イタ公と呼ばないで~海軍編3~
我が国で同盟国(正確には交渉中)のことを「イタ公」などと差別的に表現し始めたのは、米内光政だそうです。
だから、儂は米内提督のことを「海軍三馬鹿大将の筆頭」と呼ぶのであります(笑)人物評価は人それぞれですけどね。
ヘタリアとも呼ばないでね
これまで、イタリアの陸海軍がそれなりに頑張って戦っていたことを書いてきました。
それでも(電脳大本営の努力にもかかわらずwww)、「イタ公」と言う呼び方は止めよう!と言う運動は起こりませんし、「イタ公」と何回書いてみても、FBでもTwitterでも垢停になったという話を聞きません。
Chainaを漢字やカタカナで書いたり、Koreaを「十日十月魚羊」と犯島の名前で書いたりしたら、あっという間に垢停になったぞ、儂(沢渡麻三の方ね)は。それも繰り返し何度も。
こんなのは不公平じゃ(笑)
理想的には、ChainaもKoreaもイタリアも呼ぶ人が呼びたいように呼ぶべきだと思います。儂らだってJapanって呼ばれても怒りもしないんだから。
ただ、理想を追求しても戦い切れないことだってあります。
FBやTwitterはあまりにも巨大ですから、電脳大本営の独力では勝利は見えませぬ。
だからと言って、何もしないのは癪にさわる。
ならば、せめて「イタ公」「ヘタリア」と言う呼称は根拠がない、ってことを訴えてやろうじゃん(笑)と言うシリーズが、この「イタ公と呼ばないで」であります。
動機は至って不純ですが、書いてる内容は一応史実をちゃんと調べて書いております(少し通常とは違う方向から見るキライはあるけどな)。
で、今回はヘタリアが第二次大戦の少し前に、国力を振り絞って建造した4隻(一隻は未成)の戦艦を紹介させて頂きたいと存じます。
「ヴィットリオ・ヴェネト(Vittorio Veneto)級戦艦」であります。
計画から建造・就役などがちょうど我が「大和級」と被る、いわば「同期生」であります。
大和と比べるな!って言うお叱りの声が、聞こえてきそうであります。
でもね、ヘタリアの国力や置かれた環境(戦争で大勝利しない限り、地中海からは出られない)を考えると、この戦艦は傑作じゃねえのか?と私は考えちゃうのでありますよ。
まあ、そもそもこの記事ではヴィットリオ・ヴェネト級で通しますが、「リットリオ級」と仰るムキもあり、要は1番艦と2番艦、どっちが先か良く判らん!と来ております。
さらに3番艦「ローマ」と4番艦「インペロ(未成)」は(軍縮条約の事実上の失効もあって)設計が改められ、資料によっては「ローマ級」って書いてあるし。
「ローマ」に至っては貴方、良く知られているようにドイツの新兵器の餌食になって一発轟沈(´;ω;`)だしねぇ(史実は2発命中)。
いやいや、悪口言ってどうすんるんだよ、儂。
ともあれ、ネームシップの「ヴィットリオ・ヴェネト」は1934年の起工(「リットリオ」もほぼ同時)であります。大和より3年も早いのですが、イタリアの工業力では建造に時間がかかりまして、就役は1940年7月と大和の一年半前となりました。
「戦争が始まってから、姉妹で戦列に加わる」のはまるきり大和級と被ります。イタリアが参戦したのは1940年の6月ですからね(笑)
ヴィットリオ・ヴェネトとリットリオの2隻はワシントン海軍軍縮条約で規制されていましたから、基準排水量は制限いっぱいの35000トン(公称)であります。実際には41000トンを超えてたようですけどね。
で、この戦艦はイギリスやアメリカと戦おう!ってつもりで設計されたモノではありません。結果的にロイヤルネイビー相手に奮戦しましたけど。
当初はおフランスの戦艦を相手に、地中海の覇権を賭けて決戦するつもりだったんですね。
当時、フランスは「ダンケルク級」の戦艦2隻を新造して「地中海では負けへんでぇ!」って態勢だったんです。
ダンケルク級は私の見るところ、おフランス得意の変態戦艦でありますので、真剣に恐れる必要は無かったんじゃないか?と思うんですけど。
33センチ52口径なんて「細長い」(口径のわりに初速が早くなって、射距離が伸びる)主砲を4連装×2基=8門って。
しかも、この主砲塔は内部で左右二つに区切られていて、被弾した時に4門いっぺんに撃てなくなることを防止。
ついでに副砲も4連装で、主砲は前に、副砲は後ろに集中配置。
まあ、ロイヤルネイビーも「ネルソン級」なる主砲を全部前部に配置、って戦艦作ってるけど。
大英帝国は戦艦の取り扱いに手慣れてるから、こんなんでも役に立たせるけど、フランス海軍はなぁ。
術力で勝てない相手に機械の優越で勝とうとするあまり、奇をてらって、常に失敗に終わる…って感が否めないんだよね。
まあ、ソコはこの記事の主人公のヴィットリオ・ヴェネト級も変わらないかも知れないですね、見方によっては。
でもヘタリアの場合、なんだか一生懸命なんですよ。これから、それを見てみましょう。
斬新な防御
私めのみるところ、ヴィットリオ・ヴェネト級の最大の特徴は、その防御にあります。
電脳大本営にとっては、「戦艦とは防御の良く出来た戦闘艦」でありますので、ヘタリアに限らず、どんな戦艦でもまず防御に目が行くんですけどね。
ヴィットリオ・ヴェネト級の最大装甲厚は水平が207ミリ、垂直防御は350ミリ。
既存のイタリア戦艦、たとえばヴィットリオ・ヴェネト級の前の「カイオ・ドゥイリオ級」だと水平90ミリ、垂直250ミリですから、「防御力はケタ違い」と言っても良いでしょう。
舷側(垂直)防御をイギリス海軍の「ネルソン級」の356ミリと比べてもそれほど劣ることはありません。
ヴィットリオ・ヴェネト級の装甲は分厚いだけが凄いのではありません。なんと複合装甲なんですね、それも鉄と木の(笑)。
少し前に書きました「厚化粧戦艦・富士」の記事で、堅い鉄の脆さを補うため装甲板の裏に木を貼っていた時期があったことを、紹介申し上げましたがアレは日清戦争前のこと。
時期が全く違いますし、いくらヘタリアでも浸炭とか硬さの異なる鉄同志を貼り合わせる、ってな技術は持っていた筈であります。それなのに、何故木材を使ったのでしょうか?
ヴィットリオ・ヴェネト級の装甲は、「硬い70ミリの装甲板と柔らかい280ミリの装甲板の間に50ミリの木材を挟む」という、前代未聞かつ空前絶後の形式を採用しています。
硬い(けど脆い)70ミリの装甲で敵砲弾の被帽を破壊し、木で弾の行き足を緩め、最後の280ミリで止めるというんでしょうか。
大日本帝国も大和級の装甲板がぶ厚すぎて、効率的な浸炭処理ができない(こともあって)ので、新装甲板を開発したのですが。
イタリアには、そんな無謀なチャレンジをするだけの国の体力って言うか、工業的な余裕が無かったのでしょう。
余裕がないので、装甲の組み合わせで先祖帰りみたいな「新複合装甲」をひねり出したんだと思います。
イタリアの工夫はそれだけではありません。多くの戦艦は主砲塔の防御が他の船体に比べて重厚なモノになっています。
砲塔を貫通されたりしたら、直下の弾庫や火薬庫が爆発する可能性もあり、艦そのものの生存が危うくなりますから。
ただ、戦艦には「副砲」も存在します。もちろん、副砲塔だって装甲板を張るのですが、主砲塔と同等、と言うワケには行きません。
そんなことをしたら、たちまちトップヘビーの「外洋に出られない戦艦」が誕生するでしょう。
トップヘビーまで行かなくても副砲の存在価値は、軽快な敵艦艇に追従したり、高角砲兼任として敵航空機に追いつくスピードにあります。
それなのに重防御で重くなっちゃえば、副砲の存在価値が…
しかし、副砲塔に襲い掛かるのは敵の副砲弾とは限りませんよね。
ですから、各国を通じて戦艦の防御の「共通アキレス腱」は副砲塔なのであります。
ヘタリア海軍はココで考えたんですね。副砲塔の防御を旧世代の主力艦の舷側防御を上回る280ミリにしちゃえ!
副砲塔の旋回などの機動性については、ちょっと資料が足りずに判りませんが、とりあえずヘタリアはヘタレなりに一生懸命考えてることは認めてあげようではありませんか?
水雷(魚雷・機雷)防御もヘタリアらしい工夫が見られます。
その工夫とは「プリエーゼ式水雷防御」です。
プリエーゼ式とは、簡単に言うとプリエーゼさんって言う造船中将が考えたモノです(笑)
実はコヤツの構造が良く判んないのです。
たぶん、ですけど。舷側装甲の下の方から艦底まで、内側に(カーブしながら)厚さ40ミリの水雷防御隔壁が張られています。
外板と隔壁の間に中空の円筒(直径3.8メートルとの説も)がありまして、そのまわりは液体が満たされています。
艦底には左舷・右舷の水防区画を連絡する「通路」があります。
水中爆発があると、中空の円筒が圧壊することで爆発の圧力が緩和されるんだそうです。
浸水に対しては「連絡通路」を使って、浸水を反対舷にも誘導して傾斜が拡大することを防ぐんですね。
この時期の大型艦の魚雷対策は「バルジ」を付ける・でっかくするのが常道でした。
ただ、水面下に突出部を作るわけですから、水の抵抗は確実に増して、速力が低下しちゃいます。ヘタリア海軍はコレを嫌ったのでしょう。
攻撃力でも一工夫
電脳大本営的には戦艦の最も重要な評価ポイントは「防御」ではありますが、「それなり」の攻撃力が無いことには話になりませぬ。
ヴィットリオ・ヴェネト級は主砲口径が38.1センチで、同期生たちと比べると遠慮気味であります。
ただし、砲身長を50口径(つまり高初速)として40.6cm砲に劣らない威力があったそうです。
お分かりになってる方は飛ばしてください。「主砲口径が38.1センチ」の口径は大砲の砲口の大きさ(内法直径)で、「砲身長を50口径」の方は大砲の長さが38.1センチ×50、ってことね。
ややこしいですよね。
砲身を長くしてやると、砲弾が加速される時間が長くなりますので、その分初速(砲弾が飛び出していくスピード)が速くなり、遠くまで届いたり、打撃力がおっきくなったりします。
ヘタリア海軍だって、ホントはもっと口径の大きな(砲口がデカい)大砲を乗っけたかった筈。
ところが、ヘタリアの工業技術ではこれ以上の口径の大砲が製造できなかった…んだそうであります。
これってホンマなんでしょうかね?
想像するしかないんですけど、長い砲身が出来るならもうちっと「口のデカい」のが出来たんじゃないでしょうか?
口径が小さいと必然的に砲弾も小さくなりますから、砲弾はたくさん積めます。装填もラクだし、ヘタリアはこういったことを狙ったんじゃなかろうか?と思うんです。
まあ、実際のところはイタリアへ行って調べりゃ、判るんでしょうが。イタ公にそこまでして差し上げる義理は無いからなぁ。国内でも行けてないところは一杯あるし(笑)
主砲はオットー・メララ社が新たに設計した「OTO 1934年型 」ですからね。
885キログラムの砲弾を最大仰角35度で飛ばして、44640メートルまで到達。射程28000メートルで舷側装甲380ミリを貫通、18000メートルなら510ミリの装甲をぶち抜きます。
大和級と比べたらあきませんって。地中海でフランス海軍と戦うんだから、コレで必要十分なんです。
主砲身の俯仰(仰角35度・俯角5度)・砲塔の旋回(左右120度)・砲弾の揚弾・装填(発射速度は1.3発/毎分)は電力で行われるようになってましたが、補助の人力も必要でありました。
それでも良い大砲だったんだろうなぁ。オットー・メララですよ、オットー・メララ!
大砲ってモノ
大砲の歴史は古くて、13世紀ころの元vs南宋で登場したのが史上初、みたいです。どっちかって言えば南宋の方が先に使ったんじゃないか?とされています。
ココでいう「大砲」には、カタパルトとかバリスタみたいに火薬で飛ばさないヤツは含みません。
この時から、「筒の中にタマをこめて、火薬の爆発力でかっ飛ばす」という原理は1ミリも進歩していません。
詳しく書くのはちょっと長すぎますが、それほど「大砲」ってのは原始的な攻撃兵器であり、物理的に完成された(有効って意味に取ってくださいね)製品なんです。
で、こういった兵器を作って「傑作」だと言われ、世界中の軍隊に採用される、ってなりますと。
そのメーカーは凄まじい技術力を持ち続けている、と言えるでしょう。
以下、飛ばして読んでも構わない余談です。単純に、誰でもできる…うーん、例えば地面に転がってるラグビーボールを拾い上げるって事で考えてみましょう。
儂なら、近づく段階でどの角度で入ればスピードを殺さずに拾えるかを判断し、ノッコンの可能性を計算。敵の位置とスピード、味方の位置とそいつの性格(献身的にバックアップしてくれる奴か、バレんようにさぼる奴か)を勘案して、結局立ち止まって拾い上げる。
儂の妻でも立ち止まって拾う。
代表クラスなら、判断したり評価したりするポイントがもっとずっと多くて深いだろうけれど、たぶんいったん動きを止めて拾う。
傍目にはみんな同じ「立ち止まってボールを拾う」んですが、内実は全然違う。
敵のプレッシャーが掛かって、あるいは味方の反撃があって、初めて差が目に見えるんです。以上、余談終了です。
オットー・メララ社はイタリアの名門軍事企業ですからね。艦載用の76ミリ砲は世紀の傑作砲として有名です。
あんまり優秀過ぎて、日米の両海軍大国や本国イタリア、ドイツ・オーストラリア・スペインなど、地味に実力を持ってそうな海軍が軒並み採用しているほどです。
もっと凄いのは、インドとバングラデシュとか、イスラエルとアラブ首長国連邦とイランとか「そのうち相手が滅びるまでやるよね」みたいな国々が、お揃いでオットー・メララの76ミリ砲をご採用になってる所であります。
ついでに書いておきますと、私どもの「良き?お笑いネタ」である某国の海軍もご採用になっておりました。ただし、普通では考えられないことをやらかすんです。
つまり、オットー・メララの76ミリを劣化コピーして自国製だと宣言、あろうことか外国に安く売り込んだんであります。
オットー・メララは怒りましてね、特許侵害や営業妨害で訴えたんですが。
某国の最高裁では「防盾の形状がちょっとだけ違う」とか訳の分からん、筋の通らねぇ理由でオットー・メララが敗訴。
で、その後某国海軍はこの「コピー砲」を各種艦艇に搭載して行きました(外国には相手にして貰えなかったようです)。
コピー砲はオットー・メララより速射性能が上!とか言う触れ込みだったんですが、実際には異常動作が頻発してしまいます。
訓練中の異常は数知れず。
南下してきた北のフネに警告射撃中に動作停止。
黄海上でKoreaミサイル艇のコピー砲が勝手に砲弾一発を発射(笑)
そのせいで水兵一名重症などなど、お里が知れる惨事となったのでありました。
大砲じゃなくても、某国がお得意の「劣化コピー」を発動すれば、不幸をまき散らしつつ自爆しやがるのが通例なんですけど。
それでも、「大砲ならカンタン」とか、例によって思い上がったんでしょうねぇ。一見、大砲なんて原理は簡単だしね。
ボールを拾うのは誰でも出来るように、弾を何回か打ち出すだけならKoreaでも出来ました、ってことです。でも、それだけ。
いや、実戦中に作動停止って(笑)
話を戻します
すみません、ついつい話が飛んじゃいました。イタ公の話でした。
この名門オットーメララの製品ですから、80年以上前だって粗悪品だったワケがないんでありまして。
38cm砲という選択は自分の国力・技術力から導かれた合理的な選択だった、と言えると思います。
主砲は大和級と同様に、三連装の砲塔三基に収められてるんですが、この配置もABは背負い式で、Cが後方。
このC砲塔が結構工夫してありまして、かなり高い位置にあるんですね。
主砲塔は装甲が厚いこともあって、かなり重い。つまり、なるべく低い所に配置したいのに、なんで?ってことですが、コレはタービンからスクリューに行くシャフトをクリアするためだろうと思います。
砲塔の下部(真下とは限りませんけど)には必ず弾薬庫がありますから、艦内の容積を大きくとっちゃうんですね。
副砲もオットーメララで、「15.2センチ55口径速射砲」です。
これも三連装で、4基の砲塔を艦橋と3番主砲塔の側面部に1基ずつ配置しています。
主機出力は14万馬力の4軸推進で30ノットを発揮。
罐室を中心にして、前後に機室(タービン室)を設け、前機室を外舷用、後機室を内舷用として生残性を高めています。
艦首は造波抵抗を軽減するため、大和級と同じく球状艦首を採用していますが、航行時に振動が発生したようで、竣工後に艦の長さを延長したそうです。
球状艦首(バルバス・バウ)は客船などのように定速航行するフネによく合うモノで、航行速力の変化が大きい軍艦には使いにくいモノではありますが、大和級にこんな障碍が出た話は聞きません。
やっぱりヘタリア海軍は少し研究が足りなかったのでしょう。
「地中海専用戦艦」の船体形状は、艦首から後部のC主砲塔まで、シア(前後方向の反り、だとお考え下さい)の全然ない「長船首楼型船体」です。
凌波性能を考えたら、フレアの形状とともに、シアの付け具合は造船官の腕の見せ所なんですけど、波穏やかな海専用ですから(笑)
艦橋も特徴的で、円筒を積み重ねたような塔型です。
上から射撃方位盤室・7.2メートル測距儀塔(上下2段)・戦闘艦橋・操舵艦橋の順で、艦橋全体が装甲で覆われています。つまり、特に司令塔を設けていません。
重装甲の司令塔は指揮官を守るのに有効ですが、視野が狭いのと被弾した際の衝撃でちょっとした歪みが生じると、外部と通行できなくなる危険があります。
日本海海戦で東郷元帥が司令塔に入らなかったのも、このあたりが理由じゃないかと思います。
「勇敢さ」を見せるためだけに敵の砲撃下に身を晒すような武人に、あんな見事な勝利は望めませんよね。
まあ、こんなことで「ヴィットリオ・ヴェネト級」はバランスの取れた兵装と高速航行できる性能を手に入れました。
想定活動範囲が、何度も書きましたように「地中海限定」ですので、航続距離が短く4000カイリ(大和級だと7200カイリ)ちょっとしかないのが玉に瑕でしたけど。
出撃基地が地中海の真ん中に突き出た半島ですからね、それで良いのです(笑)
第二次世界大戦の欧州戦線の戦艦では、ビスマルク級やリシュリュー級と並ぶ名戦艦になる筈…だったんですが。
海軍は積極的じゃなきゃ
「ヘタレ」なりに一生懸命考え、身の丈に合わせたバランスの取れた新鋭戦艦を建造したのに、ヴィットリオ・ヴェネト級の名前が「海戦好き」(そんなカテゴリーのミリオタが居るかは?ですが)の話題になることはまず、ありません。
燃料不足が大きかったのですが、上層部の「戦意」は燃料よりも大量に不足していました。
「ほら見ろ、やっぱりイタ公じゃん」とか言われそうですね。
でも、ヘタリア海軍だって小艦艇はそれなりに奮戦してるんですよ。
陸軍だって、情況によっては英雄的な戦いを繰り広げています。ほぼ局地戦限定ですけどね。
つまり、イタ公は「上の方」だけがヘタリアで、兵隊さんや水兵さん、佐官クラスまでの指揮官は大日本帝国の兵隊さん達ほどじゃなくても、必死に戦ってるんですよ。
大型艦は、上層部が命令してくれないと簡単には戦場に行けないからねぇ。
結局、せっかく造った「名艦」も運用が消極的に過ぎ、活躍を見せる機会に恵まれないままに祖国が降伏してしまいました。
3番艦の「ローマ」に至っては、つい先日までの盟邦ドイツ空軍の新兵器フリッツX(誘導爆弾)の攻撃を受けて爆沈するという悲劇。
イタリア降伏後に「ヴィットリオ・ヴェネト」と「リットリオ」を接収した連合軍は、高速能力を活かして空母を護衛させることを検討したのですが、航続距離が短か過ぎて随伴不可能。
結局さっさと廃艦になってしまったのでありました。
イタリアというのは大日本帝国よりも国力が弱く、第二次世界大戦では主戦場に出るべきではなかったと思います。
それなのに、お国の歴史を振り返ると、どうしても地中海の沿岸を占領してみたくなるんでしょうねぇ。
大日本帝国海軍ですら、戦争に入ってからは戦艦2隻しか造れなかったのに、イタリアは「ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦」を3隻も完成させました。
イタリア海軍はその国力を冷静に勘案して、少ない予算で有効な戦艦戦力を整備していたのです。
もちろん海軍戦力全体では大日本帝国の足元にも及びません。特に戦艦以外の艦艇は非常に貧弱です。
しかし「戦艦という戦闘システム」に関しては我が帝国海軍のエライさんよりも真剣に考えてたんじゃね?とか思ってしまうのです。
いやいや戦艦に限らず、武器全般に言えることでありますが、
「できる範囲で最大の効果を発する戦力整備」
を為すことが最も重要ではなかったでしょうか。
八八艦隊計画ですら、国家の予算が破綻することが見えていた島帝国の海軍軍人は、この意味ではチャンスになり得た「軍縮条約」をちょっと違う方向の工夫でやり過ごしてしまいました。
貧乏でも、いや、だからこそ貧乏なりに最大限の効果を発揮する戦力整備、それがイタリア海軍の教えてくれる所だと思うのであります。