継続戦争の終わらせ方3

展示されているBT42

フィンランド軍の反撃は両翼を推進して、ソ連垢の大軍を包み込むまで、僅か500メートルに迫っていました。

そこから戦車・装甲車を中心としたソ連軍の逆襲が始まります。

ココまでのお話は終わらせ方12

早い決断

フィンランド軍は精強と言っても戦力が大きいワケではありません。

その乏しい戦力から、ビョルクマン・プロマの両戦闘団を抽出してソ連軍の攻囲を目指したのですが、結果的に「前のめり」になっていたことは否めません。

この「逆襲」はオシュ中将の決断でしたが、勝つためには最善だったと、私は思います。
何処かで攻撃側に出血を強いないと、縦深に乏しいフィンランドの防衛はやりにくい筈です。

ロシアとフィンランドの国境変遷

ソ連とフィンランドのカレリア地峡地域の国境変遷

 

で、オシュ中将の(私などはるかに及ばない)偉いところは、自らの決断に全くこだわらなかったところであります。

「両戦闘団は即時攻勢を中止、全軍イハンタラまで退却せよ」

勝機が去ったことを一瞬で察知したオシュ中将は、このような命令を下しました。
せっかく回復できそうだったタリの町も、惜しみなく放棄。

この退却命令が一時間でも遅れていたら、おそらくフィンランドのカレリア地峡防衛軍は、壊滅的な打撃を受けていたことでしょう。

ビョルクマン・プロマ両戦闘団だけではありませんよ。攻勢に出ているフィンランド軍はそんなに強くない。
各個撃破されてしまう可能性は高かったと思われます。

突出してソ連軍攻囲を目指していた戦闘団だけじゃなく、カレリア地峡に散らばっていたフィンランド軍を、引き上げてまとめて防衛線に張り付けなくてはなりません。

しかし、攻撃に力を入れたフィンランドには、すでに予備戦力はゼロ。
前線部隊は各部隊の独力で脱出・後退しなければなりません。もちろん、ソ連垢軍はここぞとばかりに激しく追撃してきます。

Bt7後方から見ると、それなりにカッコ良かったり(笑)

垢軍のBT7。後方から見ると、それなりにカッコ良かったり(笑)

 

この退却戦がフィンランド軍にとっていかに苦しいものだったかは、数字にも表れています。

「タリ=イハンタラの戦い」全体でのフィンランド軍の戦死者数は約1100名なのですが、このうち800名が6月28日から30日までの間に亡くなってしまいました。

攻撃転移から、逆撃されて退却完了までの2日間で、全戦死者数の70%もの犠牲が出ているのです。

もちろん、フィンランド兵は伝統の勇者ぶりを発揮し、「タダ」では戦死しません。
たとえば、第6師団のヴィッレ・ヴァイサネン兵長が指揮するわずか数名の兵士たちは、タリ~イハンタラの街道で待機攻撃を試みました。

モロトフカクテル

モロトフ・カクテル

 

ヴァイサネン兵長の隊は、進撃してくるソ連垢軍の戦車8輛を発見すると、パンツァーファウスト(ドイツから供与された使い捨て型の対戦車ロケット砲)を巧みに操りました。
すべての戦車を街道をまたぐ形に擱座させて道路を塞ぎ、ソ連軍の進撃を停滞させてしまったのです。

ヴァイサネン兵長は、自らのちっぽけな部隊で少しの間だけ、強大なソ連軍の進撃を食い止め続けます。

その抵抗は28日夜には早くも終わりを告げ、ヴァイサネン兵長自身も戦死してしまいましたが、この時間が(こういった個々では僅かな時間稼ぎの、知られていない膨大な積み重ねが)、フィンランドを救ったのです。

師団長エイナー・ヴィフマ少将は、
「勇士が1人いれば可能なことがある事を、兵長は身をもって示した」
と部下を称え、マンネルヘイム十字章(フィンランド軍人の最高位の勲章/抜群の戦功が条件)の叙勲を求めました。

「苦難の6月」が終わる

ソ連軍の追撃は執拗でしたが、逃げるフィンランド軍もかろうじて秩序を保っていました。
ヴァイサネン兵長の戦法=わが国で言う「捨てがまり戦術」を駆使したフィンランド軍の抵抗で、垢の攻勢は鈍っていきました。

パンツァーファウストで撃破したソ連戦車

パンツァーファウストで撃破したソ連戦車

 

6月30日になると、フィンランド軍にようやく援軍が到着。
援軍と言っても、すでに「敗走中」の第11師団の未参戦だった部隊、3000名に過ぎませんでしたが。

わずか3000、されど3000。
ソ連軍の大部隊を前に「かすか」ともいえる戦力ですが、形勢を立て直したいフィンランド軍にしてみれば、この部隊は貴重です。

しかしこの新戦力を、追撃されているどこかの部隊の救援に投入したら、あっという間に乱戦に巻き込まれて、跡形もなくなってしまうでしょう。

オシュ中将は歴戦の冷静さを、ココで発揮します。

新到着の部隊を、激しい戦闘の続く前線に投入することはしませんでした。
各方面から、援軍の要請を何度も受けましたが、頑として聞き入れず。
新着部隊はまとめてイハンタラ前面に急造陣地を構築させ、その陣地でソ連軍を待たせたのです。

フィンランド兵を追い、勝ちに乗じて無秩序に殺到してくる垢軍は、この防御線で痛烈な一撃を食らうことになります。

オシュ左端

オシュ(左端)
エストニア軍の首脳陣と打ち合わせ中。

 

この防衛線で大きな損害を出したソ連軍は、攻撃が停止しました。
ソ連軍だって2日間にわたる追撃戦で疲労困憊していましたし、予備戦力も投入しきっていたのです。

この6月30日から、ソ連軍はいったん兵を引いたように見えました。補給と再編成のためもあったでしょう。

この時間が、森の中を退却中のフィンランド軍部隊にとっては、イハンタラへ脱出し戦線を立て直す格好の「隙」となりました。

こうしてフィンランドにとっての苦難に満ちた1944(昭和19)年6月が終わりを迎えたのであります。
しかし、継続戦争はまだ続いていますし、ソ連の攻勢が終わったわけでもありません。

最終防衛線

フィンランド軍・ソ連軍ともに、激しいパンチの応酬が続いていました。パンチは浴びた方はもちろん、繰り出す方も体力を消耗いたします。

両軍はすでにグロッキー状態でしたが、戦闘は収まる気配を見せません。「激烈」ではなくなっただけで、流血は続いていたのです。

T34の隊列

 

1944年7月1日。一時的に後退していたソ連軍が、再びイハンタラ近くまで迫ってきました。

ただしこの1日と翌2日は小規模な戦闘と偵察活動があっただけで、大きな動きはありません。

守るフィンランド軍にとって、状況は芳しくありません。
「崖っぷち」の状況から、かろうじて戦線を立て直すことはできたものの、イハンタラは最終防衛ラインなのです。

ココを突破されると、首都まではさえぎるモノがありませんでした。

垢どもが無尽蔵とも思われる兵力と物量で襲い掛かってくると、消耗したフィンランド軍に勝ち目はないでしょう。

この時、フィンランド軍は戦力の入れ替えを行っていました。首都の(実質的には)最後の防衛ラインの危急が迫っている時なのに、です。

フィンランド軍の3突

フィンランド軍の3突
もちろん供与品

 

しかも、後方へと下げた部隊は、カレリア地峡軍で唯一の「機動戦力」たる戦車師団。
戦車師団はソ連軍の大攻勢開始(6月9日)以来、常に最前線で戦い続けてきました。
月末の退却戦でも、味方の撤退支援のために最後まで残って奮戦。
ソトカ(T34戦車/鹵獲品)も3突(III号突撃砲/供与品)も激しく消耗しており、戦力回復と休養のため戦線を離れてしまったのです。

フィンランド軍は戦車部隊が不足していますので、代わりに最前線に投入されたのは重砲部隊でした。

イハンタラ戦線には250門もの火砲を保有する大重砲部隊が展開しました。
誰や?「たった250って…」とか言うたん(笑)

ハメーンリンナ砲兵博物館の屋外展示

フィンランド・ハメーンリンナ砲兵博物館の屋外展示

 

250門はこの時フィンランドが保有していた火砲の半分にもなるんだぞ。
確かに、ソ連軍はフィンランドへの侵攻にあたって1万門以上の火砲を投入してるから、笑われても仕方ないけど、無い袖は振れないし。

それよりも、「亡国の危機」にかまけて、消耗しきった機動部隊を前線に張り付けたままにしなかった、フィンランド軍の「英断」をほめるべきじゃないでしょうか。

しかも、ですよ。この火砲群の投入は戦術的にまさに絶好のタイミングとなるのです。

これらの重砲は戦車砲よりも威力は大きいのですが、戦車のような機動力は持っていません。
戦闘の形態によっては役に立たないかもしれませんし、使い方によってははるかに強勢のソ連砲兵に制圧されてしまう恐れも強いのです。

しかし、マンネルヘイムは「防御戦」に賭け、虎の子を前線に送り込みました。

小競り合いの続く7月2日でした。
夕刻になって、フィンランド軍情報部諜報班がソ連垢軍の通信を傍受・解読したのです。

エニグマ暗号機

世界で最も有名な「暗号機」でしょうね。
堂々と名前が刻印(焼き付け)してあるのね(笑)

 

「発・第30戦車旅団、宛・第21軍司令部。攻撃命令受領。我が隊は、7月3日午前4時にイハンタラへの総攻撃を発動す。」

といったモノでありましたが、これに続く電文は「発信元」の第30戦車旅団だけに止まらず、他部隊の攻撃ルートや行動を起こす予定の時間まで詳述しています。
まさにソ連軍の攻撃計画の全容と言えるものだったのです。

第30戦車旅団は、この「攻撃計画入りの命令受領電」を前後3度にわたって第21軍司令部に送信したのです。

もちろん、通信は暗号化されています。

しかし、通信そのものが傍受されることは防ぎようがありません。
傍受されれば
「かなり長文の同内容の通信が繰り返し行われている」
ということは高い確率で推測されるでしょう。

こんな事は、軍隊が敵前でやるべきことではありません。

電脳大本営的には、一度は「普通の受領報告」で、二度目以降はソ連邦の軍隊特有の政治将校向けの「攻撃発動報告」だったのではないか?と推測しております。

フィンランドの情報部は、日本陸軍の協力で(という説もある、って程度の情報ですが、私は断固この説を取ります)ソ連の暗号を正確に解読出来ました。

つまり、ソ連軍の攻撃発動時間・攻撃発起点・攻撃ルートなどを、フィンランド軍は前日夜には正確に知ることになったのです。

BT42の整備

BT42の整備

 

それより前、フィンランドの偵察兵たちも
「ソ連軍の前線部隊の移動が活発になっている」
との報告を続々と持ち帰っていました。

暗号通信の解読結果と偵察隊の情報、この二つを合わせれば、「明朝、ソ連軍は全力で攻撃してくる」
というインテリジェンスは誰が解析しても出てきます。

カレリア地峡軍司令官のレンナルト・オシュ中将は、これを
「神が我々に与えてくれた最後のチャンスだ。」

と解釈しました。
しかし、ソ連軍の総攻撃開始まであと7時間半しかありません。徳俵に足がかかった状態での7時間半。

オシュは急いで重砲隊と航空部隊を準備しました。

後がない

フィンランドにはもう後がありません。ソ連軍の一撃でイハンタラを突破されたら、首都陥落も見えてきます。
一方、攻撃するソ連軍も同様に後がなかったのです。

ソ連はカレリア地峡(その他の地域でも、ですが)で攻勢に出た当初の予定は
「6月中にフィンランドを屈服させ、投入していた部隊をすべてドイツとの戦いに振り向ける」
だったのです。

ヴィープリ攻略までは予定どおりの展開でしたが、フィンランド軍主力は未だ健在。
突きつけた「無条件降伏」が厳し過ぎたために拒絶され、戦い続けなければいけなくなりました。

この現状はレニングラード方面軍司令官レオニード・ゴヴォロフ元帥と、第21軍司令官ドミトリー・グーセフ中将の部隊指揮の戦術責任でもありますが、フィンランド国民と政府(軍隊含む)の気骨を読み誤ったスターリンの戦略的失敗でもありましょう。

レオニード・ゴヴォロフ

レオニード・ゴヴォロフ

 

しかしながら、(アリタ)ヨシフ・スターリン書記長が責任を追及されることは絶対にありません。

共産党の指導者は「無謬」であるからです(笑)
間違った判断を下すことはありませんから、責任の取りようがない。
わが国のヨシフは、間違ってばかりでも責任を取りませんが。

閑話休題

まあ、そういったワケで、ゴヴォロフ元帥とグーセフ中将は、それでなくても恐ろしいスターリン書記長に大叱責を食らったうえで、「一刻も早くフィンランドを屈服させろ!」と厳命されていたのです。

国のシステムが大日本帝国やアメリカ合衆国や大英帝国などとは違って「ナニ」なモノでありますので、今回もスターリン書記長の命令を実現できなきゃ、二人は処分されてしまいます。

ソ連軍の指揮者二人にこうした大きなプレッシャーがかかっていたことは、今後の戦闘に大きく影響した、と思われます。

空爆・砲撃

1944年7月3日午前3時58分でありました。

ソ連軍の戦車が総攻撃参加のために集結し、エンジンを吹かしていた時であります。
数百台の大排気量エンジンの轟音に紛れ、ソ連に取っては悪魔、フィンランドにとっては天使が空中から忍び寄っていました。

フィンランド上空を飛ぶスツーカ

フィンランド上空を飛ぶスツーカ

 

ドイツからの応援航空隊、クールメイ戦隊の戦爆連合と、フィンランド空軍の爆撃隊の「合同攻撃」です。
国の存亡をかけた先制攻撃だけに、「フィンランド空軍始まって以来の大規模爆撃」でした。

その数、クールメイ戦隊40機+フィンランド空軍も40機の併せて80機(笑うな、言うてるやろ。首都防空隊まで投入してこの数じゃ)の大編隊は、今まさに進撃を開始せんとしていたソ連軍先頭集団に集中して襲い掛かります。

先制攻撃があるとは思ってもみなかったソ連軍は大混乱に陥り、隊列を乱しました。

しかし80機の爆撃程度では10万を数えるソ連軍の攻勢は止められません。ソ連軍は混乱したものの、予定どおりの時刻に進撃を開始しました。

ただ、このこともオシュ(やマンネルヘイムやフィンランド軍首脳部)の「ヨミ通り」だったようです。

ソ連軍には爆撃で軽微な被害が出た部隊が続出していました。しかし、スタちゃんにケツを叩かれている指揮官たちは、攻撃発起の時間を遅らせることなど出来ません。

いきおい、前進可能な将兵たちを雑然と前進させることになってしまいます。

これと時を同じくして、ソ連軍砲兵隊の「制圧射撃」がフィンランド軍陣地を襲いました。
味方の進撃に先立ち、敵陣地、特に砲兵を潰しておくのが目的です。どこの国の軍隊でもやる定番メニュー。

しかしこのとき砲弾が落ちたのは、無人の陣地でした。
ソ連軍の攻撃計画が筒抜けになっていましたので、オシュ中将は前哨陣地から兵力を引き上げていたのです。

ブリストルブレニム

ブリストル・ブレニム爆撃機
フィンランドがライセンス生産していました

 

進撃するソ連軍部隊は統制の取れないままで、フィンランド軍の抵抗も受けず、イハンタラ近郊の農業用開拓地まで進出しました。

イハンタラの街はもう目の前であります。

開拓地にソ連軍の大半が入り込んだ、まさにその時。
フィンランド軍が前線にかき集めた大小250門の火砲が一斉に火蓋を切ったのでありました。

無制限射撃

フィンランド軍砲兵は、冬戦争から継続戦争を通じて、常に「砲弾使用制限」がかけられていました。

砲一門につき、一日の使用砲弾数があらかじめ決められていたのです。それも、大口径砲なんて一日数発…なんてことも。

戦後になってからの話ですが、対フィンランド戦に従軍したソ連の将校が
「フィンランド軍の砲撃は、常に正確で恐ろしかった。しかし数発しか撃ってこなかった」
と回想しています。

三八式十五糎榴弾砲

三八式十五糎榴弾砲 大日本帝国の大砲もお役に立ったかしらん(笑)

 

これまでの戦争で、フィンランドの砲兵が目立たないのは、撃ちたくても撃てなかったからなのです。

お金のない小国フィンランドですから、これもやむをえないことだったんでしょう。

しかし、オシュ中将が「神が我々に与えてくれた最後のチャンスだ。」と考えるこの戦場では、砲弾使用制限が解除されました。

「いくらでも撃って良し」という命令に、フィンランド砲兵たちは欣喜雀躍して照準を合わせます。

今までなら、すぐに止むはずのフィンランド軍の砲撃。
今回はなぜかいつまでたっても止まりません。

遮るもののない開拓地に、戦車と歩兵が密集隊形で侵入したソ連軍は大損害を被ります。
しかも、進撃開始時の空爆で隊列は乱れ、ソレを調整するための指揮系統もズタズタ。

本来なら、指揮系統を回復してから進撃すればよいんでしょうが、戦勝を焦るソ連軍にはその余裕がなかったのでしょう。

激烈な砲撃を障害物のないところで受けていても、ソ連軍は指揮系統が崩壊しているうえに、当初の予定通りの「進撃隊列」さえ組めていません。
そんな初めから混乱している軍隊に、敵前から整然と後退する「芸」など、できるワケがありません。
4時55分には、ソ連軍の先頭を進んでいた集団はほぼ壊滅し、敗走が始まりました。先頭集団はフィンランド軍の砲弾に追われ、後続部隊を巻き込んでしまいます。

ソ連軍は全面潰走状態に陥ってしまいました。

混乱しながら、必死に「砲撃圏外」まで逃れたソ連兵でしたが、さらに追い打ちが待っていました。

先制爆撃のあと、いったん基地に戻ったクールメイ戦隊が再出撃。急降下爆撃で襲いかかってきたのです。

垢兵には、もう勇気の欠片もなくなったようでした。

こうしてソ連軍の総攻撃はわずか1時間ほどで大失敗となったのです。

離陸するシュツーカ

離陸するシュツーカ

 

タリ=イハンタラの戦いは事実上、フィンランド軍の勝利となったのです。

まだ、戦争は終わらない

もちろんソ連垢軍は、混乱し大損害を受け敗走した部隊を立て直しはしました。
戦闘もとうぜん再び行われていたんですが、ソ連の兵隊たちは、砲撃を受けるとすぐにパニックに襲われるようになったのです。

7月3日の夜明け前のフィンランドの砲撃は、ソ連兵の士気を木っ端みじんに吹き飛ばしていました。

7月9日になると、ソ連軍はイハンタラ前面から消えました。ポルティンホイッカまで後退したのです。
この後退は第21軍司令官ドミトリー・グーセフ中将の命令でした。
イハンタラ戦線突破の望みはすでになくなっており、疲労しきって士気も覇気も勇気も潰えた部下たちには、戦闘継続すら不可能だと判断したのでしょう。

おっかないスターリン親分も大して怒らなかったみたいで、ドミトリー・グーセフさんはこの後も対ドイツ戦の指揮官の一人でした。
殺されんで良かったで、ホンマ。

フィンランド軍はこの「タリ=イハンタラの戦い」で、戦死者約1100名と負傷者7000名。

対するソ連軍は、いやロシアになった今でもこの戦いでの損害を公表していません。

いろんな手段で「情報公開請求」がなされているそうですが、すべて無視されるんだそうです。

少なくとも戦死者が4000~5500名、負傷者13000~20000名。
戦車・自走砲あわせて300輛、航空機280機以上を喪失…ってのがソ連軍の損害だろうと言われます。

ただし、これは最も少なく考えて…の話。実際にはソ連の損害はこの数倍に上るだろうと思います。

しかしコレで、フィンランドが救われた…わけではありません。
ソ連が本気で戦っている相手はドイツであり、ドイツが抵抗を続けている、つまり本気でフィンランドに攻め込んでくる前に「仲直り」しなきゃいけないんです。

今度は政治の戦いが始まるのであります。

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