「満鉄付属地」を見つめて支那の侵略策を読む
支那の高速鉄道(我が新幹線の劣化コピー)が、経済減速のあおりでガラクタの山になりそうな気配です。
かつては世界中でわが新幹線と受注競争を繰り広げ、支那共産党の世界侵略の先兵役を担ったのですが。
インドや台湾のように、支那の技術など歯牙にもかけず、新幹線方式を選ぶ賢明な国もあります。しかし、支那の低レベル技術や低レベル支那人労働者と低質鋼材などの低質建設材料を押し付ける支那の商法が見破れずに支那と契約する阿呆な国もあります。
支那のやることにはウラがあります
まあ、ほとんどが着工前にいい加減な計画がバレているんですが、支那の悪巧みは「安物を高く売りつけてボロ儲け」どころではありません。
支那の狙いは、「支那側が50%以上出資する現地との合弁企業が、鉄道用地を取得する点にあり」
と言うのが電脳大本営の読みであります。
支那は用地を取得すれば、鉄道建設のために「治外法権」を必ず要求するでしょう。やがて鉄道用地は支那の「殖民地」となり、南シナ海以上の支那の無法領土拡大の拠点となることは間違いないのです。
そう言い切ってしまえるのは、支那自身が逆の立場でコレを経験して、参考にしたからだと思えるからです。ただし、経験したのは支那の本来の領土ではなく、満洲、すなわち女真族の土地での事ですが。
その経験とは「満鉄付属地」と言われた土地であります。満鉄付属地は私たちからみると(つまり正当な歴史的評価をすれば)満洲の発展に大いに貢献したもので、多くの支那人たちもその恩恵に預かっていたのですが。
支那の悪だくみを見抜くためにも、「満鉄付属地」をもう一度考えてみましょう。
南満洲鉄道の誕生
日露戦争の結果、ポーツマス条約で日本が満洲地域で獲得できた利権は、
① 旅順・大連など遼東半島南部(此処が「関東州」であり、「関東軍」の名前の由来です)の租借権
②長春以南のロシアの東清鉄道線とその沿線の鉄道附属地および鉄道に附属する鉱山の経営権
③ 安東県・奉天間の鉄道経営権
④ 鴨緑江流域での木材伐採権
の僅かに四つでありました。
日本政府は、これらの利権を有効に行使するため、
①については、旅順に関東都督府を設置して対応し、
②③については、半官半民の南満洲鉄道株式会社(満鉄)を設立
④は、安東県(のちの安東、現・丹東)に日清合弁の材木会社、「鴨緑江採木公司」を設立いたしました。
この記事では「満鉄付属地」をテーマにしてまいりますので、②③の南満洲鉄道株式会社(満鉄)に絞って概説いたします。
日本は満鉄の設立にあたり陸軍大将の児玉源太郎を委員長として設立委員会をつくり会社の約款を作成させました。
児玉大将を任命したのは日露戦争の論功行賞等ではありません。児玉源太郎は日露戦争の直前まで台湾総督を務め、台湾統治の実績をあげていたのです。
1898年、台湾総督となった児玉は民政長官に後藤新平を起用しています。後藤は殖産興業政策をとり、台湾の住民の生活水準をあげながら少しずつ日本化を進めました。
この児玉・後藤による台湾支配は日本政界では正攻法として好評で、満州経営に当って日本政府は二人の手腕に期待したわけです。
児玉は、日露戦争の過労からか急逝してしまいましたが、1906年11月27日の満鉄設立総会で後藤が初代の満鉄総裁に就任することになりました。
翌1907年4月1日、満鉄は本社を大連に移転し営業を、つまり日本の満蒙建設の第一歩を踏み出しました。
そうです。満鉄は単なる鉄道会社ではありませんでした。
ロシアが鉄道附属地(鉄道付属地の概念はロシア人の発明のようです)における都市建設や港湾建設などを東清鉄道に託していました。
清国に対するロシア政府の権利、「東清鉄道の経営権」を引き継いだ日本の「南満洲鉄道」も本来なら国家事業であるはずのさまざまな開発・経営事業を国から受託しているのです。
鉄道附属地の行政、大連港の建設と経営、さらに東アジア有数の石炭埋蔵量を誇る撫順炭田での炭坑開発などが満鉄に託されました。
また、鉄道沿線での倉庫業や土地・建物の賃借、大連と各地を結ぶ航路の運行や重工業発展のための理学・工学関係の研究開発なども満鉄に託されたのです。
満鉄は一面では大英帝国における東インド会社のごときものであったのです。
しかし大日本帝国の方針がイギリス流の「殖民地搾取」とは違って、「現地の発展を促す」でありましたので、満鉄は日本人ばかりでなく満洲・支那(漢族)・朝鮮・蒙古の人々にとっては「頼りになる身近な行政機関」となっていきました。
国富を傾けて
満鉄の資本金(設立時)は2億円。
そのうち1億円は民間から株式を募集したものですが、残りの1億円は政府出資でした。
明治36年(1903)の国家予算(厳密にいえば一般会計歳入)は約2億6000万円ほどでした。
日露戦争の戦費総額は18億2629万円だったので、日露戦争では平時の国家予算の7年分の戦費を使ってしまった、ということになります。
因みに平成27年度のわが国の歳入は96兆3000億円(うち国債は37兆円弱)です。これから類推すれば、満鉄(満洲の発展のため)には大日本帝国から30兆円もの大金が投入された、と言っても過言ではないでしょう。
日露戦争には勝利したものの、わが国は極度な財政難に陥ってしまいました。
ポーツマスにおける交渉で大日本帝国が最もこだわったのは、領土でも東清鉄道の権利でもなく、戦費賠償金だったのですが同じく財政難のロシアも無い袖は振れません。
ですから、日本政府が満鉄に出資した1億円は、土地・建物・貨車などの現物となりました。
たとえば、満鉄の本社屋となった建物は帝政ロシアのダーリニー(大連)市役所でした。さらに手狭となったので移転し1945年まで本社屋として使用した建物も帝政ロシアが商業学校として建設した建物だったのです。
これらの建物や貨車等は日露戦争で得られた「戦利品」だったのです。
大日本帝国は財政難に襲われながらも、満蒙の発展(具体的には重工業を中心とした産業開発)の夢をおって莫大な投資をしていたのです。
また、有能な社員を多方面から集めるべく、大日本帝国政府の官吏が満鉄社員となる場合には、在官のまま満鉄に入社できる制度が用意されました。
たとえば、満鉄の建築組織の最初の主任となった小野木孝治は「台湾総督府技師」の身分のままで満鉄に入社しています。
満鉄は純然たる民間企業だったのですが、「鉄道附属地」と言うかなりの面積を持った地域を「統治」していたのです。
統治するからには、上下水道や道路の整備、学校や病院の建設と経営、ゴミ収集…と住民の生活に欠かせない事業を行なわなければなりません。
そのため、居住する人びとから「公費」と称する税金を徴収してその費用に当てていました。
そこには日本人・支那人・満洲人・朝鮮人などの区別はありませんでした。住んでいる地域によって税額が違っていました。
大日本帝国が国富を傾け、人材を注ぎ込んだ「満鉄」は満洲に生活していたすべての人にとって、もっとも身近で頼れる公的機関となっていったのです。
鉄道付属地
「鉄道附属地」を理解しないと19世紀末から20世紀前半の満洲を理解するにはことは出来ません。まして、「鉄道附属地」を元ネタにした支那の悪辣な陰謀に気づくことは出来ないでしょう。
鉄道附属地とは、帝政ロシアが満洲に「東清鉄道」を敷設する時に考え出した支配の形でした。
1896年、露清銀行(ロシアの国策銀行)と清国政府が「東清鉄道の建設と経営に関する条約」を締結(銀行が国と条約!)。
この条約で東清鉄道会社には「鉄道の建設と警護に必要な土地を取得する権利」が認められました。これが「鉄道附属地」なのです。
ですが、「鉄道の建設と警護に必要な土地」から前述のような行政権や「徴税」権まで持った「鉄道付属地」にはもう一歩の飛躍が必要ですね。
ロシア人たちはやはりロシア人らしく陰謀によってこの飛躍を成し遂げたのです。
実はこの条約は支那語とフランス語で書かれたのですが、フランス語の方にだけ「鉄道会社が鉄道付属地に対して排他的絶対的行政権を有する」という一文を挿入しておいたのです。
また、条約では鉄道附属地の治安維持は清国の官憲が行なうとされていたのですが、ロシアはそれをまったく守らず、鉄道附属地への清国官憲の出入りを禁止してしまいました。
さらにハルビンなどでは、鉄道から数百メートルも離れた鉄道の建設とは関係なさそうな土地まで「鉄道附属地」として取得してしまったのです。
もちろんロシアの違法行為ではありますが、これに気づけない支那の方が馬鹿である、と言うのが国際関係上の常識ってモンでありましょう。
誤魔化しによって獲得された鉄道付属地の権利ではありますが、大日本帝国にとっては権利者であるロシアから交渉によって譲り受けたもの。
誰に遠慮する必要もありません。
残念なことに、ロシアは鉄道附属地への駐兵権は持っていませんでしたので、大日本帝国は「日清善後条約(1905年12月調印)」で鉄道保護のために鉄道線路1キロにつき15名以内の兵力の駐留権を得ることができました。
大日本帝国政府は、この鉄道附属地の経営を鉄道会社である南満洲鉄道株式会社(満鉄)に託したのでした。
満鉄は奉天や長春など鉄道沿線の主要駅に広大な「満鉄附属地」を設定し都市建設にのり出しました。
満鉄附属地は一部軍用地を除いて満鉄の所有地です。ですから、満鉄附属地に家屋を建てる住民は満鉄との間で土地の賃借契約を結ぶことになります。
この契約の際、満鉄はすべての住民(日本人・支那人・朝鮮人・満洲人・白系ロシア人)に対して平等に「居住者規約」を発して住民の義務を明確にしました。
その最大の義務は「公費」という一種の住民税を満鉄に納付することで、満鉄はこれを附属地経営の費用の一部にあてました。
また契約に違反したり、「居住者規約」を守らない住民は満鉄から退去を命ぜられることもありました。
関東州(日本の正当なる領土)の外に広がる「満鉄附属地」は、現在の八王子市や徳島市にほぼ等しい約183平方キロもの面積をもち、1931年(満洲事変の勃発年)には約10万人の日本人のほか2万人の朝鮮人と21万人の支那人が暮らしていたのです。
満鉄は、創業から鉄道附属地が撤廃される1937年まで(この年、満州国に返還)の30年間に24億7815万円(毎年8000万円以上!)もの資金を鉄道附属地経営のために投入しています。
東洋一といわれた満鉄大連医院の総工費が560万円、1937年竣工の大連駅は建築費が190万円。
満鉄が実質的に消滅する1945年の資本金が24億円でした。
これらを比べれば、満鉄が附属地経営にみせた意気込みがうかがえますね。
朝鮮半島の経営にしてもそうなのですが、大日本帝国の「殖民地支配」は持ち出しの方がはるかに大きいのです。
もちろんこれは、経済発展させて大日本経済圏を建設する、と言う意味では欧米的な「殖民地搾取」などよりはるかに正しい選択でした。
支那共産党やKoreaの酋長に「殖民地支配」された、などといわれる筋合いなど、全くありません。
支那の国レベル経済犯罪
冒頭で述べましたが、現在わが国と世界中で「鉄道売り込み競争」を繰り広げる支那の狙いが「鉄道附属地」獲得にあることはお判りいただけると存じます。
支那が大日本帝国のように、本国よりも鉄道附属地に対して優先的に投資をするなら、それも悪いことでは無いかも知れません(支那の金でよりよい生活をする、と言う気持ち悪さを別にすれば、ですが)。
でもそんな事がありえないのは、世界中の良識ある人々が理解しているはずですね(笑)
さらに、支那はAIIBとか抜かす似非投資開発銀行からの「融資」を提供して「債務の罠」を仕掛けています。
支那がアメリカとの「貿易戦争」に敗れることは目に見えていますので、支那財政がひっ迫するのは間違いないでしょう。支那の経済失速は国民の不満増大・国内の治安悪化に直結しますから、支配層は何らかの手当を考える必要があります。
彼らの手っ取り速い手段は、「債務の罠」や「鉄道付属地」を仕掛けた国々を「ブロック化」して、支那の粗悪品の輸出対象とすることだと思います。
かつて世界恐慌に際して大日本帝国が行った事のコピーのように思えますが、内実は全く違います。
支那がやらかしている(これからもっと大規模にやります)のは、自国の資源を適当に加工し、自国の低質労働者付きで債務国に押し付けるって言う「搾取」であります。
大日本帝国はブロック内の国々から資源を購入し、国内で丹精込めて生産した製品を輸出していたのですから。