天翔る航空母艦
ツェッペリンから話を始めさせていただきます。
いや、ツェッペリンは別にこの記事の主人公じゃないんですけど、飛行船と言えばツェッペリンから喋っとかないといけませんからね。
硬式飛行船
1897年の1月13日のことであります。ベルリンの路上で中年男が一人、心臓麻痺で死亡しておりました。オーストリア人のダーフィット・シュヴァルツと言う男であります。
この「野垂れ死に」しちゃったダーフィット・シュヴァルツさんなんですけど、実は凄い人でして。
世界で初めて「硬式飛行船」を着想し、その製作にもほぼ成功していたんです。
ただ、新開発の機械にありがちな細かなトラブルと当時の水素ガスの品質の悪さに悩まされ、パトロンのロシア政府と金銭トラブルとなっていたのです。
皮肉なことに、シュヴァルツの亡くなった日には高品質の水素ガスを手配するメドが付きます。
シュヴァルツの死の10か月後には開発を引き継いだ未亡人メラニエ・シュヴァルツさんの手になる飛行船が空に舞うことになるのであります。
この飛行船は操縦系統の不調で着陸に失敗して破損してしまうのですが、この試験飛行を羨望と野心に満ち溢れて見つめている一人の男が居りました。この男こそドイツ人フェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵。
ツェッペリン伯はこの硬式気球の可能性に気づき、未亡人から特許を買い取って飛行船の開発の主役に踊りだすのです。
ツェッペリン伯も様々な曲折を乗り越える必要がありましたが、硬式飛行船は進歩を続け、長距離・大量の輸送手段として将来を有望視されるまでになりました。
単に「ツェッペリン」と言えば硬式飛行船を言うほどになり、世界各国が「ツェッペリン」に注目するようになったのでありました。その大きな要因は「大型化できる」と言う一点に集約できるのです。
硬式飛行船はジュラルミンのキールを中心にしたフレームで船体を作ります。
その内部に、多数の気嚢を収めて浮揚力としているのですが、このころ主流の水素ガスの浮力はフレーム+気嚢の重量を上回っています。
ですからフレームの強度が許す限り大型の船体を製造できますし、気嚢が幾つか破損したって簡単には墜落しません。
しかも(ココが肝心ですが)、大型化すればするほど予備浮力が増大することになります。
つまり、硬式飛行船には(構造材の強度による大型化の限界はありますが)ペイロードの限界が無いのです。大きくすれば、何でも積んで空を飛べるのです。
「なんでも積んで空を飛べる!」これはジェットエンジンもロケットエンジンもない世界の人びとにとって、無限の可能性を意味したことでしょう。
新興の大国
「ツェッペリン」は基本的に旅客を積んで飛ぶように発展していきます(商売もしなきゃいけませんからね)。
豪勢なキャビンを装備して大西洋を横断し、やがて世界一周の途中に東洋でただ一国、欧州列強に伍して発展する島帝国に立ち寄るまでになります。
旅客だけではなく、いろいろなモノを積めるようになり、旅行だけじゃなくて他の用途にも使われていく(本城さんの出版された本に詳しく載ってます)のでありますが、それは別の話にさせていただきます。
この記事の主人公は「空飛ぶ航空母艦」なんですが、これを発想し実現するためにはある超絶した大国が必要でした。
この国でなければ、「空飛ぶ航空母艦」は必要ではなかったし、実現することも出来なかったのであります。
その意味でこの記事の主人公は「アメリカ」であろうかとも思われます。
アメリカ合衆国は建国以来旧世界での争いからなるべく身を避け、弱そうな相手だけを叩いては経済発展を指向することで国力を伸張させてきました。
第一次大戦では参戦することになりましたが、主要な戦場から外れて外征軍以外には被害もありませんでした。その割には戦時特需は膨大で、終わってみれば世界一の大国に成りおおせていたのです。
参戦国以外では手に入れられない戦訓や最新軍事情報もたっぷり手に入れていました。その代表が「ツェッペリン」であったのは申し上げるまでもないでしょう。
世界列強の筆頭格にのしあがったアメリカ合衆国が、ツェッペリン(硬式巨大飛行船)の建造に乗り出して行くのは当然だったのであります。
ヘリウム・ガス
実はアメリカには、独英にはとても追随できない圧倒的な有利なポイントがあり、これがアメ公式「ツェッペリン」の開発を後押ししていました。
それはヘリウム・ガスの存在であります。
ヘリウムは独英の「ツェッペリン」に使われる水素に次いで軽い気体で、水素のように容易に爆発することがありません。
現在では超電導用の冷媒とか変声ガスなどで注目されることが多いのですが、気球の浮揚ガスとしてはこれ以上のモノは現在でもありません。
ところがこのヘリウム、大気中にごくごく微量しか存在しません。水素のように空気から分離精製するのは経済的に全く引き合わないのです。
ところが1903年にカンザス州で石油採掘のためのボーリング調査が行われたところ、不燃性のガスが吹き出してきたのです。
成分を詳しく分析してみると、1.84%ものヘリウムが含まれていました。
希少なヘリウムがカンザス州の地下に大量に偏在していて、しかも天然ガスの副産物として入手出来る可能性が出てきていたのです。
アメリカはこの偶然を最大限に活かすことにしました。
阻塞気球の浮揚ガスとしてヘリウムを生産することにしたのであります。
かくしてアメリカは当時世界で唯一のヘリウム生産国となったのでありました。
現在でもヘリウムはアメリカ・カタール・アルジェリア・ポーランド・ロシアの5か国でしか生産されておらず、アメリカは世界最大の生産国であり続けています。
アメリカ合衆国は、世界で唯一「爆発しない飛行船」を建造・運用する最低限の資格を手に入れたのでありました。
必要性
新たなジャンルの武器体形を構築するには、技術的・経済的な十分条件とともに状況としての必要条件が必須です。
アメリカでも特に飛行船に関心を示したのは海軍でした。
アメリカ海軍は太平洋・大西洋の両方に艦隊を展開する必要があり、両洋の通商路を守るために多くの艦船を必要としていました。
当時の感覚からすると、広大な太平洋・大西洋を押し渡って攻め寄せてくる敵艦隊を発見・対抗するためにも、硬式飛行船を監視任務に採用できれば…。
この頃の飛行機は性能的にはまだまだ貧弱・劣悪です。
洋上の「決戦兵力」たる超弩級戦艦の艦隊を脅かす能力はとてもありませんでした。
しかし狭い地中海やヨーロッパ沿岸ではありません。
アメリカ海軍が守らなければいけないのは広大な大西洋であり太平洋であります。
ここで敵艦隊を発見し、味方を正確に誘導する必要があるのですが、コレはなかなか簡単なことではありません。
ですが数千キロの航続距離を持ち、一週間以上も連続して滞空可能な「ツェッペリン(大型硬式飛行船)」ならば、高空に長期間とどまって広大な洋上を監視しつづけることが可能じゃないか!
アメリカ海軍はこの様に考えて、ドイツやイギリスから「ツェッペリン」を買い入れるのと同時に、自力での建造に着手したのです。
アメリカ海軍の新技術への対応能力は当時から高く、国産第一号のZR-1「シェナンドア」に続き1921年12月1日には早くも世界初のヘリウム飛行船C-7の処女航行を実現するのでした。
ドイツから輸入したZR-3「ロサンゼルス」の実績も踏まえ、アメリカ海軍が満を持して建造を開始したのが2隻の大型飛行船、ZRS-4アクロンとZRS-5メイコンでありました。
タイヤメーカーのくせに
アメリカ海軍の硬式飛行船開発で特筆すべきはグッドイヤー社の存在です。
世界最大のタイヤメーカーであったグッドイヤー社は1924年にツェッペリンと合弁の飛行船会社を作り、海軍向けにお得意の「ゴムの皮膜」を活用して気球や飛行船を提供し始めたのであります。
やがて海軍の要求に合わせて建造したグッドイヤー社渾身の力作が「天空の航空母艦」たる、ZRS-4「アクロン」とZRS-5「メイコン」の姉妹なのでありました。
ZRSとはZeppelin・Rigit・Scoutの頭文字で、すなわち「偵察型硬式飛行船」の略称だと思われます。
艦名はどちらもアメリカの都市の名前です。アクロン市とメイコン市はどちらもグッドイヤー社のお膝元、日本的に言えば企業城下町ですね。
この命名にはグッドイヤー社の意気込みとアメリカ海軍の腰の引け具合が判って面白いと思います(そう、実はアメリカ海軍は硬式飛行船の性能に期待しながら実用性に疑問を持っていたんです)。
天翔る航空母艦って書いちゃってますから先に言っときますと、この姉妹には自己防衛用兼偵察用の戦闘機が搭載されていました。
超巨大飛行船
「アクロン」と「メイコン」の艦体は全長240mもあり総容積は18万4000立方メートルに達する、当時としては空前の巨大飛行船でした。
ドイツ製(マイバッハ)560馬力レシプロエンジン×8基、巡航速度90km/h、最高速130km/h、航続距離20000(!)km。
2姉妹よりわずかに早く「進空」した本家のLZ127「グラーフ・ツェッペリン」(初の世界一周飛行で有名で、我が国にも飛来)と比べるとその巨大さがよく判ります。
「グラーフ・ツェッペリン」の全長は236.6m、総容積が10万5千立方メートル。
マイバッハ550HPエンジン×5基、浮力には水素、動力にはプロパンガスを使っていました。そんなに変わらない、ですって?長さはそうかも知れませんが、容積を比べて下さい、1.8倍ですよ!
この巨体が可能になったのは、前述のように硬式飛行船の構造のためでした。
フレームの強度が許す限り大型の船体を製造できるし、気嚢が多少破損したところで、簡単には浮力を失ったりはしません。
当時の飛行船の最大の欠点は気嚢に充填した水素ガスが引火しやすいことでした。
この点、「アクロン」と「メイコン」はアメリカでしか生産されていない不燃性のヘリウムガスを浮揚に用いていますので、本家の「ツェッペリン」に比べるともの凄く有利だったことが判ります。
船体構造にも最新の技術が用いられています。
空気抵抗を低下させるため、マイバッハエンジン8基はすべて船体内に収められていまして、プロペラだけを船外に突き出しているのです。
このプロペラは上下左右に動かすことができるので、巨大な艦体に細かな機動をさせる事が可能になっていました。
副次的な効果として、「アクロン」と「メイコン」の乗員は船外に出ることなく気嚢やエンジンの整備を行うことができました。
なんでもない事のようですが、中空に身を晒すことなく業務を遂行できることは、乗員の疲労を大きく軽減したと思います。これは「長期滞空」のために絶対に必要なことなのです。
「アクロン」と「メイコン」は艦隊の眼として大いに期待されていました。
洋上での総合的な情報収集活動が求められていたのです。今流に言えば「早期警戒機」的な役割でしょうか。
「アクロン」と「メイコン」の最大速度は時速100kmを超えます。これは軍艦よりは相当速いのですが、それでも当時の幼稚な飛行機よりも遅いのです。
しかしながら当時の飛行機は長時間の飛行は出来ませんし、小さな飛行機の操縦席からの観測は難しく、精度は高くなる訳がありませんでした。
アメリカ海軍は「アクロン」と「メイコン」に飛行船と飛行機、両者の長所を兼備させ、「早期警戒機」の機能を実現する事にしました。
すなわち、「艦内」に小型の飛行機を搭載して空中から発進・収容することが出来たのであります。まさに空飛ぶ航空母艦なのです。
アメリカの贅沢なところはこのための専用機を開発しちゃうところで、試作機を含めて計8機が生産されました。
それが「カーチスF9Cスパローホーク戦闘機」です。
「スパローホーク」はクレーンで「アクロン」「メイコン」の艦体下部から降ろされて空中に発進・自律飛行し、帰還時には機体上部に装備されている装置をクレーンのフックにひっかけて「着艦」するのです。
「アクロン」と「メイコン」は飛行機の他にも偵察用の装備を持っていました。小型のゴンドラです。
偵察員を載せたゴンドラをワイヤーで数百メートル下に吊るす装置を装備していたのです。
これによって、「天空の航空母艦」は雲の上に身を潜めたまま下方を安全に偵察することができたのです。
飛行機とゴンドラを搭載した「アクロン」と「メイコン」は、まだレーダーが未発達なこの時代では、隔絶した偵察能力を持っていたと言えるでしょう。
4機の偵察機を4方に放ち、雲上から遙か下方にゴンドラで偵察員を送り込み、母船上で情報の分析まで可能。
味方艦隊を自在に有利な地点へと誘導できることでありましょう。
アメリカ海軍の絶大な期待(と「そんなにうまい事行くんかいな?と言う一抹の不安)を一身に浴びて「天空の航空母艦」の一番艦「アクロン」は1931年に、二番艦「メイコン」が1933年に就役したのであります。
風に弱い、それも半端なく弱かった
「天空の航空母艦」の出現は全世界の海軍の戦い方を根本的に書き換えてしまう、かのようにごく一部の人たちは興奮いたしました。
しかし、この興奮はあっという間に冷めてしまうのでありました。
「アクロン」は大西洋に配備されていたのですが、妹「メイコン」の就役を待っていたかのように、1933年の4月3日、ニューイングランド沖合で嵐に遭遇して洋上に墜落してしまいます。
もちろん浮力を失ったのではありません。強風にあおられて海面に叩きつけられたのだと推測されています。乗員76名のうち73名が殉職。
「アクロン」が遭難する一ヶ月前に就役した「メイコン」はカリフォルニア州のモフェット海軍基地に配属されて、演習では良好な成績を上げていました。
しかし1935年の5月31日、太平洋上カリフォルニア沖合いでコチラも嵐により遭難。ただ「アクロン」の教訓は生かされいて、2名を除く全員が救助されました。
「アクロン」と「メイコン」姉妹は優れた設計の飛行船だったと思います。
レーダーのない当時では、嵐に遭遇してしまうのは予測が困難で現在よりも可能性が格段に高いモノです。
まして嵐の暴風の中では飛行機だって墜落してしまうんですから、両艦の墜落は飛行船の欠陥と言い切ることは出来ないのではないでしょうか。
「アクロン」「メイコン」姉妹の事故は不運としか言いようがありません。
もっとも、嵐の上に出ろよ、という意見もございましょう。飛行船には空気の密度や気温による上昇限度がある筈ですが、電脳大本営の能力ではこれが可能であったかどうか、検証のしようがありません。面倒くせぇんだもん。
ただ、大型飛行船はイニシャルコストもランニングコストも莫大でした。
金満アメリカ海軍と言えども、超高価な「ツェッペリン」が造る端から墜落したのではたまったものではありません。
そんな事なら長距離偵察機をたくさん揃えた方が、安上がりというモノです。
レーダーが発達すれば、こういう気象も事前に回避できるようになる筈ですが、発達したレーダーで洋上を監視できますから、「ツェッペリン」を偵察に使う必要性は薄れていきます。
両艦の事故を受けて、アメリカ海軍は「ツェッペリン」の運用に見切りをつけてしまいます。
「アクロン」の事故の時にたまたま乗り合わせて殉職した「アメリカ海軍航空隊の父」モフェット少将の死も、飛行船推進派には痛かったことでしょう。
この後、「ツェッペリン(硬式飛行船)」は急速に廃れていきます。グッドイヤーの飛行船も、ヘリウムを詰めた袋をそのまま船体とする「軟式飛行船」にカタチを変えてしまうのであります。
第二次大戦には百隻あまりの小型飛行船が哨戒任務を行っていますが、これも長距離飛行が可能な大型哨戒機の登場で次第に姿を消してしまいます。
グッドイヤーは第二次大戦後も粘り強く飛行船を作り続け、船体の中にレーダーを収めた「早期警戒飛行船」なるものを造ったりしています。
天空の航空母艦対決が見たかった
ところで太平洋に配属されたメイコンとその搭載機は、広大な太平洋で大日本帝国海軍と戦うことを想定した偵察部隊でした。
この空前の偵察能力を持った大型飛行船の出現を日本海軍がどのように見ていたかは良く判りません。
でも、日本海軍だって大正時代には小型飛行船を導入して偵察に運用しています。
グラーフ・ツェッペリン号の世界一周飛行には、日本海軍の士官が搭乗していますし、日本での寄港先は霞ケ浦の飛行船格納庫でした。
もしも「メイコン」が遭難せずに活躍を続けていたら?
日本海軍が対抗手段として大型飛行船、それも戦闘機を搭載した「天空の航空母艦」を建造をしてもおかしくはありません。
実際に日米の巨大な「天翔る航空母艦」が太平洋の覇を争ったかどうかはともかく、両国が「超大型ツェッペリン」の開発・運用競争を繰り広げていたら?
現代の空の様相も、ちょっと違ったものになっていたかも知れませんね。