武蔵の発砲写真が発見されたので

大艦巨砲主義イラスト

今年は戦艦「武蔵」のあたり年なのかも知れませんね

これは武蔵の射撃写真が発見されたニュースで、当グループのメンバーさんの名言です。

いま一つ「大和」の影に隠れてる感のあった武蔵が、アメリカの大金持ちが沈没場所を発見すると、今度は国内で大和のものすら無い、主砲を発射している写真が発見されてどんどん目立つようになってきました。

武蔵の砲撃シーン

武蔵の砲撃シーン

申し訳ないんですが、新聞の掲載写真しかありませんので、大きくはなりません。
(メンバーさんがこちらで拡大・鮮明化にチャレンジして下さってます)

どなたも御存じでしょうけれど

この武蔵の主砲は良く知られているように、45口径46センチ砲。三連装の砲塔三基に納められた計9門が搭載されています。

残念ながら戦争中に敵の軍艦に火を噴く事はありませんでした。大和は撃ってますけど。
この写真はFBFの見立てでは、前部の2基の砲塔が発砲しているんだろうとの事。
私にも異論はありません。
速力も出てないので、訓練と見るより公試ではないかと思っています。

良く見ると左右のブレもほとんどありませんね。6門発射でこの安定感なら、弾着の特性も良かったのではないでしょうか?

さて、以前にも何かの投稿をきっかけに大和級の主砲の話題が出ました。
フェイスブックの検索機能で探してみたのですが、上手く見つかりません。

そういう事を防ぐのも、このブログの記事で投稿させて頂くようにした目的の一つなのですが、過去の記事はどうにもなりません。あと、ひと様のご投稿も・・・

給兵艦樫野

給兵艦樫野

 

砲身の寿命は短いが

たぶん秋月級の話だったと思うんですが、砲身には命数(砲身の寿命)がある、と言う内容でした。
同じ事の繰り返しになりますが、あれから新しいメンバー様も増えてますし、前も聞いたよ!と仰らずに少しだけお付き合いください。

軍艦に限らず、大砲には「命数」と言うものがありまして、砲弾を打つたびに砲身の中に彫った「ライフル(らせん状の筋。これで砲弾を回転させ、飛行を安定させる)」が削れてしまうんです。
砲によって命数は大きく違いますが、千発も二千発も撃てるものではありません。まあ、300発とか400発位が限界でしょう。そうすると、大和も武蔵も米艦隊と一合戦すれば、砲身を交換しなければならなくなってしまいます。

予備の砲身を準備して・・・

大和級は予算すら誤魔化していたほど秘密裡に造られました。
砲身は呉の海軍工廠で造られ、武蔵が建造された長崎へは上のイラストの「給兵艦・樫野」でこっそりと運ばれました。
樫野も写真を撮られると砲身の大きさがばれる可能性があるので、画像がほとんど残っていないほどなのです。

仮に大和・武蔵が米艦隊を叩きつぶしたら、整備の際は砲身を交換しないといけません。
帝國海軍はこの給兵艦「樫野」でシンガポール(ここなら設備が整ってるから)あたりまで予備の砲身を運ぶつもりだったんでしょうか?
トラックまで送って工作艦「明石」で交換するんでしょうか?

仮想イラスト夕闇せまるガ島を砲撃する大和

仮想イラスト
夕闇せまるガ島を砲撃する大和

(↑今回は細かい事は言いっこなしでお願いします)
ヘンダ―ソン飛行場が穴だらけになったら、砲身交換は必至です

やる気が無かった?

いやいや、大和級の主砲身は姉妹艦「信濃」(建造途中で航空母艦に変更)用にあと9本しか造ってなかったんですよ、と言うのがその時のお話でした。帝國海軍は本気で大和・武蔵を活躍させるつもりだったのか?と。

御存じのように、大和も武蔵も今は海底にいますから、地上にはこの9本しか45口径46センチ砲の実物は無いわけです。

この話には異論がありまして、たしか「世界の艦船」に載ってたんでその辺のヨタ話とは違うと思うんですが、ウラが取れません。でも、ロマンあふれるお話ですのでこの機会に紹介申し上げます。

米軍がお持ち帰り

私は信濃用9本ワンセット造られていた、と思っていたんですが、その説に依れば信濃用は7本だけ造ってあったと言うのです。
で、その他に2本をテスト用に造っていた。

保管場所が違い、信濃用の7本は敗戦時に破壊されたんですが、テスト用の2本は米軍が接収して本国へ送った、と言うのです。つまり27本造られた大和級用の巨大な主砲の、砲身だけが2本生き延びている!
ところが、なんと言うことでしょうか。米軍はその砲身を試射することもなく破壊してしまった・・・

もちろん、大砲の砲身だけあったところで撃てる訳ではありません。その他に準備するモノがいっぱい必要です(この辺りは私よりお詳しい方が、グループに沢山おられますので、解説して下さると思います)。

でも、それならどうしてわざわざ太平洋を越えて、本国へ送る必要があったのか?

実は、先ほどから命数が尽きれば砲身を全取替のような言い方をしてきましたが、砲身の内側(内筒)だけを交換する、と言う便法があります。
砲身は膨大な圧力に耐えるために頑丈に造られていますが、砲弾と接する、ライフルの切ってある内側だけは少し柔らかめ。その内側だけが先に摩耗するから、それだけ交換しようと言うわけです。

とはいえ、無理やり古い内筒を引き摺り出して、あらたな内筒を叩きこむ難作業です。大和級のものなら主砲身だけでも長さ20メートルを超えていますから、チョイチョイと出来るワケがないのです。

そこで、帝國海軍はなんらかの方法で簡単に内筒を交換する方法を開発していた、とその説では言うのです。
戦艦になれなかった「信濃」がこの世に残した名残、わずか2本だけ残った大和級の主砲の砲身を米軍が持って帰ったのはそのことを知っていたからなのだ。
すぐに破壊したのはその方法を調べて、自分たちだけの秘密にしておくためだった、と。

米軍の記録を丹念にしらべれば、あるいは出てくるかも知れません。
巨砲の砲身の内筒の簡単な交換方法なんて、現在なら大した秘密じゃないかも知れませんからね。
今年は武蔵のあたり年(この表現もメンバーさんからの借り物です)なので、簡単に見つかるかも知れません。どなたかチャレンジを。

 

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