複葉機よ、永遠に(笑)

FIAT-CR42

複葉機と聞くと、なんだかクラシックな低性能機という印象がありませんか?
まあ、確かにとんがった性能の機体はありませんし、期待すべくもないんですけど、第二次大戦でも複葉機はちゃんと活躍してますよ。

「ああ、あの雷撃機ね」とお思いの貴兄、もっともっとありますから。

複葉機最速!って何の意味が…

まずはイタ○から参りましょう。
公ってのは、敬称なんだけどね(謙信公、なんて言うだろ)、ある傾向の人々に毛嫌いされてるから用心して〇にしておくもんね。

イタ○の第二次大戦を代表する戦闘機(笑)、フィアットCR42「ファルコ」です。

1939年採用、昭和なら14年ですな。

フィアットCR42、地上姿勢

フィアットCR42の地上姿勢

 

鋼管の骨組みに羽布張り、固定脚という古色蒼然丸出しの機体なのに840馬力のフィアットA74RC38エンジンで最高430キロ/h(高度6000メートル)まで引っ張るヤンチャぶりです。

エンジンをダイムラーベンツDB601(1100馬力)に換装したテスト機はなんと530キロ/hを記録して「複葉機最速」の称号を誇ります。

フィアットCR42、編隊飛行

フィアット、編隊飛行

 

なんとロンドン空襲にも参加、スピットファイアと空中戦を演じたりして、戦闘爆撃機としても使われたそうです。

イタリア空軍の搭乗員たちは大日本帝国海軍以上に「クルクル戦闘機」が大好きだったみたいです。

他の列強諸国が低翼・単葉・引込脚で速度の速い戦闘機の開発に進んでいたこの時期、イタ○の戦闘機乗りは戦闘機を自由自在に操り、敵機と渡り合う「格闘戦」が好きだったんでしょうね。

しかし自分が好きでも、敵も格闘戦が好きとは限りませんし、戦争の一局面たる空中戦は「好き嫌い」でやるもんでもありません。

CR32

「CR32」
こっちの方がカッコ良いぞ

 

実は、この「ファルコ」は同じフィアットの「CR32」の発展形として開発されたんです。
で、CR32はスペイン内戦に投入され、ソ連が送り込んだ「ポリカルポフI-16」に完勝。

「I-16」は片持ち式の低翼単葉・引込脚(ただし人力)に加えてモノコック構造を採用した、配備当時は世界最速機でした。
速度(だけ)重視の一撃離脱戦闘機だったんですから、ソレに完勝した「CR32」を発展させたら、
「複葉機で第二次大戦を勝ち抜ける」
と思ったのかも知れませぬ、万事お気楽なイタ○ならね(笑)。

フィアットCR42、残骸ながら構造の良く判る一枚

フィアットCR42、残骸ながら構造の良く判る一枚

 

「CR32」もそうなんですが、上下翼の間はW型の支柱で結んでるんですけど、張線は一本も無いんです。
複葉機の空気抵抗は張線によるモノが大きい(単葉でも、片持ちじゃなく、張線を使うと速度は出ません)んで、イタ〇はコレで満足したのかも。

しかし、さすがに大戦が中盤過ぎると能力不足。
複葉機としては速過ぎる速度が災い?して後述の「ソードフィッシュ」みたいに「遅すぎて撃ち難い」ってわけにも行かず、だんだん一線から遠ざかって行きましたとさ。

『ファルコ』は良く見ると、完全な複葉機と言うより下翼がだいぶ小さいから「一葉半機(セスキ・プレーン/sesquiplane)」と言うべきかも。

あっ、そうそう。主脚は固定だったんですけど、尾輪は引き込み式だったそうです。

尻だけ進歩的

さすがイ〇公(笑)

これは皆さんご存知の名機

続いて1935年に採用されたRAF(イギリス王立空軍)の名雷撃機。

皆さんも良くご存知でありましょう、「ソード・フィッシュ」です。

鋼管・羽布張りの構造と固定脚は「ファルコ」と同様です。

ソード・フィッシュ カラー飛行中

ソード・フィッシュ 飛行中

 

ブリストル社のペガサスエンジン(750馬力)で乗員3名を乗っけて最高速222キロ/h。
でも航続距離は1600キロを越えてました。

スピードが遅いってことは、簡単に飛び立てることを意味しています。これはソードフィッシュが使われ続けた要因のひとつになりますので、ご記憶の程を。

主な戦歴は

タラント夜襲

1930年台末のタラント軍港

1930年台末のタラント軍港

 

1940年11月、空母「イラストリアス」の艦載ソードフィッシュがイタリアのタラント軍港を空襲しました。

停泊していたのは旧式戦艦2隻、超弩級戦艦2隻と巡洋艦、駆逐艦多数。
ソードフィッシュ隊は3隻を大破着底させましたが、イタ〇は2隻の浮揚修理に成功しています。

後のパール・ハーバー・アタックのモデルになった作戦、かなぁ。

ビスマルク追撃戦

1941年5月24日、ヴィクトリアス艦上のソードフィッシュ

1941年5月24日、ヴィクトリアス艦上のソードフィッシュ
翌日、ビスマルク攻撃に向かいました。

 

1941年5月、ドイツ戦艦「ビスマルク」に対して空母「ヴィクトリアス」のソードフィッシュ隊が雷撃を慣行。
一本の魚雷が「ビスマルク」の操舵装置を破損させて、後のビスマルク撃沈におおきく貢献しました。

このとき、RAFのスォントン中尉が操縦した「ソードフィッシュ」は175ヵ所も被弾(攻撃は断念)して帰還。

スォントンくんのコノ英雄的な帰還が
「ソードフィッシュはタマが突き抜けちゃうから無敵」
伝説の元となった…んじゃないかな?と言われるんですが。

でもね、弾丸が突き抜けたら、主翼は破れちゃいますよ。

ムチャクチャ丈夫とは言え、羽布張りの主翼って布切れがピンピンに張ってあるんだからね。

今のは知らんけど、儂らが着てた昔のラグビー・ジャージだって、どんなに引っ張られたって破れんほど丈夫だったけど、ちょっとした裂け目なんかあると、ソコから簡単に破れる。

試合の前になると、マネージャーがみんなのジャージ点検して、ヤバそうなところは縫ってくれてたぞ。

スォントン君は風圧をうまく逃がす操縦をしたか(逃がし過ぎたら墜ちる)、すごく運が良かっただけだと思いますけどね。

その後

英海軍もソードフィッシュの低性能はわかっていましたが、後継機の出来が悪い。

本国近くはドイツの強い戦闘機がウジャウジャしてるんで、「黄色いサルにはこれでも通用するさ」と思ったのか?
「ソードフィッシュ」を太平洋戦線に回しますが「クルクル戦闘機」中心の大日本帝国軍機には、かえって通じずボコボコにされちゃいます。

MACシップ艦上のソードフィッシュ

MACシップ艦上のソードフィッシュ

 

それでは、と護衛専用に使うとこれが大成功でした。

飛行速度が遅くて長く飛べるので、対潜警戒にはもってこいだったんですね。
悪天候でもMAC船の短い甲板から飛べて(さすがにコレだけ低速でも着艦は不可)、英国輸送船団の守り神となりました。

ロケット弾でUボートを撃沈したことでも有名です。

さすが大英帝国、勝利のためなら何でも使うな。

駄馬も乗りよう・使いよう

 

先進のアイデアと未熟な工作技術のコラボ

続きまして、赤い悪魔も行っときましょう。
国の名前を「公」付きで書くと怒られることが多いんだけど、赤い悪魔はセーフみたい。おかしいやん。

まあ、そんなことはほっといて、ゲテモノ度合いはこの「ニキーチン・シェフチェンコIS-1」が一番かもね。

1939年(かもう少し前)に「ニキーチン」のテストパイロットをしていたウラジミール・V・シェフチェンコって言う人が、次のような「論理的」な思索を行ったんだな。

『複葉機の利点は、翼面積が大きく取れて離陸/着陸速度が抑えられることが大きい。
ああ見えて頑丈でもあるんで、戦場のでこぼこした短い滑走路でも使い易い。

欠点は翼面積が大きくてスピードが出ないことだ。

それなら、離陸したら片一方の翼を畳めばいいじゃん。最近は主脚だって引っ込めてることだし。』

 

Nikitin IS-1三面図

Nikitin IS-1三面図

 

そんなアニメのメカ設定より底浅のお考えを、現実に造っちゃうのが、ソ連のソ連らしいところ?
いやいや、「もうすぐ戦争」って狂気の為せる業?

ともかく、「IS-1」は1939年から試作が始まり、1940年11月に初飛行。
エンジンを高出力化したIS-2も1941年に初飛行したんだとか。

あんまり良い写真がないので、三面図でごらんいただきます。

1100馬力のM63エンジンで453キロ/h!

おおっ、エンジン換装前の「ファルコ」より早いじゃん。

構造は良く判らないんですが、どうやらモノコックではなくて鋼管の骨組みにジュラルミンの薄板を張ってるみたいです。
この当時のソ連機は前金属、後ろ木製みたいな構成も多いからソイツかもしれません。

ウリの主翼の折り畳みは、小さめの下翼の中央辺りから、空気圧アクチュエータで上翼の下面に収容したようです。

このとき、脚も一緒に引っ込めます。

ただ、この構造がトンでもなく重量が嵩んだらしく、思ったような性能は出ませんでした。

そう、複葉の一方を畳むんだから、複葉機よりちょっと早いだけじゃあ、意味ないじゃん。

Nikitin IS-1正面から

Nikitin IS-1正面から

 

そもそも、ロシアから東欧にかけての平原を、碌に整地もしないで飛ばすのがソ連戦闘機です。
低翼に短い主脚柱、ってのがそういう所で飛ぶ戦闘機には必須なんですよ。構造複雑・重量過大では草原から飛び立てません。

「大祖国戦争」が始まると、さすがのソ連もこんなゲテモノにかまけてる余裕はなくなり、より堅実なモノが必要!となってあえ無くボツになっちゃいました。

Nikitin IS-1イラスト

ニキーチン IS-1イラスト

 

要らんギミックはバンダイにお任せだ!

 

盟邦ドイツは流石!脚が垢抜けてます…(笑)

独逸第三帝国は軍事大国を目指していました、ご存知のように。

当時のドイツ人の感覚だと、第一次大戦も陸軍は負けてないしね。
ただ、海軍の方、特に波の上ではどうも上手くいかなかった。

第二次大戦でも上手くは行かなかったんだけど、今度は上手く立ち回ってやろう!って事で、海軍は「通商破壊専門」にしたんですな。

ですから、世界の一流海軍国の真似をして航空母艦を作ろうとしたんですけど、コレの使い方も通商破壊戦だった、と言われています。

この空母「グラーフ・ツェッペリン」は結局未成に終わるんですけど、空母を造れば、搭載する飛行機が要ります。

そのドイツ初の「艦載雷撃機」として、競争試作を勝ち抜いた機が「フィーゼラー Fi167」なんであります。

どうも制式採用の年もはっきりしないんですが、「グラーフ・ツェッペリン」の建造開始が1936年ですから、この辺なんでしょう。いい加減ですみません。

フィーゼラーFi167イラスト

フィーゼラーFi167イラスト

 

1100馬力のダイムラー・ベンツDB601Bエンジンで、魚雷か爆弾1トンを抱き乗員2名で325 km/h。

飛行中のフィーゼラーfi167

飛行中のフィーゼラーfi167

 

この時期にドイツが採用する性能かなあ、って気もしますけど。
ドイツはトンがった性能を追求する事もあるけれど、すごく堅実な兵器造りもやるので…

しかし、ナンボ考えてもこの時期に「複葉」である必然性はあったんでしょうかね?
特に、これから書きますような凝りに凝ったギミック付けるんだったら、単葉にして「凝りに凝る」リソースを空力に振り向けるべきだったと思うけどなぁ。

フィーゼラーだけに

あの「シュトルヒ」のメーカーだけに主脚が凝りに凝ってます。
言葉では説明しきれんので、画像をご覧下さい。

出撃準備中のフィーゼラーFi167

出撃準備中のフィーゼラーFi167

 

左の脚が写ってますが、自重でスパッツ(空気抵抗低減のための脚カバー)ごと斜めに移動してますよね。

もともと空母のフラットな甲板に着陸する機なのに、こんな仕掛けが必要だったんでしょうか?

この画像はおそらくクロアチアに売却されたFi167だと思うんですが、こういうところ(戦場で、草地を飛行場に使ってるような)でなら役に立ったでしょうけれど。

P51を

このクロアチアに渡ったFi167が、なんと「第二次大戦の最優秀戦闘機」の呼び声も高いP-51を撃墜した記録があります。

1944年10月10日のこと。
シサク近郊で孤立した友軍への補給任務に従事していた1機のクロアチア独立国空軍のFi167が、英空軍のP51に攻撃されたのです。

それも5機も来やがった。

Fi167は、垂直にも降下できると言われた「小回り性能」を活かして反撃!
自分も撃墜されたものの、1機のP51を道連れにしたのです。

複葉機に撃墜されたP51のパイロットが下手だったのか、Fi167の方が名人だったのかはわかりません。

ともかく天晴れの一言でありますな。

雷撃ってモノを知らない?

ただ我々日本人からすれば、「雷撃機にこんな降下性能は不要だろ」と言わせてもらいたいですね。

雷撃機に必要とされるのは、縦ではなく横方向の機動性能です。
だって、海面のすぐ上で逃げる敵艦を追い詰めるんですから。

ドイツ人、「飛行機から魚雷をぶっ放す」って攻撃はやった事がなかったんでしょうか?

Fi167の「後継機」としてJu87「スツーカ」の改造機を試してることを考えると、ますます判ってなかったんじゃね?と思います。

やっぱり大日本帝国の

以前の記事でも紹介させていただきましたが。
「第二次大戦の複葉機」を語るとき、大日本帝国海軍のこれは外せませんね。

整備中の零式観測機

整備中の零式観測機

 

「零式観測機」です。

1940年に制式採用、800馬力の三菱「瑞星」エンジンで370 km/h。

構造は今までの各国複葉機とは違って、近代的な金属モノコック(一部補助翼が羽布張り)。

良く見ていただくと、主翼を支える張り線の数も少なくて「ほぼ片持ち翼」です。

「観測機」は戦艦や巡洋艦に搭載しておいて、砲撃戦のときに弾着観測に使おうって機体です。

だから、やたらめったらに長い航続距離の海軍機にあって、そこは要求されませんでした。

だって、大和級だって砲撃距離は40キロそこそこですからね。

零式観測機

零式観測機

 

速度もあまり要求されず、ただ「もし敵の観測機が来たらやっつけちゃえ」と言うことで格闘性能の要求だけは高かったのです。

試作の段階では川西・愛知と、採用された三菱の競争だったんですが、三菱がこの条件をうまく利用しました。

複葉機の小回り性能を活かし、「水上機の川西」から勝利を奪ってしまったのです。

ドリー上の零観

ドリー上の零観

 

格闘性能は二式水上戦闘機(零戦にフロートを付けた、「強風」までのつなぎ)より上とも言われ、数々の撃墜記録を誇ります。

「無茶な要求をしなければ名機が産まれる」の典型みたいな機体で、沖縄戦では特攻にも使用されました(´;ω;`)。

複葉機が劣速なのは、複葉が原因じゃない?

そもそも、主翼が2枚あるいは3枚もある飛行機が作られたのは何故なんでしょうか?

空力の設計が悪くて一枚の主翼では飛べなかったんでしょうか?

そんなことはないんです。

おそらくは世界でも最初期の軍用機、ドイツの「タウベ」は性能は「ただ飛ぶだけ」みたいなモンですが、単葉です(第一次大戦の青島戦ではわが軍を悩ませてますけど)。

タウベ軍用機

タウベ軍用機

 

飛行機の性能、特に速度性能は主翼の枚数ではなく、空気抵抗によって左右されています。
そして、空気抵抗の大きな原因は複葉機の上翼と下翼を結ぶ支柱(つっかい棒)や張り線だったのです。

当時はまだ「片持ち翼」の工作技術が完成されてなくて、つっかい棒や張り線が必要だったので、複葉機が多く作られたんだと思います。

工作技術も、推進力(エンジン)も飛躍的に発展した現在、複葉機が何かの形で復活する可能性は無いんでしょうか?

対潜哨戒機とか、輸送機とかね。
今はやりのドローンだって、長距離・長時間を狙うなら複葉機型もアリだと思うんだけどなぁ。

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複葉機よ、永遠に(笑)” に対して2件のコメントがあります。

  1. より:

    長距離狙う場合は複葉機はあり得ない。
    航続距離は一般に滑空比によって決まる。複葉機ならば推進出力は少なくて済むが当然そのぶんスピードが遅いだけ。
    高高度飛行についてならば復権の余地がある。
    高高度を飛ぼうとすると空気が薄くなりその分速く飛ばなければ揚力を確保できないが、必要な推進力は増え、音の壁にぶつかる。これが複葉機だとだいぶ楽になる。
    複葉機は空を飛ぶための飛行機であり、単葉機は乗り物としての飛行機である。

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