神風型駆逐艦の運命 その3
神風型駆逐艦の運命 その2からの続きであります。
神風型の画像と要目はこちら
長姉『神風』北から駆け付ける
妹たちが南方で悪戦苦闘を続ける間、姉のネームシップ「神風」はアリューシャン作戦を支援したり、千島や宗谷海峡で船団護衛にあたったり、比較的平穏な戦争を過ごします。
しかし、姉としては妹たちの不甲斐ない戦いぶりに悔しい思いをしていたのではないでしょうか?
ついに1945年1月10日、「神風」にお呼びがかかると8隻の妹たちの分まで引き受ける大活躍が始まります。
迫る敗戦の中で
「神風」は連合艦隊附属となり、門司から鎮海や基隆間の船団護衛をつとめ(この船団護衛戦は別に書きたいと思っています)、2月には「奇跡の」北号作戦を支援して、航空戦艦伊勢・日向など第四航空戦隊と合流。そして護衛を終えるとシンガポールへと向かいます。
5月にはなんとインド洋まで進出します。
アンダマン諸島に取り残された陸軍部隊に物資を届けるために重巡「羽黒」とともにシンガポールを出港したのですが、有力なイギリス艦隊が前途に待ち構えているのを察知。アンダマン行きを断念して、退避のためペナンに向かいました。
しかし退避は間に合わず、翌日には「羽黒」と「神風」は5隻のイギリス駆逐艦隊に捕捉されてしまいます。
「羽黒」は損傷しており、満足に戦えません。「神風」は「羽黒」を庇いながらも応戦しましたが、物資を運ぶため魚雷発射管を外していたこともあり衆寡敵せず離脱(指揮官命令に依ります)。
「羽黒」は砲雷撃を受け沈没、『神風』は間もなく現場に残って「羽黒」の生存者を救助しました。
これが第二次世界大戦最後の水上艦どうしの戦闘と言われる「ペナン沖海戦」です。
『神風』にとってはまだまだ最後の戦闘ではありませんが。
米潜水艦との死闘
そして海戦史上に輝く、米の新型潜水艦パラオ級の『ホークビル』との死闘が待っていました。
昭和20年7月中旬、三隻の輸送船を護ってシンガポールを出港した『神風』はマレー半島のテンゴール岬沖に差し掛かります。
この辺りが航路上でもっとも敵潜の襲撃が多い(潜水艦が被探知を避けるための水深がある)所とて、輸送船は岸の近くを航走させ、『神風』は之字(ジグザグ)運動を開始しました。
この動きを、潜望鏡を通じて観察していたのがアメリカ海軍の潜水艦ホークビル。新型のパラオ級に属し就役してから1年あまりで、3回の作戦行動によって駆逐艦「桃」、敷設艦「初鷹」、商船やタンカー2隻のスコアを持つ武勲艦でした。
ホークビルはこの神風の動きを見て「強敵」と察したのでしょうか、輸送船団ではなく、護衛駆逐艦を狙うことにしたようです(通常、米潜の目標は輸送船です)。神風の右舷に向け、前部発射管の魚雷6本全部を発射しました。
6射線を扇状に発射して、回避運動をしても確実に1本は命中させようと言うわけです。
しかし『神風』もすぐさまこの魚雷を発見、さらに水深の深い方から雷撃されることを予期していたため、「面舵一杯!」魚雷の来る方向に艦を立てて6本とも難なく回避します。
続いて『ホークビル』は『神風』にお尻を向けて逃走にかかりました。艦齢20年を超え、ソナーの性能が悪い(探知範囲が狭いなど)『神風』は之字運動を続けながら追跡しないと水面下の『ホークビル』を探知できません。
『ホークビル』はこれを狙っていたのでしょうか?
直線的に逃げたであろう『ホークビル』に対してジグザグに追う『神風』。いつかは『ホークビル』の航跡の上に、『神風』が舷側を晒すことになります。『ホークビル』には艦尾にも魚雷発射管があります。距離が700mを切った時、そのチャンスがやってきました。
至近距離からの魚雷3本でしたので、『ホークビル』は勝利を確信したことでしょう。
しかし『神風』はまたもやとっさに艦首を魚雷に向け、細かい転舵を加えて魚雷を避けました。3本の内一本は『神風』から2mのところを通過したとされています。
こんどは『神風』の反撃です。そのまま直線運動をしながら爆雷投下。
この時、英国駆逐艦のように前方投射型の対潜兵器を持っていたら・・・
しばらくすると『神風』の後部機銃が命令の無いまま発射されました。
爆雷攻撃によってバラスト・タンクに異常が発生した『ホークビル』が海面上に飛びだしてしまったのです。
そのまま浮上してしまえば、『神風』にとって撃沈は容易いことだったでしょうが、『ホークビル』も歴戦の強者。
ベントを全開にする、と言う非常手段を取って再び海中へとその姿を没しました。
『ホークビル』の損傷は大きく、海底に沈座してしまいましたが、『神風』は輸送船の護衛任務があり、捜索に時間がかけられません。
ベテラン駆逐艦『神風』はすぐにその場を立ち去ったのでした。
こうして新鋭潜水艦と老朽駆逐艦の対決は痛み分けに終わり、半月の後には戦争も終結を迎えました。
神風の立ち去ったあと、ホークビルは必死の修理で浮上に成功して満身創痍で帰港し、神風との激戦を米海軍史に記録する事となります。
『神風』の奮迅ぶりは敵の米軍からも絶賛されることになりました。
無事では終わらなかった神風
戦争が終わっても、神風にとっては作戦が続きます。
9姉妹のなかで唯一隻、無傷で敗戦を迎えた「神風」は武装を降ろして特別輸送艦となり復員輸送業務に従事。多数の日本人を故国へ連れ帰ります。
そして昭和21年6月7日、静岡県御前崎で荒天のため座礁していた海防艦「国後」(こちらも復員輸送業務中)を救援しようと接近、座礁してしまい大破、放棄されました。
翌22年の10月末には解体処分が終わり、殊勲の駆逐艦「神風」はついに日本人からは賞賛されること無く、その姿を地上から消したのでありました。