昭和15年、謎の駆逐艦

朝潮

昭和15年3月13日、大英帝国海軍の特設巡洋艦「モアトン・ベイ」は大日本帝国の本州沿岸にて哨戒活動を行っていました。

流石ですわ、大英帝国海軍

「モアトン・ベイ」は駿河湾の南に差し掛かっておりました。

仮装巡洋艦といえば、我が国の「報国丸」「愛国丸」とか、盟邦ドイツの勇敢なる通商破壊艦を思い起こしますよね。

でもね、第二次大戦中にもっとも沢山「仮装巡洋艦」を使い倒したのは海軍の先達、我が海軍の師匠たる大英帝国海軍なのです。

流石に大英帝国は海洋帝国・海運王国・大海軍国・日の沈むことのない(かつては)帝国だけありまして、第二次大戦中に運用した仮装(特設)巡洋艦はなんと56隻の多きを数えます。

ロイヤルネイビーと言うかイギリスの凄さは隻数だけじゃなくて、その全てが航海速力、すなわち軍艦で言う「巡行速力」が15ノット以上で軸数も2軸(プロペラが2個)以上の優秀客船からの転用だっていう事です。

ジャーヴィス・ベイ

「モアトン・ベイ」と同型の「ジャーヴィス・ベイ」

 

質も量もとんでもない事になっておりまして。

軍艦じゃないんですからね、ずっと15ノット出してヨーロッパからアジアまで航海できるフネがゴロゴロしてる時代じゃありません。
さらに、これだけの客船を軍用に引き抜かれて、ビクともしない海上輸送力。

私は「アメリカを避けてイギリスを叩くべきだった派(大東亜戦争は、だからな)」でありますが、大日本帝国独力では勝てそうもないよねぇ。悔しいけれど、これが国力ってモンなんです。

問題の「モアトン・ベイ」は大正10(1921)年に名門ヴィッカース社で建造されたオーストラリア航路用の客船で1万4000総トン。徴用されて15.2糎(センチ)砲7門、7.6糎砲2門、機銃若干(良く分からないって意味だぞ)と結構な重武装を搭載して貰っています。

第二次大戦がはじまるとイギリス支那艦隊の有力なる巡洋艦や駆逐艦が他の作戦海面に引き抜かれた代用として昭和14(1939)年の10月に極東海域に姿を現し、香港を拠点に日本沿岸の哨戒行動をしていました。

大英帝国海軍は本国地域で難戦を強いられながらも、「潜在敵国」の沿岸はちゃんと見張ってたんですね。

これはあまり強調されませんが、私は重要な事だと思いますよ。

超有名な姉ちゃん

「モアトン・ベイ」は「ベイ型」と呼ばれる5隻の姉妹の一隻でありました。
「んん!」と思った方、正解!海軍フリークやね(笑)

そう、「モアトン・ベイ」は超有名な仮装巡洋艦の姉妹なんでありますよ。その姉ちゃん(妹かも知れんけど)の名は「ジャーヴィス・ベイ」。

昭和15(1940)年11月5日のこと。仮装巡洋艦「ジャーヴィス・ベイ」はただの一隻でカナダのハリファックスから本国のリヴァプールへ、38隻からなる輸送船団「HX-84船団」を護衛しておりました。

夕刻、水上機の触接を受けた「HX-84船団」。水上機は怨敵ドイツの通商破壊艦「アドミラル・シェーア」(ポケット戦艦/実質は重巡)の艦載機でした。

「シェーア」本体は11月5日の17時頃に船団の前に出現します。
仮装巡洋艦のくせに船団護送の重要任務に当たっていた「ジャーヴィス・ベイ」は艦長フェーゲン大佐の指揮の下「アドミラル・シェーア」を迎撃、その間に船団の各船を逃がそうとしたのであります。

アドミラル・シェーア

アドミラル・シェーア

 

煙幕を展張して圧倒的に弱体ながら、懸命な阻止戦闘を展開した「ジャーヴィス・ベイ」ですが抵抗できたのは僅かな時間。

それでも、船団の各船はてんでんバラバラに逃げ出すことが出来、「シェーア」は38隻中の5隻を撃沈したに止まりました。
「ジャーヴィス・ベイ」の方は艦長以下200名以上が戦死。まさに我が身を盾にした「護衛戦」でありました。

そんな勇猛果敢・忠良無比・滅私奉公の「血」を引く「モアトン・ベイ」が我が国の沿岸哨戒に当たっていたわけであります。

この時期、イギリス海軍は日本艦船の「情報担当艦」を数艦指定していたようであります。
その艦には日本艦船の識別に長け、文字も読める情報士官を乗り組ませていたそうです。

で、彼らが特に注意深く観察するように指示されていたのが、「マスト・艦橋・その他に特殊な空中線または枠が見えないか?」と言う点でありました。

濛気のなかで

その日の駿河湾(もちろん領海外です)はスッキリしない天候で、福井静夫大先生によれば「濛気が立ち込めていた」そうです。

そんな中で「モアトン・ベイ」は一隻の帝国海軍駆逐艦と遭遇するのであります。
距離約5浬(9.2キロくらい)、望遠鏡で見ても艦影は不明瞭でしたが、哨戒艦らしくこの「駆逐艦」の観測記録が残されているのです。

1942金剛から燃料を補給する不知火

陽炎型駆逐艦「不知火」戦艦「金剛」から燃料を補給しています。

 

その要旨は
1.日本新型駆逐艦の艦影を視認、1940年3月13日北緯34度28分・統計138度37分を横浜方向へ航行中。

2.著しい特徴は以下の通り
艦首のシアー・フレアがともに大きい。
後甲板は長く、かつ低く下がっている。
前部煙突のトップの形態が奇妙である。
後部煙突は上部構造物で隠れているように見える。

3.視認時、砲身が見えない。おそらく砲塔は舷側方向に回転していたものと思われる。外見から推定するに、一本煙突艦の公算あり。

4.新型駆逐艦らしい。陽炎型またはそれ以後の艦と推定する。

この報告は香港経由で、シンガポールのセレター軍港イギリス艦隊司令部に上げられていました。

昭和17年3月上旬、占領したばかりのシンガポールへ出張なさっていた福井静夫(私が敬愛してやまない軍艦フリークで海軍に奉職、残念なことに言語不明瞭。まあ、それだから貴重な写真と証言をたくさん残してくださったのですが)大先生が発見されたモノです。

肝心の「特殊な空中線または枠」について言及がないので、英国情報部は「大日本帝国海軍はレーダーの実用化には至っていない」と推定したことでしょう。

これは非常に重要な事でありまして、大東亜戦争中盤以降の我が水上艦艇苦戦の原因(の一つ)がコレだという事は申しあげるまでもありますまい。

野分

駆逐艦「野分」整備中
艦首の甲板が持ち上がっているのが「シーア」、上甲板に向かって幅が広がっているのが「フレア」

 

「新型駆逐艦」に限ったことではありませぬが、優秀兵器は隠しておくべきではありません。隠せば抑止効果が無くなります。

ミリオタならこの辺りは簡単にご理解いただけるところでしょうが、似非オタ特に「情報は映画に出てくるようなスパイさんが取ってくるモノ」と思い込んでる層にはちぃ~とも理解できないみたいです(笑)

まあ、そんな人は置いといて、駆逐艦に戻ります。

優秀兵器は積極的に敵国に見せびらかすべきなんですが、「無い事を見せる」必要もありません。

せっかく強そうな「新型駆逐艦」を大英帝国の哨戒仮装巡洋艦に見せてやるチャンスに恵まれたのに、「レーダーはまだ無い」ってことは隠さなきゃイカンでしょう。

まして、この「謎の駆逐艦」が出会ったのは仮想敵国の艦なのでありますから、
「我が本州沿岸それも帝都にほど近い海域でロイヤルネイビーの仮装巡洋艦とすれ違った」
事は、少なくとも報告すべきでありましょう。

仮装巡洋艦の「仮装」とは「仮装パーティ」の仮装ではなくて、正体を隠す意味とは違います(正体を隠している仮装巡洋艦もありますのでややこしいのですが)。

基本的には「に(臨時に)武装を備している」と言う意味です。
したがって、この大日本帝国海軍の謎の駆逐艦は朧げにでも武装した友軍のモノではないフネを視認したはずなのです。

特設巡洋艦報国丸

大日本帝国海軍の特設(仮装)巡洋艦「報国丸」

 

ところが、調べてみてもそんな報告なりレポートなりを提出した駆逐艦はありませんでした。

実は私はこの駆逐艦の名前を知りたかったのであります。
「福井のおっさん、仮想敵艦との遭遇情報も出さねえ駆逐艦は調査しねぇのかよ。なら、大後輩の儂が探したろうかい」
って感じですね。
単純に、ナンボなんでも所属戦隊にはレポート出してるだろうからすぐ判るだろ、くらいの感覚だったのですよ。

ところが、探してみてもいっこうに見つからんのであります。

ひょっとしてすれ違った事に気づいてなかったのか…

ヤル気あったのか?

このホンの2ヶ月ほど前、昭和15年の1月21日のことです。

日本郵船に所属する貨客船「浅間丸」は東経140度31分・北緯34度34分の房総半島沖の公海上を、アメリカから母国横浜港に向けて航海中でありました。

「浅間丸」はこの航海で、イギリス海軍駆逐艦の追跡を受け、拿捕を避けようと自沈していたドイツ客船「コロンブス」の船員51名を乗せていました。

イギリス支那艦隊所属の軽巡洋艦「リヴァプール」はこれを察知し、日本近海の太平洋上まで進出して「浅間丸」を待ち構えていたのです。

「浅間丸」を発見した「リヴァプール」は空砲を発射して「浅間丸」を威嚇・停船させて無理やり臨検しました。

この臨検によって「浅間丸」に乗船していたドイツ人船客51名のうち、ヘルマン・グロース船長など21名がイギリス軍の名簿に基づいて戦時捕虜として連れ去られてしまったのでありました。

これを「浅間丸事件」と呼びまして、例によって大日本帝国のマスゴミは激高し(帝国の威信に泥を塗った、など)国内世論を扇動する事になります。

浅間丸

浅間丸

 

しかしながらロイヤルネイビーは流石であります。

「浅間丸」に対する「リヴァプール」の公海上での臨検、ドイツ人船客に対する措置はいずれも戦時国際法上全く適切なモノだったのです。

ただ「浅間丸」に我が海軍の艦艇が護衛として付いてたら、あるいは並走するだけでも、この浅間丸事件を防げた公算が高い事はあまり指摘されません。

当時も今も、です。

「浅間丸」は在アメリカの日本大使館からの要請に基づいてドイツ人を乗船させていましたので、少なくとも海軍省では航海予定は把握していたと思われます。

横須賀鎮守府所属の水雷戦隊でも出して、訓練がてらにでも「浅間丸」に同行させていれば、イギリス艦の臨検を拒否することは容易だったはずなのです。

なにせ日英はまだ戦争状態にあったワケではなく、戦端を開きたくないのは大英帝国側だったのですからね。

この「浅間丸」事件は海軍首脳(当時の内閣総理大臣は米内光政海軍大将)や政府は正しく国際法を理解して「ふーん」程度の感想を持ったようです。

それどころか「沸騰する日本の世論について恥の上塗りをしないような注意が必要(宇垣一成陸軍大将)」ってな意見もあったのであります。

しかし阿呆なマスゴミと扇動された国民(今と違ってネット情報はありませんから、これは致し方ありません)の突き上げもあって、政府はイギリスと交渉することになります。

イギリスも本国がヤバイ時に東洋で余計な戦争をしたくないモノですから、この臨検について「遺憾の意」を表明し、21名のうち兵役に就けそうもない9名(子供もいたそうです)を解放することで手打ちになったのでした。

これが2月5日に発表されています。

つまり、「謎の駆逐艦」が大英帝国の仮装巡洋艦とすれ違った1940年3月13日から40日ほど前のこと。

日本近海でイギリスの軍艦見っけたら、一応の注意を払った方が良い!って事は小学生にでも判りましょうし、忘れもしない時期であります。

これでは、「何やっとるんだ、帝国海軍は!」と言われても致し方ありますまい。

「謎の駆逐艦」からは「モアトン・ベイ」の塗色や備砲などは注視したら、いくら濛気のなかと言っても判った筈なのです。

それよりも何よりも、大英帝国の軍艦が常時我が国の沿岸を哨戒している、という事は、大きな問題ではないんでしょうか?

単冠湾に有力部隊を集合させる動きなんて、「モアトン・ベイ」に察知されちゃいますよ。

さて、謎の駆逐艦の正体は

で、この駆逐艦は何だったのか?

提出したレポートで分からなきゃ、分析するのみ(笑)

ただ、「何やっとるんだ」とは言っても、私はこの駆逐艦の艦長を責めたいワケではありません。

「怪しい奴が居たら報告しろよ」と命令する、あるいはそういう雰囲気を醸成していなかった海軍が悪いんです。

「モアトン・ベイ」の方は画像付きで報告しとるって言うのにね。

モアトン・ベイのレポートによる謎の駆逐艦

「モアトン・ベイ」のレポートによる謎の駆逐艦シルエット

 

こんなシルエットの駆逐艦は帝国海軍にはありませんよね。

まず、英艦が「日本の新型駆逐艦」と報告していることに着目しましょう。「陽炎型」かそれ以降、と報告しているのですが。

陽炎型はネームシップ「陽炎」が昭和14(1939年)11月に竣工、最終艦の「秋雲」は昭和16(1941)年の9月竣工。

たった2年間で19隻もの優秀駆逐艦がガンガン造られていたのです。

「モアトン・ベイ」が謎の駆逐艦を報告したのは昭和15年3月13日ですから、ちょうどこの時期のど真ん中、「陽炎型」が続々と竣工していた時でした。

全力公試の野分

全力公試中の「野分」
シルエット、違うでしょ?

 

陽炎型は出来上がると呉鎮守府の所属艦とされましたので、引き渡しが終わったらすぐに呉へ向かった筈です。

呉に行った「陽炎型」はそれぞれの駆逐隊に編入された上でごく短期間の単艦練成のあとで連合艦隊に合流…と言うスタイルだったモノと思います。

また、連合艦隊の水雷戦隊の行動から推定すると、「陽炎型」は昭和15年3月中旬は有明湾や沖縄の中城湾で訓練中、3月末には台湾・南支方面へ出航していますので、謎の駆逐艦は「陽炎型」ではありません。

公試中の朝潮

公試中の「朝潮」

 

「陽炎型」以外に、こんなシルエットの駆逐艦が有るのか?と申しますと、「陽炎型」の前のカタチの「朝潮型」があります。
外見だけではなかなか区別が付かないほど似ています。

駿河湾で航行しているんですから、おそらくこの駆逐艦は横鎮(横須賀鎮守府)所属であろうと思われます。

昭和15年の春は横須賀鎮守府の警備駆逐隊は第九駆逐隊が務めていまして、この構成が「朝潮型」の「朝雲」「山雲」「夏雲」「峯雲」の4艦。

警備駆逐隊は出動訓練をするのが日課みたいなモンですから、3月13日も駿河湾の沖まで出張っていたのじゃないかな?と思う次第。

4艦の内、どれか?までは電脳大本営には推定の手段がありません。

個艦を特定することは、私の能力では叶いませんが、この「帝国海軍のナイーブさ」と「ロイヤルネイビーのしたたかさ」。

この大きな落差に、次なる戦いへの戦訓が隠れている、と思う次第であります。

わが帝国、特に陸海軍の情報軽視については、大東亜戦争の敗因の一つとして良く指摘されるところです。

現在でも、「情報」って言ったら、特殊技能を持った人たちが敵国のヒミツ研究所から強奪かコソっとか知らんけど、取ってくる…みたいに考えてる人が如何に多いことか。

そんなんでは、次の戦いでも「情報軽視」で負けまっせ。

大事な情報はね、日常の中に転がってるんです。
それを掬いあげて、どう分析するか?どう活かすか?

日本人なら、大丈夫だと思いたいんですけど…。

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