神風型駆逐艦の運命 その1
『駆逐艦神風』の活躍は、以前にフェイスブックの非公開グループ「軍事・軍隊・武器・兵器・戦術・戦略等軍事関連の研究」に投稿しておきました特Ⅲ型駆逐艦『響』の不死鳥ぶり並んで特筆モノです。
神風型駆逐艦(画像と要目はこちら)
を姉妹艦まとめて紹介申し上げます。
『響』につきましても、近々記事にさせて頂こうと思っています。
今週は雪風・綾波とは対照的にパッとした海戦には参加もせず、少なくとも3度は沈みかけては復活した駆逐艦です。
特型駆逐艦『響』
1933年3月31日就役。速力38.0ノット、
50口径12.7cm連装砲 3基6門、13mm単装機銃 2挺、なんと言っても61cm3連装魚雷発射管 3基
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日本独自の駆逐艦
要目などはリンク先のページでご覧いただきたいのですが、八八艦隊随伴用に建造されたクラスですから、航洋性には十分な配慮が払われています。
神風型の公試画像(疾風)をご覧ください。我が国の軍艦の特徴の一つであるスプーン・バウ(スプーンの裏側のようにカーブした艦首)が鋭く海面を切り分け、それに続く船首楼の舷側部が軽く外側にカーブしています。画像はクリックして頂くと拡大出来ます。
これをフレアといいますが、波浪が甲板に乗りあげてくるのを防ぐためです。
船首楼上には一番砲がありますが、砲手が海水に妨げられることなく砲撃作業が出来るように、との配慮もあります。
船首楼と艦橋との間の甲板が一段低くなっているのもお判りでしょう。
これも艦首や船首楼が波に突っ込んでしまった時、海水を一旦下に落として力を削ぎ、艦橋を直撃する事を防ぐ工夫です。
こうした工夫の積み重ねが、それまでのお手本だった英国の駆逐艦をしのぐ、日本独自の艦隊随伴型駆逐艦を造っていったのです。
神風型画像集
この後、特型駆逐艦のように個艦の戦闘力を高め、世界の耳目を集める優秀艦が誕生していきますが、やや武装過剰とも言え「フネ」の能力としてはどうだったんでしょうか?
友鶴事件や第4艦隊事件を知っている私たちが言うのは結果論になってしまいますね。
主砲が砲塔式になっていなかったり(砲塔のように見えますが前と横のシールドです)、罐は石炭混焼(後に換装)だったりとクラシックなスタイルに見えますが、艦隊随伴用の駆逐艦としては一応の完成を見たクラスと言えます。
爆雷搭載も
追風・疾風・朝凪・夕凪の4隻は後期型と言われて、設計を若干変えて、兵装も変化しています。
特に爆雷の搭載は日本の駆逐艦としては初めての事で、後に前期艦にも搭載され、ネームシップ『神風』の名を高からしめることになります。
爆雷はもともと第一次大戦でドイツの潜水艦による通商破壊に苦しんだ英国が、悩んだ末に開発した画期的な対潜兵器です。
何故か我が海軍は導入には熱心ではありませんでしたがついに神風型から取り入れることになりました。
同型艦が9隻のために4隻づつの駆逐隊には1隻余ってしまい、『神風』は峰風型3隻とカルテットを組むことが多くなりました。
模型が出てます↓
1/700 日本海軍 神風型駆逐艦 神風 【フルハルモデル + 特殊潜航艇 海龍】
大東亜戦争の勃発時には既に旧式化していた神風型ですが、
第三艦隊・第五水雷戦隊(旗艦「名取」)の第5駆逐隊に「朝風」「春風」「松風」「旗風」、第四艦隊・第六水雷戦隊(旗艦「夕張」)の第29駆逐隊に「追風」「疾風」「朝凪」「夕凪」
の8隻が配属されて南方攻略作戦に参加しました。
『神風』だけは大湊要港部の所属艦で「野風」「沼風」「波風」(3艦とも改「峰風」型)と第一駆逐隊を編成して千島、アリューシャン方面で哨戒や船団護衛に従事していました。
この配置が大東亜戦争を戦う神風姉妹9隻の運命を大きく左右する事になっていきます。
少し長くなってきましたので、項をあらためて神風型の運命、続きを書きます。