横田着陸事件」から本来の電脳大本営の守備範囲に入って来たぞ(現代戦もやらねばイカンのは理解してますがね)。
ここまで要は
「飛行機って飛び立ちさえすれば、重たい武器を積んでも結構いけるんじゃね?」
って言う話であります(笑)
大東亜戦争のころ、飛行機に積む武器で重たいと言えば魚雷です。大日本帝国海軍の魚雷は世界で唯一実戦運用された「酸素魚雷」で、超絶的な性能を誇っていた事は皆さん翌ご存じだと思います。電脳大本営でもチョコチョコ登場してきています。
この酸素魚雷は「93式魚雷」が水上艦艇用、「95式魚雷」が少し小ぶりな潜水艦用で、航空魚雷は開発されなかったとされています。
ところが、実際には「酸素航空魚雷」は開発チャレンジはされているんです。それも93式の後、95式の前に開発しているんです。つまり94式、ついでに申し上げておくと、大東亜戦争中ずっと使われた航空魚雷は91式です。
93式はデカいですから、ココでは割愛させて頂いて他の魚雷を比べてみましょう。各型式ともに改良型がありますが、簡単に代表的なモノだけ。
91式航空魚雷 | 95式酸素魚雷 | 94式酸素航空魚雷 | |
---|---|---|---|
重量 | 848kg | 1,665 kg | 1,500kg |
全長 | 5270cm | 7150cm | 6700cm |
直径 | 45cm | 53.3cm | 53cm |
最大射程 | 2,000m/42ノット | 12,000m/45ノット | 4,000m/45ノット |
炸薬量 | 炸薬量235kg | 弾頭400kg | 弾頭350Kg |
となっています。
ご注目頂きたいのは、94式酸素航空魚雷の射程距離です。航空魚雷なんだから、敵艦に直近まで迫って発射する、だから4キロもあれば十分だ。
とも言えそうですが、それこそが帝国海軍の上層部が基本的に持っていた誤まった戦術思想だと私は思っています。
何処が間違っていたのかと申しますと、少し長くなるんですが。
小沢治三郎
マリアナ沖海戦において、小沢治三郎第三艦隊(兼第一機動艦隊)司令長官が「アウトレンジ戦法」を採用して大敗したことは良く知られていますね。
アウトレンジ戦法の良否や小沢長官の指揮の巧拙にはいろいろな見方があります。極端に言ってしまえばこの時点で彼我の技術力に大差が付いていた、と言う考え方もあり得ます。
VT信管やレーダーの性能と装備率、レーダーピケット艦システムの採用などの運用まで含め、戦力差まで考えると、どう指揮を執ったところで勝てそうも無いと。
でもね、空母の数だと我9隻vs彼15隻。9隻の空母って言うのは真珠湾以来、最大の集中運用です。搭載機は諸説ありますが、ざっと500機弱対1000機超ってところでしょうか?日本側はこれに基地航空隊も加わります。
総合的に見て、単純戦力ならアメリカ艦隊の2/3は確保していたとみて間違いないでしょう。
大日本帝国海軍として最大規模の艦隊が出撃していたのです。2/3の戦力では有利とは言えませんが、圧倒的に不利なんでしょうか?やり方次第で勝ちを拾うことも十分可能な戦力だと思うんですが。もっとも、搭乗員の技量については全く考慮してませんけどね(笑)。
ところが、現場指揮官の小沢さんは『彼我の兵力・練度からして、まともに四つに組んで戦える相手ではないことは百も承知』していたとおっしゃってます。戦後の防衛庁の聞き取りですけどね。
そう思ったんならもっと工夫すりゃあ良かったのに…と言う点を考えてみたわけです。
アウトレンジ
小沢提督が採用した「アウトレンジ戦法」は何もこの時にポッと出てきたモノではありません。海上では主力艦の殴り合いに関して昔から言われていた戦法で、と言うか
『敵弾が届かない所から、こっちの砲弾を撃ち込んでやれば勝利間違いなし』
なんぞ戦術論以前の問題のような気もします。
ただし、やられそうになった相手は必ず逃げますから、そう簡単に実践できるものでもありません。
小沢提督はこれを航空機を使ってやろうとしたんですが、ご本職の砲撃戦と同様に考えていることは『航空機は砲弾である』というご主張に端的に出てしまっています。
ところが航空機と言う砲弾は、単に撃ちだしてやれば飛んで行くわけじゃありません。パイロットが操縦しなければ、母艦から1メートルだって離れないモノなのです。まして敵艦隊に有効な打撃を与えるには大変な技量が必要なんです。
長距離を飛ぶとなるとなおさらです。マリアナ沖海戦では小型爆弾を積んだ零戦で敵空母の甲板を叩いてやることも柱の一つでした。単座の戦闘機で洋上を長距離進出するのは、航法を考えればベテランにも大変な負担になります。
ソロモンを巡る互角の激闘で、ベテラン搭乗員を消耗してしまったのがココで効いてきます。帝国艦隊はギリギリまで新搭乗員の錬成に努めましたが、幾つもの不運も重なって思ったように訓練ははかどりませんでした。
例えば作戦への出撃拠点のタウイタウイ泊地では狭すぎて環礁内では訓練できず、二航戦の奥宮正武航空参謀によれば「タウイタウイでは練度を上げるどころか練度を下げないように腐心した」そうです。
「その頃の搭乗員の練度は何とか着艦ができる程度、洋上航法や空戦はやっとこさ」という証言もあります(363空飛行長進藤三郎)。
しかも、待ち受ける米軍の防御は鉄壁でした。帝国海軍とは違って空母を4群(別に戦艦群1)に分けてそれぞれ護衛艦艇を貼り付け、別働の駆逐艦隊をレーダー・ピケットとして280キロ先に進出させます。攻撃力を駆逐艦に吸収すると同時に、其処からの情報で艦載戦闘機を適切に誘導して効率的な迎撃を行わせるのです(艦隊前面70~80キロで待ち受け)。
これを突破して敵艦隊上空に達しても、対空砲火は熾烈でした。帝国海軍将兵が予想すら出来なかった「近接爆発信管(VTフューズ)」が我が艦載機を待ち受けていたのです。
「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されるほどの大殺戮の幕開けでした。実際には「VTフューズ」は発射された高角砲弾の、多くても20%ほどにしか搭載出来てなかったようで、大きな効果はアメリカ軍の対空照準システムにあったようですが。
遠距離飽和魚雷戦が出来てたら
当時は大日本帝国海軍に限らず世界中の飛行隊でもっとも生還率が低いのが雷撃隊だと言われていました。
米海軍の例を出しますと、ミッドウェイ海戦にダグラスTBDデバステーターが40機出撃しているんですが、被撃墜34機・帰投不能2機・帰還後破棄1機、残存機は僅かに3機。搭乗員120名の内79名が戦死する大損害を受けています。
大東亜戦争を通じてデバステーターの帰還率は10%とのデータもあるのです。
大日本帝国海軍の航空隊では「3度の昼間雷撃に生還した者はいない」と言われていました。実際には3度以上の雷撃に出撃し、生きて敗戦を迎えられたヒーローは実在してたんです。しかしこの方だって一度は被弾で帰投できず途中で不時着水し、近傍の島の守備隊に救われています。
米軍の迎撃態勢にしても、雷撃隊の大損耗率にしても、自軍パイロットの錬成不足にしてもすべて事前に判っていた事です。もし、小沢治三郎が「アウトレンジ」さえしなければ。
いや、「アウトレンジ」は悪くありません。徹底的に「アウトレンジ」にこだわってくれたら良かったのに。
砲術屋の小沢治三郎提督が考えた、遠くから攻撃隊を発艦させ、攻撃隊は敵艦隊の至近まで迫る、単純な「アウトレンジ」ではなくて。
長大な距離を走ることができる酸素魚雷を使って、遠距離から飽和攻撃が出来ていたら?
あ、いやいや判ってますよ。94式航空魚雷でも4000メートルしか走らない。
でもね、95式と重量は変わらんのですよ、大して。できた筈なんです。
開発の時には、雷撃隊の損害率の大きさも想定できたはずですしね。
技術的には十分可能だったんです。91式よりかなりデカく重いですが、そこはまあ、RATO使ってね(笑)
想像してみて下さいよ、大小取り混ぜってのが少し悲しいけれど、9隻の航空母艦から発進する500機の攻撃隊。迎撃戦闘機の群れを突破したら、5分ほどで魚雷投下。攻撃機は敵艦隊のマストを見るか見ないかで引き返していくのです、反復攻撃のために。
あっ、40ノットで40キロ以上走るのは93式の方だったか!(笑)