九五式水上偵察機~ドイツ仮装巡洋艦にも搭載された名機~
大日本帝国海軍の水上機と言えば、「二式大艇」などの飛行艇や「二式水戦」「強風」といった戦闘機?
いやいや、やっぱり本命は「偵察機」ですよね。
偵察機の近代化
昭和8年、それまで使っていた九〇式水上偵察機(輸入した米国機の改装型)が古くなってきた大日本帝国海軍は近代化策をとりました。
八試水上偵察機の開発と試作を中島飛行機、川西航空機、愛知航空機の3社に対して指示したのです。
川西は当時としては超先進的な単葉機で、愛知は複葉機でしたが斬新な設計で試作機を作ってきました。
それに対して中島は九〇式二号水上偵察機をベースにして各部をシェイプアップした、いわば堅実路線。
複葉・木金混合の骨組みに羽布張りの構造は九〇式水上偵察機と同じ。
それでいながら主翼や胴体を空力的に洗練した機体を作り上げたのです。
特に上翼を見ていただくと、なんと後退角が付いています。
最高速300キロにも満たない水上機で、後退角が何の役に立つのかさっぱり判りませんが、なんかカッコ良いではありませんか。
試作機は九〇式水上偵察機に比べて、速度・上昇性能の他、操縦安定性などで著しい性能向上を見せました。
川西・愛知との比較審査でも運動性・安定性で勝っており、昭和10年9月に九五式水上偵察機として制式採用されました。
全長: 8.81 m、全高: 3.84 m、翼幅: 10.98 m
乗員2名、寿2型(空冷星型9気筒レシプロ)エンジン(630 hp) × 1
最大速度: 299 km/h、固定武装: 7.7mm機銃×2、爆弾: 30kg爆弾×2
何故かスリランカの歴史
九五式水上偵察機の運動性能に対する評価は高く、九六式艦上戦闘機にも匹敵すると言われていました。
日支戦争では偵察以外に哨戒や爆撃任務をこなし、戦闘機代用として制空任務に出撃もしています。
支那戦闘機とドッグファイトして、勝利した記録もあるようです。
この活躍は大日本帝国海軍に「二式水戦」や「強風」など、水上戦闘機の開発を決意させる事になりますが、そこには他の事情もありましたので別のお話といたしましょう。
大東亜戦争の始まる前が「九五式水上偵察機」のピークで、後継の零式観測機が配備されるようになると、徐々に第一線からは退きます。
生産は昭和15年までで、総生産数は750機ほど。大東亜戦争を生き延びたのは50機で、特攻で使用された機もあったようです(´;ω;`)ウッ…。
大東亜戦争中は、基本的に哨戒機や練習機として使用されたんですが、緒戦期には激戦地にも出張っています。
その代表例が「セイロン島沖海戦」なんですよ。
セイロン島ってのは、今はスリランカって呼ばれている、インド亜大陸の東岸南限近くに浮かぶ大きな島です。
歴史は古くて、アショカ王の時代から仏教が盛んな島です。
ちゃんと記録も残る「本当の歴史」ですよ。
我が国の近隣の「妄想5000年歴史国」とはワケが違います。
ところが、不幸なことに16世紀にポルトガル人に見つかり、1653年からはオランダが植民地にしちゃいます。
その後「ナポレオン騒ぎ」のドサクサに紛れてイギリスが占領、植民地支配。
大東亜戦争が始まった時はコロンボ港とトリンコマリー港を二大拠点(コロンボは商業兼)として、大英帝国東洋艦隊がインド洋の制海権を握っていたのであります。
さて、ハワイ奇襲に神速の南方資源地帯占領で「第一段作戦」を成功裡に終えた大日本帝国…とされるのが普通でありますね。
で、次にどうしようか?と考えた。
戦争始める前から考えとけよ!って話になっちゃうワケでありますが、実はこの時、まだ英領ビルマは全土を掌握出来ていませんでした。
首都ラングーンは占領してたんですが、まだまだ兵力を増強し、補給物資を届けてあげる必要がありました。
「大陸打通」はもっとずっと後のことですから、この補給は海路を使うしかありません。
このシーレーンが、在セイロンの英国東洋艦隊に脅かされていたのですね。
「第二段作戦も特にないし、通商破壊戦でもやっとかぁ」みたいに理解される傾向が強い「インド洋作戦」ですが、フリート・ビーイングを図ってビルマ補給路を狙う英艦隊に対する「撃滅作戦」の意味もあったのであります。
いっつも海軍(上層部だけだぞ)の悪口言ってるんで、お詫びの印に、一寸だけヨイショしちゃいました。
敵空母発見!
セイロンに居たロイヤル・ネイビーの東洋艦隊は、J・サマヴィル中将が指揮を執り、空母3・戦艦5・重巡2・軽巡4・駆逐艦15と航空機180機の大部隊です。
緒戦期に蘭印などを巡って大日本帝国艦隊にボコボコにされて、なおこの威容ですから、さすが老大国です。
この大艦隊を叩きに、インド洋に進出したのは南雲忠一第一航空艦隊司令長官率いる「南雲機動部隊」(空母5・戦艦4基幹)と小沢治三郎第一南遣艦隊司令長官の「馬来(マレー)部隊」(巡洋艦6、軽空母1、駆逐艦4)であります。
両部隊合わせて駆逐艦19・航空機350。我が侵攻艦隊には、陸上基地の支援がないことを考えると、兵力は互角と言って良いかも。
ただし、大日本帝国には南雲機動部隊のスペアはありませんでしたが、大英帝国には「本国艦隊」ってモンがありますし、あっちこっちの植民地警備艦を引き抜いてくると、これくらいの艦隊は4~5セットひねり出せるでしょう。
先にチョロッと書きましたが、大英帝国東洋艦隊ったら「海軍の最先達」の癖に、インド洋ではフリートビーイングに徹していたんです。
フリートビーイングは基本的に大陸国の取るべき戦略(何故か?って言うと…いや、その話はまた今度ね)であります。
英軍はこの時点で帝国海軍の暗号通信を傍受し、地点符号までは正確に解読出来ていたようです。
司令官サマヴィル中将は3月20日ごろ、
「日本軍は4月1日にセイロン島を攻撃する」
と正確な見通しを得て、出撃して迎え撃つことを計画したのですが、「艦隊温存主義」には逆らえません。
みすみす港内でアメリカ艦隊みたいな目に合うわけにも行きませんから、全艦隊は出港してセイロン島の南をウロウロし始めたのでした。
いやいや、このままセイロン島沖海戦を詳しく書いてたら大変ですね。思いっきり端折ります。
要は、南雲艦隊は強かった…いや、「赤城」が英国機の奇襲を喰らって、至近弾が挟叉するヒヤヒヤの瞬間もありまして。
歴史を知る私たちは「次のミッドウェイで警戒を厳にしなきゃ」とか批判するネタにするのであります。
ただ、英国艦隊はミッドウェイのアメリカ艦隊に比べると、完全に腰が引けておりまして、なかなか主力を捕まえきれません。
そんな時に、戦艦「榛名」に搭載されて、偵察に出た「95式水上偵察機」が「敵空母発見」を打電してきたのであります。
この空母が英海軍の「ハーミーズ」でして、我が「赤城」「飛竜」「瑞鶴」「翔鶴」の各空母から発進した艦爆隊が「45発投弾・37発命中・命中率82%」の超絶的な命中率で撃沈してしまうのでありました。
誘導弾を投下したんじゃないですからね。
このように、「九五式水上偵察機」は大東亜戦争でも相当数が使用されていましたが、日本海軍以外でも2カ国に輸出され、艦載機として運用されています。
九五式水上偵察機の活躍は海外でも
えっ、2カ国?と思った方も多いのではないでしょうか?
戦前の日本の兵器がタイ王国に輸出されていたことは、かなりの方がご存知でしょうから。
まずはタイからご覧いただきましょう。
といっても、飛行機の画像は無いんです。
搭載していた「フネ」を見ていただこうかな、と。
タイ海軍の練習・多目的艦「メコン」、現在は陸に上がって保管されておりまして、博物館として使われています。
この艦は昭和11年7月24日、横須賀の浦賀ドックにて進水。
タイ海軍への引き渡しは翌12年9月26日。
退役したのはなんと1995年。なんとも大切に使われ続けた、大日本帝国製の軍艦です。見たかったぞ、現役の時に…。
排水量:1400トン
12cm/45口径単装砲 4基
20mm機関砲x2
連装45cm魚雷発射管 2門
水上機1機
零観なども使われたようですが、この九五式もメコンに搭載され、仏領インドシナとの戦闘に出たり、大東亜戦争中に米軍機を襲撃したり(これは実は機種不明、電脳大本営のけっこう自信のある推測)しています。
タイでも「運動性は抜群じゃん!」って評価してもらってたんでしょうか?
そのあたりははっきりしません。
ドイツの仮装巡洋艦に
もう一カ国の方は、自国でも水上機の生産を行っていた国、独逸なんです。
九五式の評価は非常に高く、「ナカイーマ」(ドイツ語だとこんな発音になると思います/訂正希望)と呼んで大事に使ってくれたようです。
独逸巡洋艦はプリンツ・オイゲンとケーニヒス・ブルクを記事にさせていただきましたが、「ナカイーマ」を積んでくれたのは専門の巡洋艦ではなくて「仮装巡洋艦」です。
「仮装巡洋艦『オリオン』の勇気溢れる冒険物語をどうぞ」、と言いたいところですが日本語で読める文献にはほとんど出てきません。
仕方ないのでWikiから
オリオン (Orion) は、第二次世界大戦で通商破壊戦を遂行したドイツの仮装巡洋艦。
1930/31年に竣工した貨物船「Kurmark」を改装して1939年12月9日に就役。
「オリオン」は最初に仮装巡洋艦に改造された商船の1隻である。通商破壊船1号 (Handelstörkreuzer 1) と名づけられて、1940年4月6日ドイツを出発し中立国の船を装いホーン岬を回って太平洋に入った。英海軍は同船を Raider-A (襲撃艦 A)とマークして探索した。
「オリオン」はオークランド港沖に機雷原を設置し、ナウル沖で仮装巡洋艦「コメート」と共に数隻の敵船を沈めた。1941年8月23日ボルドーに帰還した。この間7隻の商船を沈めた。
ドイツ本国から大西洋を横断、ホーン岬(南アメリカ最南端)周りで太平洋へ出て暴れるコースですね。
武器輸出を
ところが、オリオンは偵察用にアラドAr196を積んでたんですが、「インド洋で」酷使されて故障。
そこで寄港した日本で九五式水偵を購入した、と言う説明もあり、これだとWikiの解説と辻褄が合わなくなってしまいます。
でも写真に見られるように、ドイツの仮装巡洋艦に搭載されたのは事実(画像では偽装のために蛇の目マークを入れていますが、ロイヤルネービーに売り払ったわけではありません)です。
艦名が違うのか、Wikiの記載(私はコレを疑っております)が違うのか?
ドイツの仮装巡洋艦(貨物船も)は、大西洋上でUボートに物資を補給しながらインド洋へ回り、南方資源地帯(大日本帝国が占領している蘭印・仏印など)で原油や戦略物資を積み込み、南シナ海を経て日本へ、と言うコースを取るのが普通です。
ともあれ、本国に帰ったオリオンは砲術練習艦となり、ナチス崩壊も迫った昭和20年1月に現役復帰。
東プロイセンからの国民脱出作戦に従事しましたが、5月4日に撃沈されてしまいました。
この時に九五式水上偵察機が載っていたのかどうか、確かめる手立てを思いつきません。
さてさて、戦前から小規模ながらやっていた「武器輸出」。
どんどんやるべきだと思いませんか?