カップと人生のゆくえ2~大切なのはリスペクト~
KoreaのU-18サッカーチームがやらかした、カップに対する侮辱のニュースから書き始めたシュナイダーカップ。前編では第一次大戦後はイタリア優勢となって、イギリスがズルしながらも、なんとか盛り返してきたまででした。
Koreaへの批判が余りなかったのが心残りです。
アメリカ乱入
1922年のシーライオンIIの優勝はイタリアをギリギリ抑えたモノでしたが、第一次大戦が終ったあとは「敗けっぱなし」(1919年はインネン付けましたので辛うじてカップ争奪は続いてましたが)だったイギリス航空界を蘇生させました。
「なんだ、我が国(大英帝国)の航空技術が劣ってたんじゃない、注目すべき才能が世に出てなかっただけじゃん。」
とか思ったんでしょうね(笑)この時はエンジンの性能に負う所大ですけどね。どう見ても空力的に洗練されてない方が勝ってるやん。スピードレースなのにさ。
ミッチェルの才能にケチ付けてるんじゃないんですよ、彼の才能はホンモノだったんです。死の病に侵されながら、「救国戦闘機=スピットファイア」の基本設計を仕上げた事だけで、その証明は十分でしょう。エンジンの性能を最大限に引き出すのも機体設計の妙、と言うモンであります。
でも、シュナイダー・カップ・レースはミッチェルの天才を以てしても対抗不可能なほどの強敵を用意していたのであります。その名はUSA。カーモン・ベイビー、でありますな(笑)
1923年、アメリカは国を挙げてシュナイダー・カップ・レースに参戦するのであります。具体的には陸海軍が中心となり、軍需企業のカーチス社に資金も技術もパイロットすら提供。
カーチス社は「CR-3」を作りあげて、1923年度の優勝をもぎ取ってしまいました。
シュナイダー・カップ・レースはもともと民間航空機会社の戦いとは言っても、「国代表」としての出場でした。
ヘタリアイタリアVSブリテンの泥試合もあって、国と国の意地の張り合い・意地のぶつかり合いにはなっておりましたが、さすがに軍隊が総力を挙げてレースに出るところまではどの国もやってません。
ですから、アメリカの姿勢にはおおいに批判もありましたが、勝ちは勝ち。
カップ争奪は航空機メーカーや設計者・パイロット同士の競争から、各国の威信を賭けたそれへと性格を完全に変えてしまったのです。
イタリア・イギリス・フランスはアメリカ(カーチス)に対抗すべく、先端技術をぶち込んだ機体を開発しますが、敵の資金力は無限大とも思われるほど。短期間でカネも掛けずにアメリカに対抗するのは至難の業でした。
1924年のシュナイダーカップ、フランスとイタリアはアメリカの圧倒的な技術力に太刀打ちできる見込みが立たず、欠場を決めます。唯一アメリカに挑んだイギリス機も、予選でクラッシュ。
アメリカはスポーツマンシップ?に則り、開催の延期を申し出たのでありました。←「軍が出しゃばりやがって」の批判に耐えられなかったのが真相だと思いまっせ。まだまだこの頃はナイーブだったのね、花札さんのご先祖たち。(笑)
ドーリットルがしゃしゃり出やがって
翌1925年、イタリア・イギリス両国は一年の猶予を得てそれぞれ機体を熟成し、満を持してレースに臨みます。機体の性能は英・伊それぞれに長短ありましたが、アメリカは一頭地を抜き、その上切り札がありました。
切り札とは、それまで数々の飛行機速度記録を作ってきた陸軍のパイロット、ジミー・ドーリットルであります。
このレースでもドーリットルの操縦のウデは冴えに冴え、この年もアメリカの「カーチス R3C-2」がブッチギリで優勝したのであります。
アメリカ合衆国、シュナイダーカップの永久保持まであと1勝であります。
この好成績にアメリカは慢心してしまったのか?軍がレースへの関与を止めてしまいます。それでも連勝中の「カーチスR3C-2」の搭載エンジンをパッカード製のV型12気筒700馬力に強化し、今回も間違いなく勝つだろう、と誰もが思っておりました。
イギリスは相も変わらず開発資金が不足していますし、とても勝てないだろうと予測されていたのです。
ムッソリーニほえる
イタリアの国民ってのはもともとスピード狂なのでしょう。クルマの世界でも、「スピード」の固執する傾向がみえるし(笑)
当時のイタリアの政権にあったのはファシスト党のベニト・ムッソリーニさん。ある意味ではヒトラーさんの「師匠」です。
ムッソリーニさんは「右傾化した国民の支持」で政権に就いただけに、国民の熱狂を見逃すことはありません(私は「右傾化」や「ポピュリズム」を否定してるんじゃないですよ。民主主義はすなわちポピュリズムじゃん、と言うのが私の理解ですから)。
ムッソリーニさんは国民の怒りを正しく理解しました。すなわち、
「我が国はシュナイダー・カップ永久保持をスンでのところで逃がし、逆に大した歴史もない癖にカネにモノを言わせる国に奪われようとしている!世界最速は我がイタリアのモノなのに。」
ムッソリーニは命じます。「いかなる困難にも打ち勝ってシュナイダー・カップを奪取せよ!」
国家的プロジェクトを結成してマッキ社を支援いたします。口だけではなく、カネも出したんですね、ムッソリーニさん。
潤沢な資金と国の応援ほど心強いモノはありません。国ごと応援してくれるって事は、女性がいっぱい応援してくれるって事ですからね(儂は女性を蔑視してるんじゃないぞ、女性は男にはできない魔術で男の能力を引き出す、と言っているのじゃ)。
1926年のレース、政権を取ってからは何をやらかしても碌でもない結果になるムッソリーニさんですが、珍しく結果を出します。
援助を受けたマッキ社は、フィアット社が特別に作って調整にあたるV型12気筒800馬力の新型エンジンを新たに採用。「マッキM.39」の空力を磨きに磨き、パイロットに空軍少佐のマリオ・デ・ベルナルディを迎えてレースに参加しました。
軍が手を引いた(それでもブッチギリで優勝候補だった)アメリカのカーチスをついに打ち破ったのです。
この大会の結果を最も悔しがったのは「カップ永久保持」の野望を阻止されたアメリカではなくて、長くイタリアとツバぜり合いを演じてきたイギリスでした。
アメリカはこの敗戦で「水上機レース」への情熱がすっかり冷め、以降の参加を取りやめてしまいます。これ以降、シュナイダー・カップの行方はイギリス・イタリア両国の一騎討ちとなったのであります。
「請求書持っていらっしゃい」
1927年、今度はイギリスがミッチェルさんの設計で「スーパーマリンS.5」を投入して優勝をさらいます。
この年はイギリス・イタリアともに開発期間が不足していました。
シュナイダー・カップレースが始まったころよりもエンジンの性能も空力も格段に向上して、ちょっとしたアイデア(これを捻りだすのが大変なんですけど)くらいでは速度の向上が望めなくなっていたのです。
レースはより多くの開発期間をとれるよう隔年で開催される事になりました。
でありますので、1928年にはレースは開催されていません。しかし、レースを傍観している私たちには、かなり重要な年となりました。
シュナイダー・カップレースの創始者であり、主催者であり、金主だったシュナイダーさんが亡くなったのです。
大金持ちだったシュナイダーさんですが、第一次大戦中に所有していた軍需工場を爆撃されたのがケチの付き始めだったようで。戦後にあっという間に落剝し、貧窮のうちに亡くなってしまったのです。
その翌年の1929年。この年はアメリカの株式が暴落したことをキッカケに世界中に恐慌が吹き荒れた年となりました。イギリスはそんな世情にもめげず、V型12気筒の「ロールス・ロイスR型」エンジンを搭載した「スーパーマリンS.6」で連勝を飾ります。
アメリカもなし得なかった「カップ永久保持」まであと一勝となったのであります。
現在もシュナイダー・カップは、規定どおり3回連続優勝したイギリスが保有していて、ロンドンの科学博物館に展示されているそうです。
1919年の時といい、この時といい、「イギリス人の審判」はこの世でもっとも信用してはいけない人種だと思うぞ(笑)いや、そうじゃなくて。
国と国の関係はイギリスの審判さんたちのようにズル賢くやらなくちゃダメなんです。
ついでに、しょうもない事に気が付きましたので。
イタリアは3回優勝(無効になった19年のレースを含めれば4回)しています。1920年に初めて優勝した「サボイアS.12」のパイロットがルイージさん。
続いて5年ぶり1926年に優勝した「マッキM.39」のパイロットがマリオさんでした。
だからどう、って?いや、何でもありませぬ。以上で電脳大本営的水上機レースの話は終了であります。
如何でしょう、たとえ一個人が創始したモノであっても、「カップ」の争奪にはこれだけのドラマがあります。レースや大会の規模の大小は、たぶん関係ありません。
「他」と対戦することは、自分の実力の現在位置を知り、教えてくれた「他」をリスペクトすることでもある筈です。それはプレーヤーだけじゃなくて、応援している方も同じこと。
対戦相手だけじゃなくて、「戦う場」「戦う機会」を与えてくれた主催者への感謝・そのような主催者を産み育てた「国」への感謝・スポーツなどに打ち込む環境を与えてくれている「国」とか「企業」への感謝・応援してくれる人への感謝・戦ってくれる人への感謝…等々が無ければ国そのものが成り立たない、と私は思います。
ところが、そんな戦う場や機会へのリスペクトなど全くなく、ただ自分たちが強いと誇る事を良しとする国が、社会が地球上にのさばっています。Koreaです。
たとえ「パンダ」とかふざけた?ネーミングのカップであっても、主催が宗主国サマであっても、たくさんの人の思いがそこには詰まっていたハズであります。
しかも、メディアやネットではそれほど問題になってはいないようですが、「あの画像」はどう見ても「ポーズを取っている」画像ですよね。スパイクは脱いでるし。
つまりU-18のKoreaガキどもが、優勝に興奮してついついカップを足蹴に、という画像ではありません。チーム関係者・指導者も承知の上で、カップに足を掛け、小便を流し入れるポーズを取ったのです。
という事は、このような態度はKoreaの国民的な文化だ、という事です。Chinaも含めて、世界中の人々の感覚とは全く一致しません。
世界のために、このような国は排除しなければならないと思います。