支那海軍の接続水域侵入が狙うモノ~新・領海侵犯艦船を撃沈してやる~
支那海軍のフリゲートが、我が領土尖閣諸島の接続水域に一時的に侵入して参りました。
意味するところは
産経新聞が号外を出すほどの騒ぎで、政府の外交面での対応も素早かったと思います。民進党が政権の座にいたら、こうは行きませんでしたね。
ただ、政府はいまだに「尖閣諸島に領土問題は存在せず」の主張を大切にしているようで、対応に生ぬるさが否めません。支那の狙いを考える前に、そのあたりを検証しておきましょう。
さてさて、接続水域に軍艦が入る事自体は「違法」でも「侵略」でもなんでもありません。
接続水域の奥の領海ですら、沿岸国は無害であると推認できる船ならたとえ軍艦であっても、航行を認めてやらねばなりません。
今回もロシア艦も一緒に入ってきていますが、政府はロシアに対してはクレームを入れていませんね。
支那艦が我が国の承諾を得ずに尖閣海域の接続水域に入ってくることが、号外が出るほどの問題なのは、支那が無法にも尖閣諸島の領有権を主張しているからです。
このことによって、支那の艦船・船舶は我が領海と接続水域での「無害通航権」を失っている、と考えられるのです。すべての日本の領海・接続水域から支那船を締め出すべきなのですが、実際には我が国は尖閣海域でのみ、支那艦船を拒否しているに過ぎません。
つまり、尖閣諸島の接続水域に支那のフネが侵入することに対し、我が政府が抗議することは「お前たちが尖閣の領有を主張するからだよ」と言っているようなモノで、「尖閣諸島に領土問題は存在せず」とは論理矛盾を起こしてしまっています。
ここは一つ過去の主張などにとらわれず、
「尖閣諸島は明確に日本の領土であるにも関わらず、支那が不法に領有権を主張している」
と見解を改めるべきでありましょう。
なぜ「今」なのか?
我が国で参議院選挙が目前に迫っていることもあって、圧力の意味があったのかも知れませんね。プロ市民団体に対して、さらに激しく動けっていう…
もっと有り得るのは、フィリピンが南シナ海で国際仲裁裁判所に申し立てている支那の海洋侵略問題の判決が近いという観点でしょう。
報道されている通りなら、支那の完全敗訴となりそうです。
支那は、軍事力を行使し続けて判決は受け入れない、と表明しています。
このことのアピール、フィリピンを支持するなという圧力、いろいろな意味が読み取れるでしょう。
しかしこれだけでは単純に海軍力を比較すると、日米同盟にはとても太刀打ちできない支那水軍が、なぜ南シナ海で攻勢を掛けながら東シナ海でも攻めに出る「両面作戦」を選択したのか?説明できないと思います。
歴史上の両面作戦
戦史に残る両面作戦としては、やはり第一次大戦で実施されたシュリーフェン・プランを見ておくべきでしょう。
ドイツはナポレオン以来の「大陸軍」の伝統を持つフランスと、世界一の国土面積を誇るロシアとに挟まれるという地勢にあります。
ビスマルクなどは巧みな外交で仏露どちらかを孤立させて、脅威を取り除いてドイツ帝国を成立させます。
しかし相手があるのが外交で、都合のよい状況がいつまでも続くものではありません。
ドイツ生存のための必勝の両面作戦。それがシュリーフェン・プランだったのです。
ドイツ参謀総長シュリーフェンは、フランスを全力で攻撃して対仏戦争を早期に終結させ、その後反転してロシアを全力で叩こうと考え付いたのです。
ロシアはその国土の広大さと鉄道などの輸送手段の整備が遅れており、軍の前線への集結に時間がかかると見ていたからです。
第一次大戦が勃発すると、ドイツはさっそくシュリーフェン・プランを発動します。
初めの数週間、ドイツの作戦は好調に進んでパリを脅かし、フランスは政府をパリからボルドーに移すほどでした。
しかし、この頃から伸びきった兵站に不調の兆しが見え始め、ドイツの快進撃は停滞気味となります。
9月5日にはジョッフル元帥率いるフランス軍にマルヌで大敗北を喫しシュリーフェン・プランは完全に破綻してしまいます。
ここから戦線は膠着、泥沼の塹壕戦が続くことになってしまいました。
支那の狙い
支那海軍としては、南シナ海で収めつつある勝利を確実なものにするため、「判決」が出る前に日本の介入を止めておきたかった、というところでしょう。
「小日本よ、東シナ海で手一杯だろ?余分な口出しするんじゃねえ」
ってところでしょうが、シュリーフェン・プランが見抜かれると、ひたすら守りに徹する相手に無理攻めをしなければならなくなります。
我が国は次の侵入をじっと待ち、「ジョッフルの一撃」を食らわせれば良いのです。
シュリーフェン・プランと支那海軍侵入の共通点
シュリーフェン・プランには決定的な弱点がありました。
上の図を見ていただくとお判りのように、フランス攻撃のために、中立のオランダ・ベルギー・ルクセンブルグの領土を通過しなければならないことです(実際にはオランダは通過しなかった)。
実はドイツ参謀本部の創設者、大モルトケも対仏露の両面戦争の作戦を準備していました。
大モルトケ・プランは、まずロシアと戦いフランスに対しては堅く守るというモノでした。シュリーフェン・プランとは真逆です。
真逆というのは、先に攻める方向が反対、というだけではありません。
攻撃一点張りではなく、防衛戦を基本作戦としている点を言っています。
伝説的な作戦家の大モルトケは何故そんなプランを立てたのか?
ロシアは国土が広いので何度攻勢に成功しても、モスクワまで追い込むのは至難です。
大モルトケの狙いはもっと政治的だったと思われます。攻めあぐねたフランスが取るのは、オランダ・ベルギー経由の攻撃。
フランスが中立国を侵犯するような手段に出てくれれば、国際世論はドイツに味方する。これが大モルトケの作戦だったと思います。
主戦場の南シナ海にしろ、陽動作戦の東シナ海にしろ、支那の主張には「合法性」が全くありません。
日本政府はこの点をもっと国際的にアピールすべきです。
ただし、戦闘勃発を恐れてはなりません。
いや、積極的に支那艦を攻撃して「支那恐るべからず」を世界に見せていかなければいけません。