石原莞爾の人間味
世界最終戦争論
このサイトの元になっているフェイス・ブックグループで、ひと様の投稿(サッカー女子ワールドカップの話題でした)に対して、石原莞爾の代表的な思想であるところの「世界最終戦争論」をデフォルメして
「(日本は)アメリカなどと別の(トーナメントの)山に入ったから、決勝までやらなくて済みますね。決勝で叩きつぶしましょう。」
みたいなコメントを付けました所、ある人から「世界最終戦争論は幼稚、それをトーナメントに例えるのはもっと幼稚、私は石原莞爾を否定的に評価してます。」と怒られちゃいました。
まあ、何冊も著作をお持ちの有名な人ですから、私など幼稚といわれても仕方ありません。
低レベルの私だって石原は戦後になって、核兵器の登場などを受けて「世界最終戦争論」の誤りを認めた事くらい知ってますけどね。
それに石原の戦争論の基本は「決戦戦争」と「持久(総力)戦争」が交互に行われるってとこがキモだ、ってことも何冊も著作をお持ちの警察大学校教授さんならご存知の筈じゃねえか。
儂がトーナメントを話題にした時点で、ジョークって思わなきゃ、アホめ。
一つの考え方、複雑な世界を読み解く入口の入りかたの一例として提示してみたんですけど。
再評価
笑いを取ろうとまでは思ってませんが、時期が時期だけに(のちの為に書いておきますと女子ワールドカップでなでしこ進撃中!)何人か乗って下さると思ったんですが、有名な方の大マジレスで企みがパーじゃないか。
でも、ココは一つぐっと我慢して、「有名な方」に否定されちゃった石原莞爾将軍の再評価をしてみたいと思います。
といっても正面からぶつかるのは、幼稚な私には荷が重い。めんど臭ぇから搦め手からいきます。
どんな人物かは御存じの方が多いでしょうから省きます。もう一度確認、と言う方はコチラでどうぞ。
また、石原莞爾のホームページなんてのもありますよ。
石原莞爾は意外な事に写真が趣味だったそうです。
当時の写真って言うと、お決まりのポーズを取った、笑顔が凍りついたような写真が多いのに、石原の作品は現代のスナップみたいに躍動感がある写真が目立ちます。
趣味は写真だった
【独逸駐在中、ポツダムの公園で撮った少女】
また、兵士の写真が当然たくさんありますが、どれも兵士を「駒」とみている物はありません。
兵士と言う人間に対する愛情があふれているように思えます。
【雪中訓練の歩哨をこっそり?撮影】
【銃剣術を奨励し、練習風景をパチリ】
私は芸術作品を評価する眼なんてありませんし、写真の技術をどうこう言える知識もありません。ですから、当時の専門家の評価に頼るしかありませんが、石原はカメラ雑誌の懸賞に入選したこともありました。
また、独逸駐在中に撮った写真の一枚が、ベルリンの有名な写真店「フォト・ザクゼ」の店頭に長く飾られていたそうです。
また、この「フォト・ザクゼ」と言うお店は1925年、距離計などを作っていたライツ社が売り出した小型カメラを石原に見せました。
石原は即座に買おうとしたんですが、お店の人は「大したカメラじゃないですよ」と止めたんだそうです。でも、石原は押し切ってそのカメラを買って、日本へ持ち帰りました。
そのカメラの製造番号は500何番かで、これこそ我が国に初めて入ってきたライカだと言われています。
画像をみると、石原莞爾が如何に兵隊を愛していたか、が切々と伝わってきます。
兵を愛し、除隊後の生活も考えた
【アンゴラ兎を抱く兵隊、農家に現金収入を得させようとしていた】
仙台の歩兵第4連隊長時代には、東北の大飢饉に直面し、営内で農業実務の講習や梅の木の栽培方法、アンゴラ兎の飼育法の伝授まで行って兵の実家を救おうとしました。
満洲の人々だって暖かい目で撮影しています。
【子連れでやってきた満人の行商人】
やがて石原は反東條の姿勢を鮮明にし、1941年には予備役に編入されたのみならず、著書の発禁、石原を慕う人達の不当な拘禁など様々な迫害を受ける事となりました。
1942年暮れ、その東條首相から面会の打診が石原将軍のもとにもたらされます。
東條は当面の戦況や内外の情勢を一通り説明して、石原に対して回天の方策を問いました。
東條に対する石原の答えは
「確かに日本を救う回天の方策はある。だがその実施には、貴方が首相を辞任する事が条件だ。貴方に戦争指導が出来ない事は、最初から判り切っている。」
ついに東條は辞職を決断できず、石原の「回天の方策」は歴史にその姿を現す事はありませんでした。
どうでしょうか?少し人間・石原莞爾に興味がわきませんか?
人間って、簡単には「評価」出来るもんじゃないですよね。
いろんな面がありますから、自分が気に食わない思想(世界最終戦争論)を唱えたからって、その人物像まで批判できる訳ではないんですよ。はっきり人物像を批判してらっしゃる訳でもないですけどね。
【読書する石原夫人、旅順の自宅にて】
こう書いてきたからって、私が石原莞爾を凄く買ってる、ってわけじゃありません。
満州国建国までは良かったけれど、その後がネ…
「回天の方策」だって、南方資源地帯の満州国化・サイパン防備の強化と他の島嶼の放棄などを考えてたらしいですが、海軍の輸送護衛能力があの体たらくだった事までは計算に入ってないようですし。
でも、石原莞爾、人間的な魅力があるひと、みたいに思えませんか?
これはある一定のレベルまでの指揮官に取って、致命的に重要な事なんです。
今回は、なんだか私の憂さ晴らしみたいな文章になってしまいました。
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