神風型駆逐艦の運命 その2

旭日旗イラスト

神風型駆逐艦の運命 その1 より続きます。
神風型の画像と要目はこちら

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妹たち(同型艦)の奮戦

長姉(ネームシップ)『神風』だけを北方に置いて、大東亜戦争に突入した8姉妹でしたがあまり名誉でもない戦闘が起こります。

ハワイ空襲とほぼ同時に攻略を狙った、戦略上重要な拠点(米本土-ハワイ-フィリピンの中継点)のウェーク島への攻撃(第4艦隊担当)が難航してしまいます。

大東亜戦争の緒戦は連戦連勝と思いがちなんですが、一つ一つの戦を見ると結構な苦戦をしており、陸海ともに大兵力の投入によって勝利をもぎ取っている感が否めません。
(この点についてはまた別に論じて見たいと思います。)

攻略は、第六水雷戦隊が基幹のウェーク島攻略部隊が担当しました。

12月8日から10日までルオット基地から発進した千歳空の陸攻隊によって行われた事前爆撃のあと、10日夜半に攻略部隊が上陸を開始しました。
ところがその夜は波浪が高すぎて大発の降ろし方作業を失敗。上陸は翌朝に延期になってしまいます。

T13年煙突改正時の夕張

大正13年撮影
旗艦『夕張』

翌11日の早朝、空が明るくなるのを待って「夕張」と隷下の駆逐艦が海岸に近付き艦砲射撃を開始したのですが、敵も陸上砲台から猛烈に反撃を開始します。

中でも「疾風」は最も海岸に近づいてしまったため、砲火が集中しました。
やがて「疾風」は敵弾の直撃を受け、高々と上った黒煙が晴れた時、ウェークの沖合に「疾風」の艦影を見ることはできませんでした。

大東亜戦争における我が海軍の最初の被撃沈艦でありました。
それも一発轟沈・・・しかも相手は陸上砲台・・・

その後も件の陸上砲台と、爆装したF4F戦闘機の反撃が続き、今度は駆逐艦「如月」が敵戦闘機により撃沈されてしまいます。

攻撃してきたF4Fは千歳空による空爆の被害を逃れた、たったの4機でした。
近い将来の海空戦の様相を考えるのにまたとない教訓であったのですが、海軍首脳部はここから戦訓を得ようとはしなかったのです。

結局、ウェークの攻略はハワイ攻撃の帰路にあった第二航空戦隊(航空母艦「飛龍」「蒼龍」基幹)の支援を得て成功する事となりました。

バタビヤ沖の夜戦

年が明けて昭和17年3月、ジャワ島のバタビヤに上陸を目指し、深夜の揚陸作業をしていた輸送船団の上空に突如照明弾がさく裂します。米重巡「ヒューストン」と豪軽巡「パース」の2艦が攻撃してきたのです。

1937上海方面へ出撃する名取

1937上海方面へ出撃する名取

輸送船団にもっとも近い位置にいた第五駆逐隊の「春風」は直ちに煙幕を展開して船団の姿を隠そうとしました。「駆逐隊突撃セヨ」の命令がでて「春風」「旗風」「朝風」が合流して敵艦隊に向かい、雷撃体制にはいります。
しかし、「春風」は被弾してしまい舵故障。左に回頭してしまってタイミングを逃し、「旗風」もまた至近弾を得て発射できず(水柱のため)。「朝風」だけが6射線を発射しますが命中していません。戦史叢書ではその後に「春風」「旗風」も魚雷を撃っていますが、最初のミスは水雷長のチョンボだったようです。

結局「ヒューストン」と「パース」は第十一駆逐隊(旗艦「名取」と「初雪」「白雪」「吹雪」)などが打ち取ってしまいます。

その後の神風型

第五駆逐隊の各艦は昭和17年も後半になると神風型の各艦は船団護衛の任務に用いられるようになります。

「松風」「朝風」「春風」は第一海上護衛隊(連合艦隊とは別組織)に配属替えとなり、本土と南方の資源地帯を結ぶ船団を守る重要任務に就きました。
「旗風」は昭和19年末に帝国海軍初の対潜掃討部隊(ハンターキラーグループ)である第三十一戦隊に編入されました。「松風」と「朝風」は米潜水艦の雷撃により沈没し、「旗風」は昭和20年、高雄で敵機の攻撃を受け沈没しました。

第二十九駆逐隊の各艦は第二海上護衛隊に再編されたり、ソロモン海戦に参加したりと活躍をつづけます。
昭和19年まで船団護衛を続けたのですが、「追風」がトラック空襲で、「朝凪」、「夕凪」は米潜水艦の雷撃で沈没してしまいました。

またまた長くなりました。
次回、いよいよ長姉『神風』の大活躍であります。

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