スターンウォーク ~忘れ去られた装備1~

岩国のUS2イラスト

かつて、各海軍の主力艦にはスターン・ウォークと言われる装備が必ずと言ってよいほど取り付けられていました。
この画像が良く判ると思います。大正2年、進水直前の金剛型3番艦「霧島」の艦尾です。
上甲板と喫水線の間で張り出しているところがスターン・ウォークです。

T2進水式前の霧島艦尾

進水式前の霧島の艦尾
スタン・ウォークが良く判ります

Stern-Walkですから、艦尾遊歩道とでも言えば良いのでしょうか?
司令官や艦長、乗り合わせた賓客の散歩道として取り付けられていたもので、一般の士官や水兵には立入が認められていませんでした。
まあ、これだけの物ですから、いくら巨艦についているとは言えども、身体に良いほどの距離を歩くわけではありませんけど。

T10 香取型 香取皇太子のお召し艦として訪欧に出発

大正10年、皇太子のお召し艦として訪欧に出発する戦艦香取、艦尾スターン・ウォークに注意

 

その起源ははっきりしませんが、帆船の時代にはそれは優雅なスターン・ウォークがつけられていたそうです。

Yahooの質問の回答などには、『身分の高い人の専用スペースを風上に置く、そのために蒸気動力になって艦尾が風上とは限らなくなったので廃れた』とのトンデモ解説がありました。

いやいや、帆船といえども、限度はあっても風上方向へ進みます。進めなければ、大航海時代も世界各地の植民地もなかったことでしょう。
トラファルガーも、ホレイショ・ネルソンも、『英国は各員が義務を果たすことを期待する』の名信号も歴史から消え去ってしまいます。
帆船といえども、艦尾が常に風上とは言えません。

スターン・ウォークが何故艦尾にあるのかは判りませんが、舷側の何処かならば両側に造らなければデザイン的にバランスが取れませんし、艦首に造れば外洋を航海している時は危なくって使えません。
まあ、艦尾が一番取りつけ易かった、って事なんでしょう。

大日本帝國の場合、長門級まで取り付けられていました。ただ、長門級は艦内式ですので、一見してスターン・ウォークとは判りませんが。

新造時の長門を後部から

新造時の長門
軍艦旗の下の開いている部分がスターン・ウォーク

長門級の後は大和、武蔵しかないわけですから「大日本帝國の主力艦(戦艦と巡洋戦艦)にはスターン・ウォークが付いていたのだ」と言っても言い過ぎではないでしょう。

主力艦とは、もちろん戦時には国と国民を守るために先頭に立つものですが、戦時でなければ国を代表し、国威を示すためにあるフネです。
戦闘のためにはまったく役に立たないであろうスターン・ウォークが、軒並み取り付けられているのも、優雅にスターン・ウォークを散策する艦長や招かれた貴顕の姿を見せつけるためだろうと思われます。

先日、天皇・皇后両陛下が慰霊のためにパラオ共和国をご訪問なされましたが、ご宿泊は巡視船「あきつしま」をご利用でありました。

(画像は同型艦「しきしま」です。富士山を背景が良いので採用しました。)

富士を背景にする「しきしま」

富士を背景にする「しきしま」

この件につき、電脳大本営としましては「あらたな『お召し艦』が欲しいな」という意見を提出させて頂いたのですが、さらにその『お召し艦』にはぜひスターン・ウォークを装備してもらいたい、と思うのです。

海上自衛隊の観艦式には皇族ご座乗の『お召し艦』がぜひ欲しいところです。

あきつしま艦尾より

あきつしま艦尾のヘリ甲板の下はスターン・ウォーク・・・ではありません

もちろん、陸上自衛隊、航空自衛隊にも同様の観閲が必要ですから、それぞれに考えねばなりません。
旧陸軍の観閲では、大元帥陛下は白馬にご騎乗で臨まれたのですが、現代ではどうすべきなんでしょう?
旧軍に空軍はありませんでしたので、空自の場合は参考とするものとてありません。
威厳を保ちつつ、対外的にも日本の誉となるような「航空観閲式」を考えなくてはならないと思うところです。

それにしても、観艦式を翌日に控えて夕日のなか、お召し艦のスターン・ウォークを散策なさる皇族の姿、なんてなんと日本的な絵だと思われませんか?

忘れ去られた装備シリーズ2

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