イタ公と呼ばないで《海軍編1》~マルタを締め上げろ~

ソード・フィッシュ カラー飛行中

 

大東亜戦争の開戦まえのこと。
大日本帝国の海軍大臣米内光政は、同盟国の海軍力を訊ねられて「独伊の海軍は問題にもなりません」と言い放ちました。

 

地中海専用海軍

イタリア海軍は大日本帝国海軍に比べると、小規模な海軍。しかもアドミラル・グラーフ・シュペーやビスマルクの華やかな戦績があるドイツ海軍と比しても地味ではあります。

しかしイタリア海軍は主に地理的な理由から、地中海だけを主な活躍の場としていました。
その艦艇は航洋能力や航続距離をあまり重視していません。しかも地中海でのライバルは陸軍国の仏蘭西ですから、規模もそんなには大きくならないんです。

最初に「イタ公」などと言ったのは米内光政らしいです。
電脳大本営的に言えば、米内光政の方こそ「海軍三バカ大将」の筆頭じゃねえか、って話です(そういう見方もできる、ってことだからな)。

イタリア海軍はその置かれた立場、持たせてもらった戦力に応じて、それなりには戦っているんです。
同盟国とは言え、はるか東の果ての国の大海軍大臣に「イタ公」呼ばわりされる必然性はみじんもないのです(笑)

イタリア海軍にも愛を…

戦艦リットリオ・ヴェネト

戦艦リットリオ・ヴェネト

当時のイタリア海軍は、新鋭戦艦リットリオ級3隻(就役は開戦後)、カイオ・デュイリオ級旧式戦艦2隻、コンテ・デ・カブール級旧式戦艦3隻を主力としていました。

「旧式」戦艦といっても、1930年代に新技術で徹底的に改修して十分に一戦級の力を持っていました。
また、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦も結構な数を保有しています。

イタリアは日米英3大海軍国に次ぐ世界第4位の海軍国だったのです(もっとも、Big3は桁が違います)。

地中海のガン、マルタ島

イタリア海軍は地中海でフランス海軍に対抗するために整備されてきたのですが、第二次大戦ではその「主敵」は早々と降伏してしまいました。

ところが地中海に君臨していたのは、海軍の本家イギリス。
イギリスは最重要の植民地インドとの通商路(スエズ経由)確保のために、本国艦隊に次ぐ戦力を地中海艦隊に与えていたのです。

英国は地中海中部のアレキサンドリアと西の端ジブラルタルに海軍の拠点を整備していました。
それでもイタリア半島の南端からアレキサンドリアのあるアフリカ大陸まで、そんなに距離はありません。


比較的弱体のイタ公海軍でも、地勢的には地中海を東西に分断できる筈だったのです。
それを妨げていたのがイタリア半島の南にぶら下がっているようなマルタ島の存在でした。

北アフリカへの補給路

地中海での戦いは独(+伊)・英両軍にとって「如何に北アフリカへ物資を届けるか?」の戦いでした。

その頃のマルタ島は英国領(現在は独立)で、イギリス海軍にとっては地中海戦略の要ともいうべき重要拠点でした。

一方の枢軸国にとってはイタリアと北アフリカとの間で、ロンメル将軍率いるアフリカ軍団への補給線の真上にある、文字通り「目の上のたんこぶ」。

マルタ島を基地とする航空機、艦船によって枢軸側のアフリカ戦線への補給線は深刻な影響を受けていました。1941年後半の地中海での枢軸側の船舶損耗率は80%近くに上っていたのです。

事態を重く見たドイツ空軍は東部戦線から第二航空軍団を引き抜き、マルタ島への空襲に投入、海上封鎖に出ました。

これでマルタ島は物資不足に見舞われましたが、とりわけ飲料水の問題が深刻でした。
当時のマルタ島は飲料水を海水の淡水化に頼っており、淡水化装置は電気で動いていまして、その電気は石油を燃やして作っていたのです。

マルタ総督の計算で、飲料水の不足によって降伏せざるを得ない期限も迫る中、英国地中海艦隊による大輸送作戦が発動されることになりました。

ハープーン作戦とヴィガラス作戦

1942年6月のことでした。

マルタ島へ向かう英船団は、アレキサンドリアとジブラルタルから同時に出航してマルタに向かうこととされました。

東西から同時に動いて枢軸側海空軍の集中攻撃を避けよう!って魂胆ですなぁ。

アレキサンドリアからの船団は「ヴィガラス」、ジブラルタルからの船団が「ハープーン」と命名され、それぞれに強力な護衛が付けられました。

英空母イーグル

英空母イーグル

ハープーン船団の直衛艦隊は防空巡洋艦カイロと駆逐艦ベドウィンなど9隻の大艦隊で、他に空母イーグル、アーガス、戦艦マラヤ、軽巡洋艦ケニア、カリブディス、リヴァプール、駆逐艦8隻の「W部隊」が間接護衛につく必勝体勢です。

一方のヴィガラス船団にはインド洋からの応援(オーストラリア駆逐艦4隻など)も含めて軽巡洋艦8隻、駆逐艦22隻とコルベットや掃海艇、加えて旧式戦艦センチュリオン(防空艦に改装)。

6月14日、ハープーン船団はイタリア軍のサヴォイア・マルケッティ SM.79雷撃機に攻撃されます。

貨物船1隻が沈没、軽巡洋艦リヴァプールが損傷しリヴァプールは駆逐艦に曳航されてジブラルタルへ引き返します。

夜に間接護衛部隊が抜けてしまうと、イタリア海軍の出番。

15日夜明けを待っていたように、軽巡洋艦ライモンド・モンテクッコリ、エウジェニオ・ディ・サヴォイアをはじめとするイタリア艦隊がハープーン船団に襲いかかりました。

軽巡ライモンド・モンテクッコリ

イタリア軽巡ライモンド・モンテクッコリ

イギリス部隊では駆逐艦ぺドウィンとパートリッジが損傷し、ぺドウィンはこの後イタリア軍機によって撃沈されてしまいました。

その後空襲によって貨物船2隻とたった1隻参加していたタンカーも沈められ、さらに機雷原で駆逐艦1隻が触雷・沈没。
さらに駆逐艦2隻が損傷、哨戒艇1隻と貨物船も1隻損傷し、船団はやっとの思いでマルタに到着しました。

結局、マルタ島に到着できた輸送船は2隻だけで、マルタ島の窮状をすくうにはとても足りませんでした。

ヴィガラス船団にも襲い掛かる

ヴィガラス船団にもイタリア軍の攻撃が行われました。

アレクサンドリア出航直後の12日から枢軸国軍の空襲が始まり、商船1隻が損傷したのを皮切りに14日までに空襲によって2隻が撃沈され、2隻が損傷していました。

この状況でタラントのイタリア艦隊は戦艦2隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻を中心にして船団攻撃に出撃したのです。

イタリア艦隊の到着までの足止めとして、ドイツのSボートがリビアから出撃。この攻撃によって軽巡洋艦ニューカッスルに損傷を与え、駆逐艦ヘイスティを撃沈しました。

この時イタリア艦隊は200海里以上(東京~京都くらい)離れていました。

イギリス空軍機がマルタから出撃してイタリア艦隊を攻撃、重巡洋艦トレントが撃破されますが、イタリア艦隊はトレントを残して船団攻撃に向かいました(トレントは英潜水艦に雷撃され沈没)。

イタリア艦隊の、航空攻撃をものともしない進撃を聞いたヴィガラス船団はついに作戦中止を決意。
船団はアレクサンドリアへ引き返しはじめました。

その途中、軽巡洋艦ハーマイオニーがクレタ島南方でドイツの潜水艦によって撃沈されてしまいます。

ハーマイオニー

ハーマイオニー(ごめん、冗談じゃ)

マルタのイギリス空軍機も帰投途中のイタリア艦隊を攻撃し、戦艦リットリオを損傷させていますが。

軽巡ハーマイオニー

軽巡ハーマイオニー

ヴィガラス作戦での英海軍は軽巡洋艦1隻、駆逐艦3隻、商船2隻が撃沈され、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻、コルベット1隻が損傷の損害を受けながら、輸送船は1隻もマルタに届けることは出来ませんでした。

イタリア艦隊は巡洋艦1隻喪失、戦艦リットリオが損傷の損害を出しながら、英護送船団を直接攻撃することはできなかったのですが、その果敢な行動によってヴィガラス船団のマルタ到着を阻止したのです。

この意外に強力なイタ公海軍の抵抗で、海軍の本家は北極海(援ソ船団)から戦力を引き抜き、「ペデスタル作戦」でマルタ島への補給を行わざるを得ない羽目に追い込まれてしまったのでした。

海軍はだいぶんマシだった

イタリアは国の方針が「日和見参戦」だったようで、加えて陸軍がギリシャでとんでもないヘタレぶりを見せてしまったことから、軍全体がヘタレと思われています。

しかし、その海軍にはファイティング・スピリットが溢れていたように思えます。小艦艇ほど積極的かつ効果的に戦ったことはどこの海軍とも共通していますし。

潜水艦隊は良く健闘し、イタリア参戦のすぐ後に巡洋艦2隻を撃沈。
ヒトラーに請われて日本へも連絡に来ているのです。(イタリア降伏でドイツへ、ドイツ降伏で日本へ接収され敗戦まで残存)

瀬戸内海を航行するコマンダンテ・カッペリーニ(UIT24)

瀬戸内海を航行するコマンダンテ・カッペリーニ(UIT24→伊503)

イタリア海軍のヘタレには理由があります

イタリア艦隊主力が積極的に動かなかったのは、彼我の工業力の差と、燃料事情の逼迫によるものでしょう。
戦場の眼と鼻の先のタラント軍港に主力を集結させたのも、そのほうが出撃・帰投で燃料を使わなくて良いから、では無いでしょうか?

結果としてはそこを抜け目のない英軍に突かれて、クラシック雷撃機に名を成さしめることになってしまいましたが。

ソード・フィッシュの魚雷投下シーン

クラシック雷撃機(ソード・フィッシュ)の魚雷投下シーン

「人間魚雷」(わが国のものと違い、操縦士がまたがって行き爆弾を仕掛けて生還します)でアレキサンドリア軍港を強襲(戦艦2隻大破)したり、地中海を戦艦3隻で押し渡って北アフリカに補給したりと、紹介させていただいたマルタ補給戦の以前にも勇気ある戦いをしているのです。

イタリア艦隊は徐々に燃料がなくなり、1942年後半からは潜水艦だけが活動する状況に追い込まれます。
1943年になると潜水艦も動けなくなり、連合軍がイタリア本土に迫ってきました。

最後の出撃

「ハスキー作戦」で連合軍が上陸を開始するとイタリア艦隊司令長官のカルロ・ベルガミーニ提督は国内各地に残った燃料をかき集め、連合国軍の輸送艦隊を向かえ撃つために出撃しました。

わが国の大和艦隊の水上特攻と同じ考え、死に場所を探しての出撃だったのでしょう。

しかし、首都のローマではクーデタが起こってしまいます。
ムッソリーニを倒したバドリオはベルガミーニ提督を説得して、降伏させることになったのです。

このことがまた、イタリア海軍のヘタレ伝説を作りました。

ベルガミーニ艦隊の降伏を知ったドイツ軍は、新兵器の誘導弾「フリッツX」を投入、戦艦ローマを撃沈してしまいます。

タラントでは複葉の布張り雷撃機に良いようにやられ、誘導弾で沈められた最初で最後(もう戦艦と言う艦種がありませんから)の戦艦という汚名まで。
やっぱりヘタレ海軍かなぁ。

でも、懲りずに「陸軍編」も準備しております。

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