イタ公と呼ばないで《陸軍編2》~ロイヤルネイビーを弄ぶ高射砲~
やるときゃやるんだから、イタ公だって。
頑張れるときは頑張るんだから、ヘタリアだって。海軍編1はコチラから
今回は、大英帝国海軍にスポットが当たってしまうかも、ですけどね。
イタリア軍進撃?
1940年9月7日、ヘタリア陸軍はリビア(当時イタリア唯一の植民地)から英領エジプトに向けて進撃を開始しました。軍部は反対したのに、ムッソリーニが押し切って進撃命令を出したとされています。
ドイツ軍快進撃の威を借りて、植民地拡大を狙ったイタ公でしたが、陸軍の装備不良は隠せません。
広大な砂漠の戦線で、移動用のトラックすら持たない歩兵部隊が活躍できる筈もなく、あっという間にイギリス軍に押し返されました。
押し返されて、ズルズル後退し過ぎて、リビア領にも侵入されてしまいます。
唯一の植民地消滅の危機に慌てたムッソリーニは、例によってドイツの飛寅さんに救援を求めます。
そして登場したのが「砂漠のキツネ」ロンメル将軍でした。
エルヴィン・ロンメルを指揮官とするドイツアフリカ軍団が、リビアに派遣されたのは1941年2月であります。
行動の速いキツネさんは、3月に入るとヘタリア軍も連れて本格的に反撃開始。
4月にはベンガジを奪回し、イギリス軍の補給の要となっていたトブルクを包囲します。
しかし、ここまでの喪失戦力は補充されず(海軍編1をご参照くだされ)、イギリス軍の抵抗も激しくなって陥落させることはできず、半年の間トブルクを攻囲することになります。
イギリス軍は11月にクルセーダー作戦を発動し、トブルクの攻囲を打ち破っただけでなく、枢軸国軍をエル・アゲイラ付近まで追撃、キレナイカをも取り返すことに成功します。
キツネさんのアフリカ軍団は、補給が十分に蓄積されるまでじっと耐え、1942年1月になって反攻を開始しました。
アフリカ軍団は1月29日にベンガジを占領、ガザラ(トブルクの西)に防衛線を構築したイギリス軍に迫りました。
ここで、前回の物資不足に懲りたロンメルは戦力が補充されるまでムリ攻めを控え、4か月も対峙を続けます。
キツネさんは見た目が温顔ですが、たいへん攻撃的な指揮をする人。そのキツネさんが良く我慢なさったモノであります。
5月26日、満を持して枢軸国軍はガザラ防衛ラインに襲い掛かりました。激戦の末イギリス軍は後退、キツネさん軍はついに6月21日、トブルクを占領したのです。
トブルクの重要性
トブルクはイギリスにとって大事な港でした。
エジプトからだけでなく、本国やインド、アメリカなどからの補給を最前線近くに上げることが出来たのですから。
ところが、これが枢軸軍の手に入ると逆に敵の海上補給拠点が最前線に出現することになってしまいます。
当時のロンメル・アフリカ軍団の弱点は長くなりがちな補給路「だけ」でしたから、これは深刻な問題なのです。
戦況は一気にエジプト防衛から、スエズの攻防まで考慮せざるを得ないほどに悪化してしまったのでした。
大英帝国は「海洋帝国」です。たとえ陸上の戦いであっても補給の重要性は良く理解できていましたし、まして海を利用しての補給なら邪魔をするのもお手の物です。
ここでイギリスが考えたのは、「取り返せないならぶっ壊しちゃえ」でした。
海洋帝国らしく海から接近して、と考えたのです。
ただし、戦艦群はもったいないので使用せず(巨砲で壊しちゃうと、取り返した時に再建しにくい事の他に、攻防戦の英軍捕虜16000名が残っていたことも理由だと思います)。
駆逐艦と舟艇数隻に特殊部隊の兵員350人あまりを乗せ、トブルク港へ夜陰に紛れて殴りこみ、港湾機能を破壊しちゃおう、と言うワケで、作戦名は「アグリーメント」とされました。
選ばれた駆逐艦は「シーク」と「ズールー」で、この2隻は「トライヴァル級」と言うクラスに属しています。
トライヴァル級は満載2500トン、36ノット、12センチ砲連装4基、など雷装こそ貧弱(この辺りは帝国海軍には無い合理性かと)なものの、わが陽炎級にも匹敵する強武装駆逐艦です。
WWⅡまでに16隻が就役して、12隻が戦没した大活躍クラス、使いやすかったんですね。
このクラスは二代目なんですが、名前が厭らしいですよね。
大英帝国らしく、世界中の「種族名」を艦名にしてるんです。
このお話に出てくる「シーク」と「ズールー」はまあ、大英帝国の勢力圏に住んでるから良いけれど、「コサック」なんて一度も支配下に置いた事はねえだろ?
もう少し沢山建造してたら、きっと「アイヌ」とか「タカサゴ」とか「ジョウモン」なんかも付けてただろ!思い上がり海軍めwww。
イタ公を舐めると
1942年9月13日の夜、大英帝国のトブルクへの襲撃作戦(アグリーメント作戦)が発動されました。
イギリス軍はトブルクに駐屯して防衛にあたっているのがイタリア軍(サン・マルコ海兵大隊)なので、大きな抵抗は無いだろうと予測していました。イタ公がマトモな抵抗するわきゃねえさ、ってことでしょう。
ところが、戦意に乏しい筈のイタリア軍が、予想に反して大張り切りで反撃してきます。
「シーク」と「ズールー」は乗せてきた特殊部隊を無事に上陸させたのですが、サン・マルコ海兵大隊の反撃にあって、上陸部隊が破壊すべき港湾施設に行きつけません。
「シーク」と「ズールー」はやむなく海岸へ再接近して援護砲撃を行うことにしました。
誤解の無いように余分な説明を書いておきますが、駆逐艦とは言えども陸上の野戦部隊に比べれば、その砲力は圧倒的に有利です。
「戦艦は陸上砲台と撃ち合うべからず」
と言う格言?はあるものの、それは相手が「砲台」だからでありまして、野戦部隊が持っている豆鉄砲に比べたら、駆逐艦の12.5センチ砲はトンでもない「巨砲」なのです。
トブルクが奪取されてまだ3ヶ月。重砲の設置された様子はありません。
両駆逐艦はある意味、安心して岸に近づいたと思われます。
しかしイタ公はあくまでも勇敢でした、ココでは。
ヘタリア軍は接近する駆逐艦に、ビビるどころか反撃手段がない状況で果敢にサーチライトを点灯(敵の所在も判りますが、自陣も敵の目にさらすことになります)、見事に「シーク」を照射します。
そしてイタ公たちが持ち出したのが、WWⅡ屈指の名砲「8.8センチ高射砲」愛称「アハト・アハト」でありました。まだ口径では大負けしてることにご注意(笑)
しかししかし!であります。ヘタ公たちはサーチライトに照らされた駆逐艦「シーク」をめがけて「アハト・アハト」を乱射。
ついに一弾が「シーク」の機関室を捉えました。
ヘタな鉄砲も…の知られざる実例によって「シーク」は航行不能となり、続けざまに命中弾を貰って大破してしまいます。
あわてて僚艦「ズールー」は煙幕を展張して、陸上から損傷した「シーク」を隠し、自らも被弾しながら瀕死の「シーク」を曳航し始めたのでした。
この辺り、さすがジョンブル、あっぱれロイヤル・ネイビーであります。
しかし「ズールー」の勇気と献身は報われず、戦闘海域からの脱出は成功したものの「シーク」は沈没してしまいます。「シーク」の乗員は「ズールー」に救助されて事なきを得たのですが。
9月14日の日が昇ると「ズールー」も追撃のイタリア軍MC.200戦闘機(爆装)に発見され、爆撃を受けて航行不能となってしまいます。
「ズールー」は同日中に沈没、せっかく救助された「シーク」乗組員はまたもや地中海を遊泳することになりますが、現場海域に救助に駆けつけた護衛駆逐艦「クルーム」に「ズールー」乗組員と共に救助されました。
援護に駆け付けた防空巡洋艦「コヴェントリー」もドイツ空軍のJu88 に撃沈されており、アグリーメント作戦で大英帝国が被った損害は軽巡(防空巡)1、駆逐艦2、海軍将兵280名。
加えて特殊部隊員・陸軍将兵460名が戦死、または捕虜となってしまったのでありました。
ドイツ軍にも言いたい
この「枢軸軍大勝利」のきっかけは「アハト・アハト」を水平射撃したヘタリアイタリア軍の英断にあったことは間違いありません。
陸上からの、それも高射砲の射撃で駆逐艦を撃沈したなど、他には聞いたことがありません。
8.8センチ高射砲が対戦車砲として有効であることは、これ以前から知られていました。
って言うか、戦車不足のドイツ軍にあって貴重な砲力となっていました。
駆逐艦の装甲なんて戦車に比べたら無いも同然ですから、有効であることはだれでも判りましょう。
しかしながら8.8センチ高射砲の生みの親、ドイツ陸軍は海岸でこれを海に向けたことは無かったのです。
えっ?チャンスが無かったんだろうっておっしゃるか。
そんな事はありません。
この事件の後であります。
ノルマンディー上陸作戦でのことでありますが、完全に制海空権を握った連合軍は上陸支援に艦砲射撃を行ったのでございます。
連合軍艦隊にはアメリカの駆逐艦「コリー」も混じっていたのです。
「コリー」は射程の短い12.5センチ砲でも効果を発揮させようと、海岸近くまで接近しました。
当然ドイツ軍の海岸砲台から集中砲火を浴びてしまいますが、巧みな操艦ですべて回避。
逆に砲台一つを12.5センチ砲で粉砕するお転婆ぶり。ドイツ軍はイタ公と違って駆逐艦に手も足も出なかったのであります。
ただ「コリー」の武運も長くは続かず、敷設されていた機雷に接触してしまいます。
爆発の衝撃で「コリー」はV字に折れ曲がってしまいました。艦首部分と艦尾部分は上部の構造物だけでつながっている状態。
こんな状態になりながらも「コリー」は砲撃を止めず、800メートル近くも海岸い向かって突き進み、ついに沈没。この勇敢な突撃のせいでしょうか、「コリー」の乗員294名中、戦死者は13名にとどまっています。
駆逐艦「コリー」の乱暴狼藉一つ「自力」で止められぬドイツ軍って…砂漠のキツネさんもお仏蘭西の大地では神通力が発揮できなかったのか?
もっとも、キツネさんは休暇(奥さんの誕生日とか)中だったし、ココでは最高指揮官では無かったからなぁ。
こら、ドイツ軍、ちゃんと狙え!アハト・アハト持ってこい!
イタリア軍を馬鹿にするな。イタ公って呼ぶな(笑)